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サクラ、サクラ、咲く――ぺリリュー島[HRPニュースファイル1315]
http://hrp-newsfile.jp/2015/2106/

パラオの植民地の歴史は、1885年にスペイン、続いて1899年にはドイツの植民地となり、第一次世界大戦で1914年日本軍がドイツ軍を降伏させ、1920年戦後処理をするパリ講和会議で国際連盟から日本の委任統治が認められました。

ペリリュー島は、日本にとって、フィリピン防衛の要のとされ、東洋最大といわれる飛行場を建設しているところでもありました。

日本軍は統治した国の人々を決して奴隷のように扱ったりはしませんでした。
学校、病院の建設や、インフラ整備、マグロ缶詰工場や農場をつくり、現地の人に技術を教え、雇用を創出しました。

同時に日本語による教育も開始されましたが、現地の児童や教師の負担を考え、実習科目を減らす配慮もするほど、現地の人々を家族のように大切にしました。

日本軍は米軍の前に玉砕しましたが、帰島した島民は、日本人の遺体を見て泣き、遺体を葬り、墓を維持しました。

1982年には、地元の協力を得て、ペリリュー神社が建立されています。
そこにある石碑にはミニッツ提督の詩が刻まれています。

「諸国から訪ねる旅人たちよ、この島を守るために日本人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」

そして1881年パラオ共和国が誕生したとき、日本軍人ペリリュー島守備隊を讃える歌が島民によってつくられました。
8番まであるこの歌の6番と8番をお伝えします。

六 平和と自由の尊さを
  身を鴻(こな)にしてこの島に
  教えて散りし桜花
  今では平和が甦る

八 戦友遺族の皆さまに
  永遠(いついつ)までもかわりなく
  必ず我等は待ち望む
  桜とともに皆様を

【参考】
パラオ諸島ペリリュー島 守備隊長 中川州男大佐の霊言―― 隠された“日米最強決戦”の真実 
大川隆法 著/幸福の科学出版
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435

「パラオ共和国に今でも残る『大和魂』2014.10.12」
http://hrp-newsfile.jp/2014/1761/