2014-04-17 03:00:00

16日沈没したセウォル号運航の総責任者である船長のイ某 さん(61)は船体から無事に脱出した後、 午後2時に全南(チョンナム)珍島郡(チンドグン)珍島邑 (チンドウプ)の韓国病院に運ばれて 治療を受けた。擦過傷(さっかしょう)を負ったイ氏は物理 治療室で治療を受けていた。イ氏は 本誌記者が身分を尋ねるとすぐに「私は乗務員だ。 知って いることはない」と話した。

イ氏は事故原因を尋ねる質問に対して念入りに考えると 「暗礁衝突ではない。突然沈んだ。だが 正確な原因は分からない」と答えた。イ氏とのインタ ビューは3分程行われた。イ氏は当時海水で ぬれた5万ウォン2、3枚と1万ウォン10枚余りを治療室のオ ンドルの床で乾かしていた。 他の乗務員1人が5万ウォンを奪っていこうとすると「私の だ」と言って防いだりもした。以下略

http://news.donga.com/Main/3/all/20140417/62829491/1

引用元:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1397711138/
沈没船から携帯メッセージ「まだ死んでいな い」 韓国 2014年4月17日00時00分

韓国の旅客船セウォル号が16日朝、南西 部の珍島付近で沈没した事故で、同日午後1 0時40分ごろ、沈 没した船内に取り残されたという男子生徒か ら、兄に携帯電話の文字メッセージが届い た。生徒の家族が記 者団に語った。生存者がおり、救出を求める 内容で、「今ここは船の中、何も見えない。 男子数人と女の子が 泣いている。まだ私は死んでいない」と記さ れていた。 http://www.asahi.com/articles/ASG4J7WWSG4JUHBI04C.html? iref=com_alist_6_01

船が沈没していく2時間の間、乗組員たちは一体ど こで何をしていたのだろうか。

沈没した旅客船「セウォル号」では大規模な人的 被害が発生したが、 最初に脱出した船長をはじめ、最後まで責任を果 たさなければならないはずの 乗組員たちの多くが、事故が発生するや否や、素 早く脱出していたことが分かった。 事故発生当時、セウォル号には船長のほか、1等航 海士2人、2等航海士と3等航海士各1人、 操舵(そうだ)手3人、甲板長と機関長各1人な ど、約30人の乗組員が乗っていたが、 沈没する瞬間まで船内で案内放送を続けた末に遺 体で発見されたパク・チヨンさん(22) を除き、救助されていたことが分かった。

木浦海洋警察署によると、船長(69)は真っ先に 脱出した人たちの中にいた。 船長は船が座礁したとの通報が受理されてから約 40分後の16日午前9時30分ごろに 船外へ出て、同50分ごろ、約50人の乗客と共に海 洋警察の警備艇に救助された。 機関士や操舵手など6人の乗組員も、この最初に救 助された人たちの中にいた。 警察は船長を呼び、事故の経緯について調べると ともに、船内の事情を把握している 船長を救助作業に動員するため、事故が起こった 海域に行かせた。一方、この船長が、 当初運航を任されていた本来の船長(47)に代 わって船を操縦していたことも明らかになり、 一部のインターネットユーザーは「問題の船長は 『代理船長』で、真っ先に船を捨てて 脱出したのではないか。無責任にもほどがある」 と非難している。

海上で事故が発生した場合、船内で最後まで乗客 の安全に責任を持つということは、 船長が必ず果たすべき義務であり、名誉かつプラ イドと考えられている。 1513人の犠牲者を出したタイタニック号の惨事で も、エドワード・スミス船長は 最後まで乗客の脱出を指揮した。スミス船長の故 郷である英国リッチフィールドには、 船と運命を共にしたスミス船長の銅像が建立さ れ、銘板には「英国人らしく行動せよ」という スミス船長の最後の言葉が刻まれている。乗組員 たちが乗客を後回しにして われ先に脱出するのも、常識外のことと考えられ ている。2012年1月、イタリアで豪華客船 「コスタ・コンコルディア号」(4229人乗り)が 座礁して転覆し、乗客32人が死亡する事故が 起こったが、この船の船長は事故発生直後に脱出 していた。船長は過失致死などの容疑で 警察に逮捕され、検察は約300人の乗客を見捨て て逃亡した「職務放棄罪」を適用して起訴し、 裁判では乗客1人当たり約8年と計算して、懲役 2697年を求刑した。この事件の裁判は現在も続い ている。

ヤン・ジヘ記者

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/17/2014041701215.html