今年も東大合格者(前期分)が発表された。週刊 誌各誌はこぞって「高校別」の合格者ランキング 企画を組む。このときが1年でいちばん売れるの だそうだ。いかにも学歴好きな国民性にも思える が、これは日本だけの傾向ではない。イギリスで も、オックスフォードやケンブリッジにどこの高 校から何人が入学したという話題が、タブロイド 紙の鉄板企画である。
3月12日発売の『サンデー毎日』2015年3月22日 号(毎日新聞社)によれば、東大合格者をたくさ ん出した高校トップ5の顔ぶれはおなじみの面々 だ。
トップ10までを見ても、圧倒的に中高一貫校が多 い。これに対して、「中高一貫校は中学のうちか ら高校の内容までを先取り教育できるから有利な のは当然であり、フェアではない」という批判が ときどきある。
しかし、この批判は的を射てはいない。
中高一貫校の利点は先取り教育ではない 中高一貫校では、高校受験がない分、中学生のう ちは、目先の1点、2点にとらわれるような勉強を しなくていい。理科では実験に時間をかけ、社会 ではフィールドワークやディスカッション、レ ポート作成に時間をかけられる。数学で、ひとつ の証明問題にじっくり取り組むこともできる。点 数を取るための英語ではなく、使える英語を身に つけるための反復練習をする時間的余裕もある。 「真のゆとり教育」が実践されているのだ。
「真のゆとり教育」によって身につく骨太な学力 の土台があるから、高校の最後で、大学入試のた めの勉強を始めたときに、高い学力を積み上げや すい。中高一貫校では、単純に「先取り教育」を しているわけではない。受験に特化したスキルを 与えているのではない。むしろ「名門校」と呼ば れるような学校ほど、教養主義を貫く学校が多 い。
ちなみに広辞苑によれば、「教養」とは、「単な る学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得 し、それによって個人が身につけた創造的な理解 力や知識」のことである。
たとえば、灘(兵庫県)。私立中高一貫校として は珍しく週5日制で授業時間数が少ない。その代 わり土曜日には「土曜講座」が開催される。そこ ではたとえば、「ギリシャの三題作図不可能問 題」といわれる数学の問題について、折り紙を 使って解くというようなアカデミックな講座が実 施される。
麻布(東京都)も同様に、土曜日に「教養総合」 を開催する。そこではたとえば、「うさぎ追い し、かの山……」で始まり日本の原風景を表現す る唱歌「ふるさと」の4番を作詞する。「現在の 日本の原風景とは何か?」という問いである。高 層ビルの夜景について、「その中には過労死寸前 にまで働いている人たちがいることを考えれば、 美しくは見えない」などと、辛辣なメッセージを 含む歌詞が登場したりもする。
女子学院(東京都)では「聖書」の時間に、キリ スト教の歴史のみならず、世界中の宗教や哲学・ 思想の変遷についても学ぶ。昨今の世界情勢につ いても、もちろん触れる。まさにユニバーサルな 教養を身につけられる。その知識を礎に、2泊3日 の討論合宿を開いたりもする。
「本物に触れる教育」を旨とする武蔵(東京都) では、たとえば地学の時間、鉱石のサンプル作成 に膨大な時間をかける。既製品を買ってしまう代 わりに、半年以上、ひたすら鉱石を研磨剤で磨 き、顕微鏡で見るためのプレパラートを自作する のだ。そのプロセスの中で、一生忘れない、科学 者的な感覚を身につける。
詳しくは拙著『名門校とは何か? 人生を変える学 舎の条件』(朝日新聞出版、税抜860円)に記し た。
最近、政府の教育再生実行会議は、アカデミック な教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が 求める「即戦力」となる人材を育てることを首相 に提言した。「教養などいらない」と言っている わけではなかろうが、舵取りを誤れば危険だ。
大学生が職業に直結するスキルを身につければ、 企業にとってはたしかに「即戦力」になる。しか しスキルはすぐに陳腐化する。だから社会人に なっても「学び直し」ができる制度も整備すると いう。新しいスキルを随時学ぶことができるよう にするのだ。
一見すばらしいが、まるでスマホのアプリを更新 する仕組みのようにも見える。不具合が目立って きたら更新する。いつまでもそうやって、「与え られる」スキルによって生きていくしかない。受 動的である。更新サービスが打ち切られたら、お しまいだ。
