これより後、地上の人びとは、闇ということに対して、
恐れをいだいてはなりません。暗さということに関して、
おびえてはなりません。暗さというのは、
光の欠乏にしかすぎないのです。
私が天の岩戸隠れをしたときに、この地上が
闇に沈んだと伝わっております。
このことは、外なる天照が岩戸に隠れたがために、
地上が闇に沈んだということではないのです。
各人の心のなかにある天照の心が隠れたがために、
この地上が闇のなかへと沈んだということです。
私は、ひとりの独立した個性というよりも、
私を信ずるひとりひとりの日本人の心のなかに
生きているものです。
あなたが、光を思うとき、天照もまた、あなたの中(うち)に
あるのです。あなたの心が光を失ったとき、天照もまた、
あなたとともにはおりません。
岩戸隠れをしたということにもなりましょう。このように、
自らの心というものを深く見つめた際に、そこに闇のみを見るか、
光を見るかということが、地上の人びとが、神を見ているのか、
地底の悪魔のほうを見ているのかという差となるのです。
目の前に松明(たいまつ)をかかげたとしても、
両脇に広がる闇ばかりを見つめておっては、世界は
一向に明るくならぬのです。
自らの手でもって松明をかかげたならば、その松明を見つめなさい。
そこに、大いなる光というものを感じ取るでありましょう。
このように、人間というものは、
本来は輝いているものであるにもかかわらず、
永年の歴史のなかで、罪と汚辱(おじょく)とにまみれ、
自らを暗黒の存在のように考えてきておるのですの霊示からです。
「光の瞑想」 天照大神の霊示より
恐れをいだいてはなりません。暗さということに関して、
おびえてはなりません。暗さというのは、
光の欠乏にしかすぎないのです。
私が天の岩戸隠れをしたときに、この地上が
闇に沈んだと伝わっております。
このことは、外なる天照が岩戸に隠れたがために、
地上が闇に沈んだということではないのです。
各人の心のなかにある天照の心が隠れたがために、
この地上が闇のなかへと沈んだということです。
私は、ひとりの独立した個性というよりも、
私を信ずるひとりひとりの日本人の心のなかに
生きているものです。
あなたが、光を思うとき、天照もまた、あなたの中(うち)に
あるのです。あなたの心が光を失ったとき、天照もまた、
あなたとともにはおりません。
岩戸隠れをしたということにもなりましょう。このように、
自らの心というものを深く見つめた際に、そこに闇のみを見るか、
光を見るかということが、地上の人びとが、神を見ているのか、
地底の悪魔のほうを見ているのかという差となるのです。
目の前に松明(たいまつ)をかかげたとしても、
両脇に広がる闇ばかりを見つめておっては、世界は
一向に明るくならぬのです。
自らの手でもって松明をかかげたならば、その松明を見つめなさい。
そこに、大いなる光というものを感じ取るでありましょう。
このように、人間というものは、
本来は輝いているものであるにもかかわらず、
永年の歴史のなかで、罪と汚辱(おじょく)とにまみれ、
自らを暗黒の存在のように考えてきておるのですの霊示からです。
「光の瞑想」 天照大神の霊示より
