仏教のなかで言われる
「恨み心で恨みは解けない」という言葉です。
この一行の文句、これがわからない人が数多くいるのです。
苦しみ、悲しみ、病気、挫折、そういうもののなかに
自分があるとき、人はどうしても自分以外の
何かのせいにしてみたいという気持ちになります。
そして、その気持ちが、単に自分の本来あるべき姿から
逃げた姿勢であるだけではなく、もっと積極的に
他の人を恨むという感情となっておられる方もいます。
ごく自然な感情と言えばそれまでですが、
しかし、そのような思いをもってしては、
決して幸福になることはできません。
成功することもまたできないのです。
まず最初に、これを言っておきたいのです。
なぜであるか、おわかりでしょうか。
自分の心の傷、自分たちの心の傷を
ストレートに吐き出しているならば、
それで胸の内はすっきりとするように
思うかもしれませんが、
その実、そういう心でもって生きつづけるということは、
自分自身の魂が、知らず識らず、毎日、毎日、
砒素の毒とでもいうべき毒素を飲み続けることに
ほかならないのです。
正義の観点からいって自分の思いは
正義であると思うかもしれませんが、
残念ながら、
いかなる理由がそこにあるとしても、
人を恨むことによって絶対に
幸福にはなれないということになっているのです。
それは、その思いが、
その本質をつきつめたならば、
相手を不幸にしたいという気持ちだからです。
いかなる理由に基づくにせよ、
他の者を害したいという思いは、
神の心に反した思いなのです。
その思いは、単に相手に届くのみならず、
必ず自分自身に返ってくるようになっております。
それが法則なのです。
「人生の王道を語る」より
「恨み心で恨みは解けない」という言葉です。
この一行の文句、これがわからない人が数多くいるのです。
苦しみ、悲しみ、病気、挫折、そういうもののなかに
自分があるとき、人はどうしても自分以外の
何かのせいにしてみたいという気持ちになります。
そして、その気持ちが、単に自分の本来あるべき姿から
逃げた姿勢であるだけではなく、もっと積極的に
他の人を恨むという感情となっておられる方もいます。
ごく自然な感情と言えばそれまでですが、
しかし、そのような思いをもってしては、
決して幸福になることはできません。
成功することもまたできないのです。
まず最初に、これを言っておきたいのです。
なぜであるか、おわかりでしょうか。
自分の心の傷、自分たちの心の傷を
ストレートに吐き出しているならば、
それで胸の内はすっきりとするように
思うかもしれませんが、
その実、そういう心でもって生きつづけるということは、
自分自身の魂が、知らず識らず、毎日、毎日、
砒素の毒とでもいうべき毒素を飲み続けることに
ほかならないのです。
正義の観点からいって自分の思いは
正義であると思うかもしれませんが、
残念ながら、
いかなる理由がそこにあるとしても、
人を恨むことによって絶対に
幸福にはなれないということになっているのです。
それは、その思いが、
その本質をつきつめたならば、
相手を不幸にしたいという気持ちだからです。
いかなる理由に基づくにせよ、
他の者を害したいという思いは、
神の心に反した思いなのです。
その思いは、単に相手に届くのみならず、
必ず自分自身に返ってくるようになっております。
それが法則なのです。
「人生の王道を語る」より