一方、教養を身につけるとは、自分自身で感じて 考えるための素材を豊富に持っているということ である。「これからはこんなスキルが必要か」を 自分で考えることができる。さらに「どうやった らそのスキルを身につけることができそうか」も 自分で見いだすことができる。「与えられる」の を待たなくていい。自立的に成長できるようにな る。
教育とは、スマホのアプリのようなスキルを子ど もに与えることではない。自分で自分を育ててい く能力の開発、すなわち教養を育てることこそ が、教育の要諦だ。そのことは文部科学省自身も 「生きる力」として認めているはず。産業界だっ て、スキルをインストールされるのを待っている 人材よりも、時代に応じて柔軟に自立的に成長し てくれる人材のほうが欲しいはずだ。それなの に、言っていることとやっていることがちぐはぐ なのである。
「人材育成」と「教育」は似て非なるもの 『名門校とは何か?』(朝 日新聞出版)人気シリーズ 『男子校という選択』『女 子校という選択』『中学受 験という選択』『進学塾と いう選択』の筆者が、全国 有数の名門校を徹底的に取 材し、学校とは何か」「教 育とは何か」というテーマ に迫った新刊
学校での「即戦力」育成は、日本の産業界の積年 の望みだ。特に経済が急成長した時期には必ずと いっていいほど「実業学校」というような構想が 登場している。しかし長続きはしない。結局、世 の中のニーズがないのである。
今すぐに必要とされるスキルを与えることに主眼 を置いた「人材育成機関」が登場することに反対 なのではない。むしろ多様な学びの場のひとつと しては歓迎したい。そういう学びの場が増えるこ とで、結果的に大学が減るのであれば、それは仕 方がない。
しかし教養を受け継ぐ場として進化してきた大学 を、意図的に「人材育成機関」に置き換えてし まったら、社会的損失は計り知れない。あとから 元に戻そうとしても取り返しはつかない。学校は コンピュータやロボットのようなものではなく、 生き物であるからだ。一度切り倒してしまった大 木を蘇生できないのと同じだ。
「人材育成」は目的ありき。「教育」は子どもあ りき。2つは似て非なるもの。それらを峻別せず に進められる議論は危険である。

3月12日発売の『サンデー毎日』2015年3月22日 号(毎日新聞社)によれば、東大合格者をたくさ ん出した高校トップ5の顔ぶれはおなじみの面々 だ。
トップ10までを見ても、圧倒的に中高一貫校が多 い。これに対して、「中高一貫校は中学のうちか ら高校の内容までを先取り教育できるから有利な のは当然であり、フェアではない」という批判が ときどきある。
しかし、この批判は的を射てはいない。
中高一貫校の利点は先取り教育ではない 中高一貫校では、高校受験がない分、中学生のう ちは、目先の1点、2点にとらわれるような勉強を しなくていい。理科では実験に時間をかけ、社会 ではフィールドワークやディスカッション、レ ポート作成に時間をかけられる。数学で、ひとつ の証明問題にじっくり取り組むこともできる。点 数を取るための英語ではなく、使える英語を身に つけるための反復練習をする時間的余裕もある。 「真のゆとり教育」が実践されているのだ。
「真のゆとり教育」によって身につく骨太な学力 の土台があるから、高校の最後で、大学入試のた めの勉強を始めたときに、高い学力を積み上げや すい。中高一貫校では、単純に「先取り教育」を しているわけではない。受験に特化したスキルを 与えているのではない。むしろ「名門校」と呼ば れるような学校ほど、教養主義を貫く学校が多 い。
ちなみに広辞苑によれば、「教養」とは、「単な る学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得 し、それによって個人が身につけた創造的な理解 力や知識」のことである。
たとえば、灘(兵庫県)。私立中高一貫校として は珍しく週5日制で授業時間数が少ない。その代 わり土曜日には「土曜講座」が開催される。そこ ではたとえば、「ギリシャの三題作図不可能問 題」といわれる数学の問題について、折り紙を 使って解くというようなアカデミックな講座が実 施される。
