こんにちは🌞









今日も私は相変わらず、ト◯イさんです✏️

少し風が涼しいので嬉しく思っています看板持ち









みなさんブログに書いていらっしゃるように、昨日の悲しいニュースについてですが、どんな気持ちを抱かれたでしょうか。









色んなSNSで少し調べてみると、安倍さんの今までの功績を賞賛する人もいれば、今までやってきたことからすれば当然の報いと思っている人もいるだろうという意見など、さまざまな考えが見受けられました。









私は、この事件に関してブログの中で口を出す気はありませんが、容疑者の動機に関してはいささか疑問を抱きます。









その動機は、簡潔に言えば思い込みのようなものですよね。

事実かそうでないかは分からないにしろ、確実性のないままの犯行でした。

人間の思い込みというものは、本当に恐ろしいものだと思います。









突然ですが、感受性という言葉があります。

その言葉の意味を聞かれて、しっかり説明出来る人は少ないのではないでしょうか。









Oxford辞書によると、

感受性・・・外界の刺激・印象を受け入れる能力。物を感じとる能力

だそうです。









人間の思い込みと言うのは、感受性のに大きく左右されるのではないかと思います。









物事を冷静に感受すること、これは自分と周りを守るためにとても大切なことです。









もしかしたら、私たちが当たり前に思っていることも、実は思い込みかもしれません。

感受性はとても変わりやすいものなのに頑固なので、一度そう思ってしまえばなかなか考えを変えられないのが人間です。









昨日のニュースを受け、こんなことを思っているうちに、あの有名な詩が頭に浮かんできました。









ご存知の方も多いと思いますが、戦後現代詩の長女こと茨木のりこさんの、"自分の感受性ぐらい"という詩です。









私は茨木のりこさんの詩が大好きです。

今回紹介する詩のあの衝撃の最後の言葉は、実は茨木のりこさんが自身に向けて言った言葉らしいのですが、色々と緊迫した情勢の中、私たちにもずっしりくる言葉かなと思います。









詩の後半になるにつれて、普遍的な訴えになっていくように感じられると思います。








今日は、その詩でこのブログを締めたいと思います。

(以下、詩集「自分の感受性ぐらい」:1977年より抜粋)











自分の感受性ぐらい






ぱさぱさに乾いてゆく心を


ひとのせいにはするな


みずから水やりを怠っておいて






気難しくなってきたのを


友人のせいにはするな


しなやかさを失ったのはどちらなのか






苛立つのを


近親のせいにするな


なにもかも下手だったのはわたくし






初心消えかかるのを


暮らしのせいにはするな


そもそもが ひよわな志にすぎなかった






駄目なことの一切を


時代のせいにはするな


わずかに光る尊厳の放棄






自分の感受性ぐらい


自分で守れ


ばかものよ











https://www.matatabi.net/Poetry/ibaraki_01.html

↑気になる方はぜひ見てみてください☺️











今日も頑張ります!💪