【地球を元気にする 赤心メルマガ】
☆幸福実現党・伊田信光の赤心一徹!☆
vol.72 2015年5月26日 発行
伊田信光 幸福実現党シニア局長
オフィシャルブログ
http://ida-shinkou.com/
※ このメルマガは購読申込をされた方、伊田信光とご縁のあった方にお送りしております。メルマガが不要な方は最下部のURLをクリックして解除して下さい。
1. 伊田信光の「われら幸福ひろげ隊」
【新・日本国憲法試案の学び(18)】
「『安い税金』と『政治参加の自由』を保障せよ」
今回は、試案の第十一条からの学びです。
[第十一条]「国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなければならない。」
政府は直ぐに肥大化します。それは、人間には、ポストを創って部下を増やしたがる傾向があるからですが、そのツケは、国民に対して、税金の増加となって現れます。
故に、試案では、「小さな政府を目指す」と明確に謳われているのです。それも、「常に」と言う事ですから、かなりの強力な力が働きます。
この意味は、「国民の裁量に任せる自由の領域を増やす」方向でいつも努力せよと言う事であり、それは、国民には、「自己責任の原則を基本的に持つべきである」と言うメッセージでもあるのです。
この「国民」には、拡大して、組織、法人、企業なども含むと考えてよいでしょう。
企業も基本的には、自助努力、自己責任を徹底し、さらに、国家と国民の間に入って、国民の幸福の追究に対して、可能な限り、責任を以て貰いたいという趣旨も含まれていると考えます。
即ち、国家の仕事は極力減らし、企業や国民が、今まで国家がやってきた仕事で肩代わりできるものがあれば、できるだけ、自分たちでやると言う事です。
そうしないと、国家の仕事は肥大化するばかりで、増税するしか道はなく、結果的に国民は苦しみます。
何が国家しかできない仕事なのか、何が個人や企業に委ねられる仕事なのか、「常に」考え、法律制定時にも判断するし、国は要らなくなった仕事をリストラし、可能な所から外部に任せていく努力を積み重ねなくてはならないのです。
その為に、法律の修正、改廃も含めて、リストラを専門的にする機関が設けられてもよいでしょう。
企業でできるものは企業で、個人でできるものは個人で努力すべきだと言うのが、大原則です。
「すべてを国に頼る」ような社会は、霊的視点からは良い社会ではありません。
努力や発展の喜びを失わせ、魂を堕落させ、国家を衰退させ、結果的に国民を不幸にするからです。
現実に、税金が沢山要るようになるのは良くありません。
[常に]という形で、憲法の中に「小さな政府」と[安い税金]を目指す努力規定を設ける事は、一つの防波堤になり、国家の繁栄の方向を担保する事になります。
これを実現する為には、政府が非効率な業務を徹底的にリストラし、経営をしっかりと国家運営に入れる必要があります。予算の単年度制等は愚の骨頂です。
その為に、国家公務員の採用においても、経営マインドを持った人材を採用するような試験制度や、中途採用の制度を積極的に取り入れるべきでしょう。
「国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない」と言う規定に対して、大川隆法総裁は、『新・日本国憲法試案』の中で、「独裁的な政府になることを防ぎ、『国民の政治参加の自由』を保障する為に、この一行を入れておきました。」と言われています。
二大政党制は、一旦創られてしまうと、新しい政党の参入が難しく、少数政党の意見が反映しにくい制度なので、現行制度は早く中選挙区制に戻すべきでしょう。
「政治参加の自由」の保障の規定を設けたのは、「自分達の運命を自分達で決める自由」という、仏の決められた超法規的自由を実行あらしめる為なのです。
「選択の自由」と「創造の自由」を遺憾なく発揮し、魂を輝かせながら、社会とも調和していける国家作りを可能にする為には、この「政治参加の自由」は必須のものなのです。
憲法の中に、政府が陥り易い弊害を見抜き、分かり易く、誰からもチェックが入れられる「小さな政府」と「安い税金」を目指し、「政治参加の自由」を保障する事を規定した事は、画期的な事です。
この規定を入れる事によって、全ての人にとって、政治が身近なものとなり、また、人間の原点を国家との関わりの中で宗教的に振り返り、国家と自分の幸福や繁栄を考え、実践する機会を与えたこの第十一条は、この上ない慈悲の表れであり、神の子人間の実践教育条項でもあると考えます。
静岡の政党大会に行ってきました。富士山がとても奇麗でした。
富士山は、中学校の卒業旅行の時に初めて見た時に、本当に感動し、今でもその時に書いた感想文を覚えているほどです。
富士山の美しさと威容に、目指すべき理想を観ていました。
今、富士山を見る時に、私は高天原を考えます。地球の未来を考えます。
高天原の再建の柱は信仰心の復活ですが、それは天之御祖神(あめのみおやがみ)でもある、主エル・カンターレを心柱にした御立て直しです。
世界各地で、地震が続いています。
箱根の大湧谷の地面も12センチ上がったという話も聞きます。
これをどのように捉え、どのように対処するのか、人類に問われています。
私は信仰心でしか、最終的に、富士山を守る事ができないのだと思います。
富士山は高天原の象徴であり、日本の象徴であり、日本精神の象徴です。
人知れず、命を捨てて、日本と世界の幸福実現の為に立ち上がる人が要ります。
