「豊かさと、潤い」
人間は、ともすれば、豊かさと、潤いというものを忘れがちです。
豊かさ それは、何とも言えない感慨です。あえて、
それを言葉に置き換えるならば、大自然と一体になったような
気持ちと言ってもよいでしょう。
潤いとは、たとえば雨上がり池の上の霧が晴れ上がり、
太陽の光が射し、草の葉にたまっていた雨の滴が、時間を置いて
落ちていき波紋をつくるとき、私たちは潤いというものを感じます。
一日の生活のなかにある、寂たる時間、静寂なる時間。
まるで永遠を感じさせるような、寂々たる時間。
その時間を持ち心を静めることが、潤いにつながっていくと
私は感じるのです。豊かさとは別の感覚です。
豊かさや潤いを生活のなかに取り込んでいくには、どうすれば
よいのでしょうか。
豊かな感覚、また、潤いのある時間。心は、その扉を開き、
無限の彼方へと梯子(はしご)を伸ばして、天空に架かる虹のように、
神の表現している大自然と、一体にならなくてはなりません。
このときに、人々は、ためらいも、衒(てら)いもなく、
主に祈ることが可能になるのです。
「限りなく優しくあれ」より
人間は、ともすれば、豊かさと、潤いというものを忘れがちです。
豊かさ それは、何とも言えない感慨です。あえて、
それを言葉に置き換えるならば、大自然と一体になったような
気持ちと言ってもよいでしょう。
潤いとは、たとえば雨上がり池の上の霧が晴れ上がり、
太陽の光が射し、草の葉にたまっていた雨の滴が、時間を置いて
落ちていき波紋をつくるとき、私たちは潤いというものを感じます。
一日の生活のなかにある、寂たる時間、静寂なる時間。
まるで永遠を感じさせるような、寂々たる時間。
その時間を持ち心を静めることが、潤いにつながっていくと
私は感じるのです。豊かさとは別の感覚です。
豊かさや潤いを生活のなかに取り込んでいくには、どうすれば
よいのでしょうか。
豊かな感覚、また、潤いのある時間。心は、その扉を開き、
無限の彼方へと梯子(はしご)を伸ばして、天空に架かる虹のように、
神の表現している大自然と、一体にならなくてはなりません。
このときに、人々は、ためらいも、衒(てら)いもなく、
主に祈ることが可能になるのです。
「限りなく優しくあれ」より
