キャベツというのは収穫時期を見極めるのが意外に難しく、少しでも遅れると内圧で破裂して大事な水分が抜けて売り物にならなくなる。また、特に有機栽培や減農薬では小粒になったり虫や鳥の被害に遭うことが多い。しかしそれは安全の証でもある。規格外で出荷はできないものであってもその多くは十分に食べられるものなのである。これを処分するのはあまりにも勿体ないと佐知子は常々考えていた。
ある時、亮治の通っていたピアノ教室が移転することになったことを知り、あそこなら駅にも近く商売として成り立つのではないかと考えた。早速不動産屋を訪ねたところ、大家も快諾してくれた。店舗は広島時代によく通った『のんちゃん』と同じようにしたいと定夫に連絡して、知り合いの大工などに頼み、暖簾はソース会社のマークが入ったものに『さち』の文字がしろぬきになったものが届けられた。
この店の外に張り出してある定休日には『日曜・農作業日』とあった。そしてお好み焼き店は開店した。

開店当初は近所の方やタクシーの運転手が恐る恐る入ってくる感じだったが、その人達の口コミの影響か次第に客足が増えていった。この頃長野県でも都市部に出れば広島風お好み焼き店もたまに見かけるようになっていたが、残念ながら本場のものとは少し違った感じがして不満足な思いをしていた。

客の目の前で焼き始めると決まって驚かれるのが、クレープ状の生地の上に載せるキャベツの量であり、出来上がるまでにそれが蒸し焼きになりペッタンコになって出てくる時には非常に健康的な食べ物であるとわかるのである。鉄板料理は目の前で料理されていくのを見るのも醍醐味のひとつである。また出来たての熱々を食べるのが心地よいのである。

そんなある日、思わぬ来客があった。
「こんにちは。」優子が小学生の娘を連れてやってきたのだ。久しぶりの再会だった。「まあ沖縄から?」「うん。もっと遠いかなと思ったけど名古屋まで飛行機で来ればそうでもなかったわ。でも景色のいいところねえ。」「なんかしばらく見ない間にすっかりお母さんになったわね。」「お互いにね。」「ねえ、お好み食べる。」「もちろん。」「うまいけえまかしんさいや。」
思い出話やお互いの近況など話しが尽きることはなかった。
「今日は泊まっていくんじゃろ?農家じゃけえ部屋は一杯あるんよ。」