この一連の「新・日本国憲法試案」の学びも、その祈りを込めて書き続けていくつもりです。
☆幸福実現党・伊田信光の赤心一徹!☆
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1. 伊田信光の「われら幸福ひろげ隊」
【新・日本国憲法試案の学び(18)】
「『安い税金』と『政治参加の自由』を保障せよ」
今回は、試案の第十一条からの学びです。
[第十一条]「国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなければならない。」
政府は直ぐに肥大化します。それは、人間には、ポストを創って部下を増やしたがる傾向があるからですが、そのツケは、国民に対して、税金の増加となって現れます。
故に、試案では、「小さな政府を目指す」と明確に謳われているのです。それも、「常に」と言う事ですから、かなりの強力な力が働きます。
この意味は、「国民の裁量に任せる自由の領域を増やす」方向でいつも努力せよと言う事であり、それは、国民には、「自己責任の原則を基本的に持つべきである」と言うメッセージでもあるのです。
この「国民」には、拡大して、組織、法人、企業なども含むと考えてよいでしょう。
企業も基本的には、自助努力、自己責任を徹底し、さらに、国家と国民の間に入って、国民の幸福の追究に対して、可能な限り、責任を以て貰いたいという趣旨も含まれていると考えます。
即ち、国家の仕事は極力減らし、企業や国民が、今まで国家がやってきた仕事で肩代わりできるものがあれば、できるだけ、自分たちでやると言う事です。
そうしないと、国家の仕事は肥大化するばかりで、増税するしか道はなく、結果的に国民は苦しみます。
何が国家しかできない仕事なのか、何が個人や企業に委ねられる仕事なのか、「常に」考え、法律制定時にも判断するし、国は要らなくなった仕事をリストラし、可能な所から外部に任せていく努力を積み重ねなくてはならないのです。
その為に、法律の修正、改廃も含めて、リストラを専門的にする機関が設けられてもよいでしょう。
企業でできるものは企業で、個人でできるものは個人で努力すべきだと言うのが、大原則です。
「すべてを国に頼る」ような社会は、霊的視点からは良い社会ではありません。
努力や発展の喜びを失わせ、魂を堕落させ、国家を衰退させ、結果的に国民を不幸にするからです。
現実に、税金が沢山要るようになるのは良くありません。
[常に]という形で、憲法の中に「小さな政府」と[安い税金]を目指す努力規定を設ける事は、一つの防波堤になり、国家の繁栄の方向を担保する事になります。
これを実現する為には、政府が非効率な業務を徹底的にリストラし、経営をしっかりと国家運営に入れる必要があります。予算の単年度制等は愚の骨頂です。
その為に、国家公務員の採用においても、経営マインドを持った人材を採用するような試験制度や、中途採用の制度を積極的に取り入れるべきでしょう。
「国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない」と言う規定に対して、大川隆法総裁は、『新・日本国憲法試案』の中で、「独裁的な政府になることを防ぎ、『国民の政治参加の自由』を保障する為に、この一行を入れておきました。」と言われています。
二大政党制は、一旦創られてしまうと、新しい政党の参入が難しく、少数政党の意見が反映しにくい制度なので、現行制度は早く中選挙区制に戻すべきでしょう。
「政治参加の自由」の保障の規定を設けたのは、「自分達の運命を自分達で決める自由」という、仏の決められた超法規的自由を実行あらしめる為なのです。
「選択の自由」と「創造の自由」を遺憾なく発揮し、魂を輝かせながら、社会とも調和していける国家作りを可能にする為には、この「政治参加の自由」は必須のものなのです。
憲法の中に、政府が陥り易い弊害を見抜き、分かり易く、誰からもチェックが入れられる「小さな政府」と「安い税金」を目指し、「政治参加の自由」を保障する事を規定した事は、画期的な事です。
この規定を入れる事によって、全ての人にとって、政治が身近なものとなり、また、人間の原点を国家との関わりの中で宗教的に振り返り、国家と自分の幸福や繁栄を考え、実践する機会を与えたこの第十一条は、この上ない慈悲の表れであり、神の子人間の実践教育条項でもあると考えます。
静岡の政党大会に行ってきました。富士山がとても奇麗でした。
富士山は、中学校の卒業旅行の時に初めて見た時に、本当に感動し、今でもその時に書いた感想文を覚えているほどです。
富士山の美しさと威容に、目指すべき理想を観ていました。
今、富士山を見る時に、私は高天原を考えます。地球の未来を考えます。
高天原の再建の柱は信仰心の復活ですが、それは天之御祖神(あめのみおやがみ)でもある、主エル・カンターレを心柱にした御立て直しです。
世界各地で、地震が続いています。
箱根の大湧谷の地面も12センチ上がったという話も聞きます。
これをどのように捉え、どのように対処するのか、人類に問われています。
私は信仰心でしか、最終的に、富士山を守る事ができないのだと思います。
富士山は高天原の象徴であり、日本の象徴であり、日本精神の象徴です。
人知れず、命を捨てて、日本と世界の幸福実現の為に立ち上がる人が要ります。
この一連の「新・日本国憲法試案」の学びも、その祈りを込めて書き続けていくつもりです。