6.5畳分の引っ越し荷物を

4.5畳の部屋に押し込むために

実家の部屋を掃除。

 

その時出てきた

“思い出BOX”

 
 

思い出に浸ってみようと開けてみた。

「懐かしいなぁ~」と思う一方

「…なんだっけ?」

と思うものがチラホラ

挙句の果てには

「こんな物とっといたって

大したもんじゃ・・・。」

なんて。

自分で残した思い出を自分で否定。

 

何年かおきに開けていた

思い出BOXの中身(思い出)

否定したのは初めて。

 

基本私はドラマティックな性格で

ロマンチストでありナルシストであり

悲観的であり楽観的で狂気。

自分の世界に溺れやすい。

(これをメンヘラというのかしら?)

 

だから小さな思い出BOXは常にパンパン

その、思い出が渋滞したBOXを

開けるたびに思い出に浸っては

“あの頃”を愛おしんで

またそれをそっとしまって。

 

それが今となっては

「なんじゃこりゃ?」って…

その温度差こそなんじゃそりゃ;って;

 

いや、これを残しててもさ。

なんてひどい変わりようで、

昔より何かにつけて涙もろくなったのに

えらく薄情よね。

 

 

だけど、なんでもかんでも

“思い出”って形にして持っていたけど

本当の思い出は

自分の中にあって、

その時々の盛り上がった感情で

残した物には意味はなくって、

だから“嬉しかった”ことや“好き”に

間違いはないのだけれど

自分の人生に残る

“一生”の思い出に達するほどの

感動や感情、興奮には届いていない。

(だから物と思い出が結びつかないんだろうし)

だからそういうものを

無理に形にして残した思い出なんて

なんの意味もなかったんだなって

そう思えた。

 

だからすごく大袈裟に言うと

今の自分を形成した一部くらいの。

そういうお守りみたいな物だけ残して

あとは感謝しながらさようなら。

 

思い出は“”じゃない。

これもあれもと形に残すと

物に依存しているだけの気もして

そこにある思い出(感情)が薄れてる。

だから、お守りみたいに大切な物だけ残して

あとは全部捨ててしまうくらいの薄情さの方が

きっとたぶん丁度いい。

その方が頭の悪い私には

ちゃんと一つ一つが愛おしく

私の中に残る気がする。

 

思い出BOX(物)を渋滞させちゃうと

大切なもの(感情)を見失うことに

今更ながら気が付いた

32歳の春でした。