麻布(東京都)も同様に、土曜日に「教養総合」 を開催する。そこではたとえば、「うさぎ追い し、かの山……」で始まり日本の原風景を表現す る唱歌「ふるさと」の4番を作詞する。「現在の 日本の原風景とは何か?」という問いである。高 層ビルの夜景について、「その中には過労死寸前 にまで働いている人たちがいることを考えれば、 美しくは見えない」などと、辛辣なメッセージを 含む歌詞が登場したりもする。
女子学院(東京都)では「聖書」の時間に、キリ スト教の歴史のみならず、世界中の宗教や哲学・ 思想の変遷についても学ぶ。昨今の世界情勢につ いても、もちろん触れる。まさにユニバーサルな 教養を身につけられる。その知識を礎に、2泊3日 の討論合宿を開いたりもする。
「本物に触れる教育」を旨とする武蔵(東京都) では、たとえば地学の時間、鉱石のサンプル作成 に膨大な時間をかける。既製品を買ってしまう代 わりに、半年以上、ひたすら鉱石を研磨剤で磨 き、顕微鏡で見るためのプレパラートを自作する のだ。そのプロセスの中で、一生忘れない、科学 者的な感覚を身につける。
詳しくは拙著『名門校とは何か? 人生を変える学 舎の条件』(朝日新聞出版、税抜860円)に記し た。
最近、政府の教育再生実行会議は、アカデミック な教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が 求める「即戦力」となる人材を育てることを首相 に提言した。「教養などいらない」と言っている わけではなかろうが、舵取りを誤れば危険だ。
大学生が職業に直結するスキルを身につければ、 企業にとってはたしかに「即戦力」になる。しか しスキルはすぐに陳腐化する。だから社会人に なっても「学び直し」ができる制度も整備すると いう。新しいスキルを随時学ぶことができるよう にするのだ。
一見すばらしいが、まるでスマホのアプリを更新 する仕組みのようにも見える。不具合が目立って きたら更新する。いつまでもそうやって、「与え られる」スキルによって生きていくしかない。受 動的である。更新サービスが打ち切られたら、お しまいだ。
一方、教養を身につけるとは、自分自身で感じて 考えるための素材を豊富に持っているということ である。「これからはこんなスキルが必要か」を 自分で考えることができる。さらに「どうやった らそのスキルを身につけることができそうか」も 自分で見いだすことができる。「与えられる」の を待たなくていい。自立的に成長できるようにな る。
教育とは、スマホのアプリのようなスキルを子ど もに与えることではない。自分で自分を育ててい く能力の開発、すなわち教養を育てることこそ が、教育の要諦だ。そのことは文部科学省自身も 「生きる力」として認めているはず。産業界だっ て、スキルをインストールされるのを待っている 人材よりも、時代に応じて柔軟に自立的に成長し てくれる人材のほうが欲しいはずだ。それなの に、言っていることとやっていることがちぐはぐ なのである。
「人材育成」と「教育」は似て非なるもの 『名門校とは何か?』(朝 日新聞出版)人気シリーズ 『男子校という選択』『女 子校という選択』『中学受 験という選択』『進学塾と いう選択』の筆者が、全国 有数の名門校を徹底的に取 材し、学校とは何か」「教 育とは何か」というテーマ に迫った新刊
学校での「即戦力」育成は、日本の産業界の積年 の望みだ。特に経済が急成長した時期には必ずと いっていいほど「実業学校」というような構想が 登場している。しかし長続きはしない。結局、世 の中のニーズがないのである。
今すぐに必要とされるスキルを与えることに主眼 を置いた「人材育成機関」が登場することに反対 なのではない。むしろ多様な学びの場のひとつと しては歓迎したい。そういう学びの場が増えるこ とで、結果的に大学が減るのであれば、それは仕 方がない。
しかし教養を受け継ぐ場として進化してきた大学 を、意図的に「人材育成機関」に置き換えてし まったら、社会的損失は計り知れない。あとから 元に戻そうとしても取り返しはつかない。学校は コンピュータやロボットのようなものではなく、 生き物であるからだ。一度切り倒してしまった大 木を蘇生できないのと同じだ。
「人材育成」は目的ありき。「教育」は子どもあ りき。2つは似て非なるもの。それらを峻別せず に進められる議論は危険である。
