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あれは、やはり投下すべきではなかった。
戦争中は、日本が憎き相手に見えていたので、
日本を負かすためなら何でも使う気持ちはあったけど、
戦後、長生きをして、あの世に還ったら、
「やはり落とす必要はなかったかなあ」
という気持ちは強い。

すでに、原爆の使用自体は、日米戦争が始まる以前から
検討を開始していたんだ。実際に投下される
二十年ぐらい前から“研究”が始まっていて、
理論的には「できる」ということが分かってはいた。
完成まで、どのくらいかかるかを見ていて、
いよいよ実験に成功したのでね。
 
「実戦で使えるかどうか、一度、試してみたかった」
ということはあったが、やはり、ドイツや
イタリアといえども、同じキリスト教国ではあるので、
さすがに、ヨーロッパの国に落とすのは、忍びなかった。
 
ヒトラーといえども、あそこもキリスト教の
プロテスタント系の国ではあったし、ソ連の侵攻を許して、
最後は、事実上、地上戦で、こちらが勝ったことに
はなっているわけだけど、落とすことはできなかったね。
落とそうと思えば落とすことはできたし、ベルリンは空襲で、
ほとんど廃墟になっていたことも事実ではあるんだけども、
やはり、「キリスト教国ではない日本のほうが
落としやすかった」というか、
「国民世論の理解は取りやすかった」ということかなあ。

『原爆投下は人類への罪か?』(30~34ページ)
トルーマンの霊言より