2006年、福岡県や北海道で起きた子供の自殺事件を契機に「第三次いじめ多発期」という言葉が口にされるようになり、それから間もなく七年が経過しようとしています。

果たして、その年月は「有効に使われた」と言えるでしょうか?

7月6日の新聞には「奈良県で3月に飛び降り自殺した子供が、実はいじめられていた」と報道されています。

学校側は、自殺との因果関係は「低い」と否定していた事件であり、昨年の大津いじめ自殺事件と同じく、教育現場の実態が全く変わっていないことを示す事件であり、実に残念です。(7/6 産経「中1自殺 いじめ原因か 『死にたい』友人に相談 奈良」)

私、いざわ一明は、2007年から「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」に携わり、これまで3,000件以上のいじめ相談を受け、「いじめ自殺をなくす」という強い決意のもと、日々、「いじめ」と戦って参りました。

「いじめは犯罪!」というポスターは、全国の三分の一の学校に貼られ、その結果、「いじめは犯罪」という言葉が普及したことは、学校に明確な「善悪の価値観」が浸透したという点で前進です。

しかしながら、私たちの活動が、まだまだ政治や教育の現場を変えることができていないことを悲しく思います。



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私自身、改めて自分の受けて来た教育を振り返ると、「自虐史観」「ゆとり」「価値相対主義」教育の影響を受け、いまだに、その後遺症に苦しんでいる部分があります。

そして、そのような私たちの世代が今、親となって子ども達を育てているのです。

戦後、教育から宗教的側面が一切排除されましたが、宗教的信条に基づく「正しい善悪の判断基準」を持っていなければ、教師は「正しい価値観」を自信を持って教えることができないでしょう。

私自身、宗教的信条を学んだことによって、教員退職後に始めた家庭教師の場でも、子ども達に「善悪の価値基準」をしっかり教えらることができるようになりました。

昔は「表面だけのきれいごと」だと思っていた道徳についても、子供たちの心に届く情操教育ができるようになりました。

改正教育基本法第十五条には「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」という条文が新たに付け加えられましたが、実際には、教育現場では何も変わっていません。

私は「道徳教育」「宗教教育」を復活し、子ども達の心が「正義」と「自信」と「誇り」に満ちることを目指して、教育に励み続けることのできる教員養成に力を注いで参りたいと思います。

また、日本という国を愛し、ご先祖さま、日本の先人の方々に「誇り」を持てる正しい歴史教育、偉人教育を公立学校に実現したいと思います。

そして、幸福実現党の掲げる「教育再生」を実現し、「生まれ育った地域や日本のため、世界のためにがんばろう」と思う人材を育てて参りたいと思います。(幸福実現党鳥取県参議院選挙区代表 吉岡ゆりこ)



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子ども達は「国の宝」です。私は参院選に立候補し、鳥取県で「教育再生」を掲げて選挙活動をしている中で、「教育は大事だけん、しっかりがんばんないよ!」と言われることも少なくありません。

鳥取県は、教育に対しての関心は高いですし、尊敬に値する素晴らしい先生方が数多くいらっしゃいます。

しかし、個人の力量によって子どもに与える影響に大きな違いがあることも事実です。

私、吉岡ゆりこは公立学校の教員として12年間(講師を含めると14年間)務め、たくさんの子ども達と関わらせていただきました。

授業では「道徳の時間」が週に一度あったのですが、「価値観の押しつけはいけない」ということで、子ども達の考え方を聞いて、「いろいろな考え方がある」ということが結論になるような時間でした。

私自身、自分の考えに強く確信を持てないままに教壇に立っていたこともあり、子ども達には正しい価値観を教えることもできずにいたと反省するばかりです。

もちろん、「価値の多様性」を認め合うということは大事ですが、それだけで授業が終わると、子供たちは「正しい善悪の基準は無い」と思ってしまう「価値相対主義」「ニヒリズム」に陥ってしまいます。.

例えば、「いじめた方も、いじめられた方も、それぞれ理由や背景があるのだ。お互いに理解し合おう。」ということで授業が終われば、「いじめは悪だ」という善悪の価値基準が育つはずもありません。

これは、戦後、GHQが日本の国力を弱体化させるために、「教育勅語」などを排除し、「特定の価値観を押しつける教育は全体主義社会をもたらす」という教育指針を押し付けたためです。



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