【地球を元気にする 赤心メルマガ】
☆幸福実現党・伊田信光の赤心一徹!☆
vol.71 2015年5月19日 発行
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伊田信光 幸福実現党シニア局長
オフィシャルブログ
http://ida-shinkou.com/
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1. 伊田信光の「われら幸福ひろげ隊」
【新・日本国憲法試案の学び(17)】
「法律の目的は『自由の確保』にあり」
今回は、第十条からの学び、特に「自由」について、深めてみたいと思います。
[第十条]「国民には機会の平等と、法律に反しない範囲でのあらゆる自由を保障する。」
まず、強く「機会平等」を打ち出しています。これは、「結果平等」を採用しないと言う事の裏返しでもあります。
「結果平等」は、基本的に共産主義社会になり、個人の創意工夫、自助努力の精神、起業家精神は失われていきます。
個人が何十年間努力しても、その努力は評価せず、結果平等にする社会では、働く意欲はなくなります。
努力、能力、工夫の差で、結果の差がつくのは当然であり、価値を生み出す人間の能力、生産性には、歴然とした違いがあります。
富に換算すれば、何万倍、何十万倍、それ以上の差がつく事だってあります。
それを無視して結果平等にしようとするのは、強制力を以てすれば物理的には可能ではありますが、不幸な社会が現れるのは必然です。
誰も自分の力を発揮しようとせず、結局、「貧しさの平等」が現れるだけです。
結果平等を追い求めて、豊かさの平等を実現できた事など、人類史上一度もありません。
これは、人間は霊であり、仏性がその本質である事。
仏性の性質として、創造性を発揮して発展繁栄を目指す事。
また、大宇宙そのものが発展繁栄の方向に動いている事等の基本的な仏法真理から観ると、「結果平等」は人間の本質上は絶対に無理な事なのです。
むしろ、努力工夫によって差が出るという「公平の原理」は、人間にとって幸福であり喜びでもあるのです。
自助努力に応じて、未来を切り拓き、異なった未来を築き上げられる事は、自分の力で運命を変える事ができるという「希望の原理」「幸福哲学」になるのです。
それを封じる「結果平等」の思想も社会システムも、人間を不幸にし、堕落させ、退化に向わせて、結果的には魂を腐らせてしまう事になるのです。
仏神が尊び目指す「平等」は、「機会の平等」「チャンスの平等」なのです。
また、「法律に反しない範囲でのあらゆる自由を保障する。」という意味は、日本国憲法で規定されてきた様々な自由、例えば「表現の自由」「言論の自由」「出版の自由」「結社の自由」等、基本的に全ての自由を保障すると言う事です。
これは「自由」については、最大限の保障をしようという趣旨です。
それは、試案前文にあるように、人間は神の子仏の子であり、選択の自由と創造の自由は、憲法以前に仏神から授けられた神の子の基本的人権だと考えるからです。
根本仏は「我の如くなれ」という意志の基に魂を創造しました。
根本仏は自由自在です。
ですから、分け御霊である魂の持つ本質的機能の自由性を奪い取る事はできないので、「自由」には最大限の敬意と尊重の念を表わしているのです。
実際には、法律は増えて行く一方なので、リストラをかけて、要らない法律はできるだけ排除し、最小限に止めなくてはなりません。
そして、法律を守っている限り、国民は何をしても自由であるというスタンスを取っているのです。
ここには「法律とは、人間を取り締まって動けなくする為にあるのではなく、自由を確保する為にある。法律さえ守っていれば、あとは何をしても構わない。
自由の幅を提示するのが法律の仕事なのだ」というハイエク流の考え方があります。
法律は国民から選ばれた国会議員が制定するので、その国会議員が自分達を抑圧するような法律を創るのなら、それは自業自得として国民は受け止めるべきです。
それが問題ならば、その議員を次の選挙で落とし、法律を改正すれば良いのです。
法律は、「法家の思想」のように人間を縛るものではなく、仏法真理を反映したもので、人間を自由(解脱)に導くものであるべきだと考えます。
ですから、憲法も法律もできるだけスリム化し、その内容もそれを定める事によって、却って自由が促進されるものにすべきだと考えます。
これは横断歩道や交通規則を定める事で、多くの人が自由に動けるようになるようなものです。
日本には、まだまだ“お上”の思想が根強くあり、何でも役所が取り締まらなければならないような考え方がありますが、そろそろ、神の子の思想を啓蒙し、責任を以て各人が行動する社会を築いていくべきだと思います。
それは、第一条で「世界平和実現の為に、積極的にその建設に努力する」事を求められている国民としては、向うべき方向です。
とにかく、最大限「自由」を尊重する為には、法律は少ない方がよく、基本的な事だけを示しておけばよいと考えます。
2. あとがき
いつも、拙い論考を御読み頂き、本当にありがとうございます。
眼に見えないご協力を頂きながら、毎日、物事が進んでいます。
感謝、感謝の毎日です。
霊速と言う言葉がありますが、これを実感してみると、この世的な進め方は、スローモーションのように視えます。
もちろん、この世的な努力は必要ですが、自我我欲で頑張っては、救世の事業、光の仕事は一つも進まないばかりでなく、後退さえしてしまいます。
それを実感したので、“頑張る”のをやめました。
現状より、1.5倍や2倍の仕事をする事は苦しく、難しい事ですが、10倍、100倍の仕事なら却ってできると言う事だってあるのだと思います。
それには、組織仕事が必要ですが、その組織仕事は、基本的に霊界も含んだ組織仕事だと考えます。
赤坂のユートピア活動推進館で行なっている『理想のNo.2の条件』という研修は、霊的組織仕事をする理想的なあり方を示しています。
