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「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
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■  誇りある日本の歴史「沖縄戦」と「沖縄県祖国復帰」(前半)


■全国の若者の命を賭して戦った「沖縄戦」
 
 「沖縄戦」というと一般的に「沖縄の悲劇」というイメージがあります。

確かに、沖縄戦は人類史上最大ともいえる激戦で、日米双方で合計24万人以上もの方が亡くなりました。

そのうち、沖縄県民だけで15万人以上の方が戦死しました。

しかし、戦死したのは沖縄県民だけではありません。

沖縄県外の46都道府県出身の戦死者を合計すると77,166名にのぼります。

その中で最も戦死者が多い都道府県は、最も沖縄から離れている北海道です。

また、77,166名の中には当然、九州から沖縄に向かって飛び立っていった特攻隊員も含まれています。

更に沖縄に建設された米軍飛行場に着陸し破壊活動を行った義烈空挺隊の隊員も含まれています。

玉砕した愛媛県松山市の第22連帯も含まれています。これらの事実を知ったならば、沖縄県民は「捨て石になった」などと言うことが出来ないどころか、北海道や愛媛県に足を向けて寝ることができなくなるはずです。

しかし、沖縄の学校やマスコミでは、そのような事実を完全に無視し、「沖縄県民は本土防衛の捨て石とされた」と教え込んでいます。

本当に沖縄を捨て石にするというのなら、何故特攻隊員は片道燃料だけを積んで沖縄に向かって飛んでいったのでしょうか?

それは、日本の国土である沖縄県を守るため以外にはありえません。

全国の若者が祖国防衛のために若き命を捧げて戦った沖縄戦は日本民族の存亡をかけて総力をあげて戦った本土決戦であり、沖縄は日本民族にとって聖地といっても過言でない地なのです。

即ち、沖縄戦というのは、「沖縄の悲劇」ではなく、「沖縄が聖地となった日本の歴史」なのです。


■沖縄戦の比類なき特徴:官軍民一体となっての祖国防衛の遂行
 次に、沖縄戦の特徴を確認して見たいと思います。書籍「嗚呼沖縄戦の学徒隊」の序文に名分にて沖縄戦の特徴を説明されていますので抜粋にて紹介させていただきます。

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<金城和彦著「嗚呼沖縄戦の学徒隊」 序文より抜粋>
 沖縄戦の比類なき特徴は、軍官民一体となっての祖国防衛戦の遂行であり、とりわけ健気な中学生や可憐な女学生を中核とする学徒隊が、正式に兵士や軍属(従軍看護婦)の任務に就いて、暴風雨の如き砲弾撃下、鬼神をも哭かせる悲壮な奮闘の末に、その大半の者がおしみても余りある若き生命を祖国に捧げたことである。
 沖縄戦のあまりにも多い尊い犠牲は、しかし、日本を存亡の危機の縁から救い出すことになった。以前の硫黄島での戦いと同様に、沖縄戦での自軍の損害の甚大に驚き、連合軍は、遠からず発動される予定の日本本土への全面的な侵攻作戦に、懸念と憂慮を深めた。スチムソン米陸軍長官は「死傷者百万人以上、必要兵力五百万」と予測して政府に警告した。まもなく、連合国がかねて意図していた日本の無条件降伏の実現は断念され、ポツダム宣言という形態での「有条件終戦」の提案が、日本に対して行われ、こうして講話への道が開かれた。
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 沖縄戦の特徴を説明するキーワードあえて二つに絞り込むとするなら、「官軍民一体」と「学徒隊」の二つの言葉になるかと思います。つまり、学徒隊を含む沖縄県民が一丸となって祖国防衛戦を遂行したからこそ、米軍の計画や予想を覆して、3ヶ月もの長い間戦うことが出来たのです。そして、その戦いこそ米軍の本土上陸作戦を阻止し、米国から「有条件降伏」を引き出したのです。


■   日本海軍 沖縄県軍司令官 大田実少将 最後の打電
 このような沖縄県民の日本軍の作戦行動への献身的奉公を見ていた太田海軍司令官が自決前に海軍次官宛に送ったのが有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文です。

口語訳を全文紹介致します。

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【電文現代語訳】
昭和20年6月6日 20時16分
次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、32軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。
沖縄に敵の攻撃が始って以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。
しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。
看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。
これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに(不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。
沖縄の実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。 沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。
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