みなさんは「縁起の理法」という言葉を聞いたことがありますか?
「人」という字は、二つの束ねた麦わらが支え合って立っている姿をかたどったものだとも言われていますが、
この文字の形が示すとおり、人は相支えている存在です。
夫婦でも、親子でも、友人でも、あるいは職場においても、支え合って生きています。
これを「相依性(そうえせい)」といいます。
「人はお互いに依存し合って生きている存在だ」
ということを知らなくてはいけません。
人がこの世に生きるということは、この世の空間におけるお互いの関係論のなかを生きるということ、
すなわち、「空間縁起」のなかを生きるということにほかならないのです。
そして、人が支え合って生きているということは、
この世のなかに愛の原理が働いているということを意味しています。
人は、原因・結果の縦の連鎖のなか、時間の流れのなかにおいて、責任を持って生きなければならない存在、時間的縁起であると同時に、横の広がりである空間のなかにおいて、お互いに支え合って生きている存在でもあるのです。
要するに、空間縁起とは、
「重重無尽の人生である」ということなのです。
魚を獲る網は、縦と横のロープが結び合ってできています。
その十文字になっている結び目のところが、
いわば各人の個性の部分です。
それぞれの名前を持っている、この個性の部分が、
結び目のところに当たるわけです。
結び目は、一つひとつ別のものではありますが、
お互いに縦横の十文字をつくり、一つの網になって初めて、「魚を獲る」という使命を果たすことができます。
そのように、人間は、共同生活をしながら大きな使命を果たしているのであり、自分一人だけ、結び目一つだけでは仕事ができないのです。
この縦横に全宇宙的に結びついているものを、
「インドラの網」(帝釈網)ともいいます。
各人は、大きな網の一部であって、独立した個人でもありながら、
同時にすべてのものと結びついてもいるのです。
そして、その網をつくっているもの自体は、大宇宙の真理であり、
大宇宙の仏の心なのです。人は、全体のなかの一部でもあり、
一部でありながら全体でもあります。
一人でありながら一人ではなく、大勢でありながら、また個人でもあります。それが真実の人生なのです。
「大悟の法」より
「人」という字は、二つの束ねた麦わらが支え合って立っている姿をかたどったものだとも言われていますが、
この文字の形が示すとおり、人は相支えている存在です。
夫婦でも、親子でも、友人でも、あるいは職場においても、支え合って生きています。
これを「相依性(そうえせい)」といいます。
「人はお互いに依存し合って生きている存在だ」
ということを知らなくてはいけません。
人がこの世に生きるということは、この世の空間におけるお互いの関係論のなかを生きるということ、
すなわち、「空間縁起」のなかを生きるということにほかならないのです。
そして、人が支え合って生きているということは、
この世のなかに愛の原理が働いているということを意味しています。
人は、原因・結果の縦の連鎖のなか、時間の流れのなかにおいて、責任を持って生きなければならない存在、時間的縁起であると同時に、横の広がりである空間のなかにおいて、お互いに支え合って生きている存在でもあるのです。
要するに、空間縁起とは、
「重重無尽の人生である」ということなのです。
魚を獲る網は、縦と横のロープが結び合ってできています。
その十文字になっている結び目のところが、
いわば各人の個性の部分です。
それぞれの名前を持っている、この個性の部分が、
結び目のところに当たるわけです。
結び目は、一つひとつ別のものではありますが、
お互いに縦横の十文字をつくり、一つの網になって初めて、「魚を獲る」という使命を果たすことができます。
そのように、人間は、共同生活をしながら大きな使命を果たしているのであり、自分一人だけ、結び目一つだけでは仕事ができないのです。
この縦横に全宇宙的に結びついているものを、
「インドラの網」(帝釈網)ともいいます。
各人は、大きな網の一部であって、独立した個人でもありながら、
同時にすべてのものと結びついてもいるのです。
そして、その網をつくっているもの自体は、大宇宙の真理であり、
大宇宙の仏の心なのです。人は、全体のなかの一部でもあり、
一部でありながら全体でもあります。
一人でありながら一人ではなく、大勢でありながら、また個人でもあります。それが真実の人生なのです。
「大悟の法」より
