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【人間の器】

人間の器には天性のものがあるだろう。
しかし、天性の大器といえども、
しかるべき立場においてみないと、
その輝きはわからない。
しかも、その器ができる前には、
必ず修行の期間があるものだ。

幕末、維新の頃の大物について考えてみる。
勝海舟は、
その胆力と見識で鳴り響いている。
胆力は、剣の修行と座禅で練り上げたものだ。
見識は、蘭学修行に徹したことや、
咸臨丸の艦長としてアメリカへ渡った経験がもとにある。
そして時代が、その人となりを選び出してきたのだ。

坂本龍馬も小さい頃は泣き虫だったという。
実家の事業経営の才覚、気風を受け継ぎ、
剣の修行で名をなしたことが、
彼を時代の申し子とした。

西郷隆盛も、
島流しで、精神力を練った時代があったのだ。

逆境に耐え、
人を恨まず、運命を呪わないことだ。
自助努力の精神と、
寛容な心が、
人間の器を創ってゆくのだ。

心の指針94


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心を開くまで辛抱強く寛容の姿勢のことを
忍辱(にんにく)の姿勢といいます。
これが、どうも悪用されているようです。
あるいは、何もしないことの隠れ蓑にしているところが少しあります。

善悪を言えないような宗教というのは、
宗教しての使命を果たしていないのです。

間違っているものについては、
「間違っている」と教えなければ、
人は救えません。

「悪でもよいのです」という姿勢で、どうしますか。
正しいものが、「悪い」「間違っている」などと言われても、
「いや、そうした考え方もあるでしょう」
「それもひとつの考えです」などというようなことで
済ませていて、間違っているものについては、
「間違っている」と教えなければ、
人は救えません。

私たちは、あくまでも思想戦です。
言葉で、思想で、戦うのです。

「言葉で戦い、行動でもって教化する」という戦いですから、
非常に平和的ではありますが、「正は正、邪は邪」として、
やはり、言うべきことはきちっというという戦いです。

これはやらなくてはなりません。
仏教が忍辱を説いているのは、
「悪魔を許容せよ」
「悪に屈従せよ」などということを
教えているのではないはずです。

『仏陀の証明』 第6章 より