ぜひ、皆様に受講する事をお勧めします。
☆幸福実現党・伊田信光の赤心一徹!☆
vol.71 2015年5月19日 発行
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伊田信光 幸福実現党シニア局長
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1. 伊田信光の「われら幸福ひろげ隊」
【新・日本国憲法試案の学び(17)】
「法律の目的は『自由の確保』にあり」
今回は、第十条からの学び、特に「自由」について、深めてみたいと思います。
[第十条]「国民には機会の平等と、法律に反しない範囲でのあらゆる自由を保障する。」
まず、強く「機会平等」を打ち出しています。これは、「結果平等」を採用しないと言う事の裏返しでもあります。
「結果平等」は、基本的に共産主義社会になり、個人の創意工夫、自助努力の精神、起業家精神は失われていきます。
個人が何十年間努力しても、その努力は評価せず、結果平等にする社会では、働く意欲はなくなります。
努力、能力、工夫の差で、結果の差がつくのは当然であり、価値を生み出す人間の能力、生産性には、歴然とした違いがあります。
富に換算すれば、何万倍、何十万倍、それ以上の差がつく事だってあります。
それを無視して結果平等にしようとするのは、強制力を以てすれば物理的には可能ではありますが、不幸な社会が現れるのは必然です。
誰も自分の力を発揮しようとせず、結局、「貧しさの平等」が現れるだけです。
結果平等を追い求めて、豊かさの平等を実現できた事など、人類史上一度もありません。
これは、人間は霊であり、仏性がその本質である事。
仏性の性質として、創造性を発揮して発展繁栄を目指す事。
また、大宇宙そのものが発展繁栄の方向に動いている事等の基本的な仏法真理から観ると、「結果平等」は人間の本質上は絶対に無理な事なのです。
むしろ、努力工夫によって差が出るという「公平の原理」は、人間にとって幸福であり喜びでもあるのです。
自助努力に応じて、未来を切り拓き、異なった未来を築き上げられる事は、自分の力で運命を変える事ができるという「希望の原理」「幸福哲学」になるのです。
それを封じる「結果平等」の思想も社会システムも、人間を不幸にし、堕落させ、退化に向わせて、結果的には魂を腐らせてしまう事になるのです。
仏神が尊び目指す「平等」は、「機会の平等」「チャンスの平等」なのです。
また、「法律に反しない範囲でのあらゆる自由を保障する。」という意味は、日本国憲法で規定されてきた様々な自由、例えば「表現の自由」「言論の自由」「出版の自由」「結社の自由」等、基本的に全ての自由を保障すると言う事です。
これは「自由」については、最大限の保障をしようという趣旨です。
それは、試案前文にあるように、人間は神の子仏の子であり、選択の自由と創造の自由は、憲法以前に仏神から授けられた神の子の基本的人権だと考えるからです。
根本仏は「我の如くなれ」という意志の基に魂を創造しました。
根本仏は自由自在です。
ですから、分け御霊である魂の持つ本質的機能の自由性を奪い取る事はできないので、「自由」には最大限の敬意と尊重の念を表わしているのです。
実際には、法律は増えて行く一方なので、リストラをかけて、要らない法律はできるだけ排除し、最小限に止めなくてはなりません。
そして、法律を守っている限り、国民は何をしても自由であるというスタンスを取っているのです。
ここには「法律とは、人間を取り締まって動けなくする為にあるのではなく、自由を確保する為にある。法律さえ守っていれば、あとは何をしても構わない。
自由の幅を提示するのが法律の仕事なのだ」というハイエク流の考え方があります。
法律は国民から選ばれた国会議員が制定するので、その国会議員が自分達を抑圧するような法律を創るのなら、それは自業自得として国民は受け止めるべきです。
それが問題ならば、その議員を次の選挙で落とし、法律を改正すれば良いのです。
法律は、「法家の思想」のように人間を縛るものではなく、仏法真理を反映したもので、人間を自由(解脱)に導くものであるべきだと考えます。
ですから、憲法も法律もできるだけスリム化し、その内容もそれを定める事によって、却って自由が促進されるものにすべきだと考えます。
これは横断歩道や交通規則を定める事で、多くの人が自由に動けるようになるようなものです。
日本には、まだまだ“お上”の思想が根強くあり、何でも役所が取り締まらなければならないような考え方がありますが、そろそろ、神の子の思想を啓蒙し、責任を以て各人が行動する社会を築いていくべきだと思います。
それは、第一条で「世界平和実現の為に、積極的にその建設に努力する」事を求められている国民としては、向うべき方向です。
とにかく、最大限「自由」を尊重する為には、法律は少ない方がよく、基本的な事だけを示しておけばよいと考えます。
2. あとがき
いつも、拙い論考を御読み頂き、本当にありがとうございます。
眼に見えないご協力を頂きながら、毎日、物事が進んでいます。
感謝、感謝の毎日です。
霊速と言う言葉がありますが、これを実感してみると、この世的な進め方は、スローモーションのように視えます。
もちろん、この世的な努力は必要ですが、自我我欲で頑張っては、救世の事業、光の仕事は一つも進まないばかりでなく、後退さえしてしまいます。
それを実感したので、“頑張る”のをやめました。
現状より、1.5倍や2倍の仕事をする事は苦しく、難しい事ですが、10倍、100倍の仕事なら却ってできると言う事だってあるのだと思います。
それには、組織仕事が必要ですが、その組織仕事は、基本的に霊界も含んだ組織仕事だと考えます。
赤坂のユートピア活動推進館で行なっている『理想のNo.2の条件』という研修は、霊的組織仕事をする理想的なあり方を示しています。
ぜひ、皆様に受講する事をお勧めします。