3年前、JR東京駅「駅ナカ」にて。

丸の内南口寄りの、中央線ホームへのエスカレーターに近い場所で、右往左往している20代女性の2人組に気づいた僕。



「何かお探しですか?」

2人組「切符売り場はどこですか?」

「改札を出ればあるけど。ところで、どこへ行きたいの?」

2人組「渋谷です」

「ここは駅ナカだけど、今どんな切符を持っているか、よかったら見せてくれる?」

2人組「これです」

(2人組が持っていたのは、福岡市内から東京都区内までの乗車券

「あー、これだったら、そのまま渋谷まで行けるよ!山手線外回り、5番線の電車に乗ればいいよ!」

2人組「そうなんですね。ありがとうございます」






言っときますが、決して自慢話をしたかった訳ではありません。

ここからが、問題提起。



僕が声をかけたのは、福岡から上京した、日本人

もし、ジャパンレールパスで京都から上京した、外国人だったら?

(仮に、英語が話せる外国人だとして)






ぎこちない片言の英語でも、身ぶり手振りを入れてでも、渋谷への行き方を一生懸命教えたいよね?



あえてキツイ話をするけど、英語が苦手なことを言い訳に、困っていたのが外国人だと弁解して知らんぷりする人へ、僕は問いたい



『あんた、相手が日本人だったら知らんぷりしないで、親身になって案内してたかい?』



英語が通じるか通じないかではなく、元々のコミュニケーション能力が、問題の本質ではないだろうか?



仮に、日本語なら大丈夫だと胸を張れる人が多かったら、遠路はるばる東北や九州などから上京した人は、都会の冷たさを感じたりはしないはずだよね?







そもそもの、課題とは...?



英会話をはじめとした多国語・多言語対応以上にもっと重要な課題が隠れていると、僕には思えます。



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