「心にも装いを」
「よくそんな服を着てパーティーに出てきたな」などと、
人は服装のことについてはずいぶん言いますが、心の装い、
“心装”とでもいうべき事柄に対しては、なぜ
何も言わないのでしょうか。心の衣装が汚れたままで、
悟った人の前に出られるでしょうか。悟った人の目の前に立てば、
心の汚れは一目で見えてしまいます。
要するに、「心も、もっと装いをしなければいけない」と
私は言いたいのです。たとえ生地が英国製の素晴らしい
服であっても、クリーニングに出さなければ汚れていきます。
服でさえ、クリーニングに出し、洗濯をするのに、なぜ
心は洗濯 をせずに、汚れたままにしておくのでしょうか。
これを考えてみてください。
やはり、心も美しくしていく必要があるのです。
また、食器を毎日洗っているからこそ、食事がおいしく
食べられるのです。洗わない汚れたままの食器では、
食事がおいしくありません。いくらでも買い換えることの
できる食器であっても、毎日洗っているのに、
なぜ心は洗わないのでしょうか。
食器でさえ毎日洗っているのですから、自分の心も
毎日洗っていこうではありませか。
それを面倒だと思っている人は、おかしいのです。
なぜ、そうした恥ずかしい心でもって人に接し、偉そうに
自分の意見を言えるのでしょうか。こうした点を、
もっともっと反省してみる必要があります。
「不動心(202~204ページ)」より
「よくそんな服を着てパーティーに出てきたな」などと、
人は服装のことについてはずいぶん言いますが、心の装い、
“心装”とでもいうべき事柄に対しては、なぜ
何も言わないのでしょうか。心の衣装が汚れたままで、
悟った人の前に出られるでしょうか。悟った人の目の前に立てば、
心の汚れは一目で見えてしまいます。
要するに、「心も、もっと装いをしなければいけない」と
私は言いたいのです。たとえ生地が英国製の素晴らしい
服であっても、クリーニングに出さなければ汚れていきます。
服でさえ、クリーニングに出し、洗濯をするのに、なぜ
心は洗濯 をせずに、汚れたままにしておくのでしょうか。
これを考えてみてください。
やはり、心も美しくしていく必要があるのです。
また、食器を毎日洗っているからこそ、食事がおいしく
食べられるのです。洗わない汚れたままの食器では、
食事がおいしくありません。いくらでも買い換えることの
できる食器であっても、毎日洗っているのに、
なぜ心は洗わないのでしょうか。
食器でさえ毎日洗っているのですから、自分の心も
毎日洗っていこうではありませか。
それを面倒だと思っている人は、おかしいのです。
なぜ、そうした恥ずかしい心でもって人に接し、偉そうに
自分の意見を言えるのでしょうか。こうした点を、
もっともっと反省してみる必要があります。
「不動心(202~204ページ)」より