「お店流行ってるみたいでよかったわ。」「おかげさまて。お義父さんもお義母さんもよくしてくれるんよ。ほいじゃけどやっぱり単なる居候じゃあいやなんよ。せめて亮治は自分の手で夢を叶えさせとうてね。」「亮治君、自分の進路決めてるの。」「いいえ、まだ漠然としとるとは思うんじゃけど多分父親と同じ道を選ぶ思うんよ。」「音大かあ。お金大変ねえ。」「そのためのお店なんじゃけえ。うちがやらんで誰がする。」「母は強し、か。」
佐知子は畑仕事にもすっかり慣れて、というより馴染んだと言った方がいいくらい渡辺家の戦力となっていた。いくら亡くなった主人の実家とはいえ息子と自分とでは立場が違う。あくまでも血は繋がっていないのである。美代子はよくしてくれるが、やはり自分と息子の食いぶちは自分で稼ぎたかったのである。伸夫は技術的なことは何でも教えてくれた。最近ではトラクターの運転もこなすようになっていた。
亮治が中学生となり、子育てに一段落ついて後は学費を考えていかなければと思っていた。伸夫は学費のことは心配するなと言ったくれるが親としては我が手で進路の願いを叶えてやりたいと思うのである。亮治は駒ヶ根に引越してきて以降喘息の発作はなくなった。医者からは、体質としては残るけれども、まず心配はないでしょうとのお墨付きをもらった。こっちに来てよかったとしみじみ思うのである。
ある時「お義父さん、いつも規格外のキャベツを漬け物工場か養豚場か、最後は捨てるしかないけどもったいないわね。なんか有効利用できる方法ないかしらね。」「そうなんだ。ちょっと形がおかしいとか虫食ってるとか、味には何にも問題ないのになあ。いやあ実は前に近隣の農家が集まってザワークラウトの瓶詰を作って売り出したことがあるんだが、あんまり売れなくて立ち消えになったことがあるんだよ。」「ザワークラウトかあ。あれはあれでおいしいけどせっかくの駒ヶ根キャベツもあんなに細切りして柔らかく漬け込んだらどこのキャベツかわからなくなってしまうわね。」
渡辺家では一月か二月に一回畑を手伝っているひとと庭先でバーベキューをするのが恒例になっていた。ある日初めて広島風お好み焼きが佐知子の手により振る舞われた。伸夫と美代子以外みんな焼くところから見るのは初めてだった。
生地をクレープ状に拡げて手早く粉がつおを振る、クレープの円からはみ出さんばかりに大量のキャベツを載せる、イカフライ、豚肉などをその上に乗せて少々のつなぎをかけたらひっくり返す、キャベツを蒸し焼きにするためある程度かさが低くなるまで押さえない。その横で焼きそばや焼きうどんを作る。キャベツに火が通ったら裏返してそばなどを載せて再びひっくり返す。生卵を横でポンと割り黄身をへらの端でカンと叩いてすぐにお好み焼きをその上に乗せる。ひっくり返してソースを塗り青のりをかけて出来上がり。広島のお好み焼きでは最初からマヨネーズをかけるのは通ではない。確認してからかけるのが正統である。
バーベキューに集まったほとんどの人が大きいへらでピザのように切り取って皿に取り箸で食べていた。ところが佐知子は小さいへらを用いて鉄板から直接小さく切り取って食べていた。目ざとく群集のひとりがそれを見つけて「やっぱり本場の人は食べ方が上手いですねえ。」といいながら真似を始めた。ところがなかなかうまく切り取れない。しかも鉄板からすぐに口に運ぶので熱いのである。「やってみると難しいもんですな。」「私は子供の頃からこれで食べ慣れてますからね。もう少し小さめに切り取るのと、へらの角の方に乗せると多少熱くないですよ。」といって実演してみせた。すると見ていたみんながへらで食べ始めた。みんな口々に「難しい。」「うまく切れない。」「熱い。」などといいながらも初めての食べ方を面白がっていた。ある女性は「洗い物が少なくなっていいかもね。」
でも佐知子にとってへらで食べるのはお好み焼きの醍醐味のひとつなのだ。譲れないものであり当たり前のものなのだ。
『ほれ、下々の者よ。我が食べ方をよく見よ。そして学びなさい。実践しなさい』
やがてお好み焼きの時にはみんなへらで食べるようになった。そして「さっちゃん、こんなにおいしいんだったら思いきってお店開いちゃえば。」
なんとか志望校に合格した久美は迷わずブラスバンド部に入った。勇治はすでに新部長となっておりバリバリと役をこなしていた。部活といえども中学と高校ではさすがにレベルが違った。先輩のフルートの音色はそれ自体が意志を持っているようだった。ただ吹いているのではなく、譜面から音符が浮き上がりダンスをしているようだった。自分の演奏はまだまだ吹かされているようだった。
「もっと自分の気持ちを込めなければだめ。そのためには楽器に振り回されてるようじゃだめよ。」『勇治先輩と同じようなことを言っている』多分部長として先輩がいつも言っているのだろう、そんなことを連想させた。
ある日、同じフルートの孝が話しかけてきた。孝は高校1年にして身長180センチ体重85キロの巨漢で、柔道部から誘いが来ていたが耳の形が変になるのがいやで中学時代に所属していたブラスバンドに入ってきた。フルートを持つと子供のおもちゃのように小さく見えておかしかったが、その大きな図体とカブトムシの幼虫のような指からは想像できないほど繊細な音色を出して実はみんなから一目置かれていた。みんなから「おまえフルート似合わないなあ。見た目チューバなんだけどなあ。」「ぱっと見暑苦しいのに音色は爽やか。」などとよくからかわれていたが、人柄が良くとくに怒りもせずにこにこしていた。
「なあ君ピアノやってたんだろう。」「ええそうよ。」「うらやましいなあ。」「どうして。」「だって音大に入るんだったらピアノ必須だろう。俺習ったことないから大変なんだよ。今いとこの姉ちゃんに習ってるんだけどいつも呆れられてるよ。」この大男がピアノの前に座っていとこの女性にしごかれているのを想像するだけで笑いが込み上げてくる。「まあ練習あるのみね。」と声をかけたもののすでに自分の進路を決めている孝が羨ましくもあった。憧れの先輩を追いかけていただけの自分と比べてちゃんと考えてるんだなあ、と少し見直した。
孝は部活が終わった後、音楽室のピアノでよく練習していた。それは全く聴くに耐える代物ではなかった。『なるほどこれじゃあいとこに怒られるわ』
ところが一月二月経つうちに多少聞けるようになり、まさに日を追って上達していった。夏休み、部活が終わった後に響くピアノの音はもう過去の孝ではなかった。聞くと貯金を叩いて電子ピアノを買い、寝る間も惜しんで練習したという。「少しはましになったかなあ。」「たいしたものね。その調子よ。」「そうか、もうひと頑張りしなくちゃな。」「ほら、そこ、薬指の音が弱いわ。だから余計素人っぽく聞こえるのよ。」「おお、そうか。」
いつの間にか放課後に時々ピアノを教えるようになっていた。
女から見ると同い年の男なんてどこか子供だ。バカバカしい悪戯をしてほくそ笑んでいるのはみんな男だ。ところがどこにあるのかわからないスイッチが入ると突然変わる。あの勢いは女にはなかなか真似できない。孝は私が子供の頃から積み重ねてきたものをあっという間に越えようとしている。
そして今、孝は小学校の教諭をしている。そして久美の亭主である。今日もオルガンを弾いているだろう。