元琉球朝日放送の三上智恵氏がつくったドキュメ ンタリー映画『標的の村』には、私にとって忘れ がたいシーンがいくつもある。例えば、高江ヘリ パッド建設に反対して座り込む人々と、それを排 除しようとする沖縄県警の若い警察官たちが対立 するシーンで、いつまで私たちウチナンチュ同士 で対立を続けるのかと叫ぶ女性の姿だ。もういい かげんにやめようという悲憤が漲った言葉は、言 葉を投げかけられた側の警察官たちにもちろん聞 こえているはずだ。警察官たる彼らは座り込む 人々をごぼう抜きしていくのが職務であるのは当 然なのだが、彼らの心中はどういったものなのだ ろうかと私は思った。彼らはロボットではない。 感情のある人間だ。

あるいは、工事を強行しようとして地元の建設業 者が、妨害のために座り込む若者にむかって、ヤ マントンチュは関係ないから帰れという意味の言 葉を言い放つシーンも強烈な印象を残した。座り 込む若い男性は「内地」から運動の応援に来てい るのか、移住してきたのかはわからないが、怒鳴 りつけた建設業者の言葉には、沖縄の苦悩がヤマ トから来たオマエにわかるはずがないという憎し みと諦めが入り交じっているように私には聞こえ た。先の大戦の唯一の地上戦で多大な犠牲者を出 し、アメリカの占領下に長年置かれ、いまも米軍 基地を押しつけられている沖縄では、県民がアメ リカや日本政府の施策によっていろいろなかたち で「分断」され続けている。そのことをどれほど わかっているのかという苛立ちのようにも聞こえ てしまった。

私は沖縄と「内地」を往復する生活をかれこれ 7~8年続けている。那覇市内に仕事場をこしらえ て「半移住者」的な生活をしながら、沖縄のあち こちへ人に会いに行ったり、現場を見に行った り、公文書館で資料を漁ったりという日々を送っ てきた。そうした生活の中で、さきのようなヤマ ト=内地に対する「苛立ち」に遭遇することは決 してめずらしくない。「沖縄人」か「非沖縄人」 かという「血」で分けたがる傾向には閉口してし まう時もあるが、「苛立ち」の根っこはそうとう に深く、複雑に絡み合っていることは否が応でも 伝わってくる。

あるテレビ番組の取材で、めったにマスコミに顔 を出さない名護市辺野古区選出の名護市議会議員 にインタビューした。彼は以前から熱心な移設賛 成派で知られているが、普天間基地の辺野古移設 が決まって以降、政府の北部振興政策と引き換え に米軍基地移設に動いている人々はむろん彼だけ ではなく、政界・経済界に一定数がいる。私は彼 らとも会って意見を聞いた。

移設賛成派の一部には土木利権しかアタマにない 人もいるのだろうが、構造はそんなに単純ではな い。米軍基地の74%を引き受けている代償として の莫大な見返りの一部を北部振興に振り分け、地 元を豊かにするという発想の背景には、深刻な沖 縄北部地域の経済格差が背景にある。沖縄の「南 北問題」だ。名護市だけをとってみても、中心部 と周縁部ではインフラ整備の差も含め、さらに大 きな格差が解決されないまま残されている。基地 移設賛成派の目的はカネ儲けで、そのためには自 然破壊も基地依存体質も仕方がないと思っている 人々だと指弾することはたやすいかもしれない が、安易な二極化はするべきではないと私は思っ た。

彼らは政治的立場や経済人としての立場から行動 しているが、そんな彼らを「投票」というかたち で支持する人々も地元には半数以上いる。そう いった人々にも私は話を聞いたが、支持者の多く は経済格差の解消されることを願って、基地賛成 派に一票を投じていた。一方、「基地移設賛成の 議員に票は入れたけれど、ほんとうはシュワブを 拡大してほしくない」という意見も少なくなかっ た。あるいは、普天間基地をなくすために泣く泣 く受け入れるしかないと言う人もいた。振興に注 ぎ込まれた莫大な補助金が有効に使われているか どうかわからないと指摘する人もいた。箱モノを つくってもそのランニングコストを自治体が維持 できない問題もあるからだ。さらには生活実感と して補助金の恩恵を受けている感じがしないとい う人もいた。米兵を客にしてきたある元飲食店関 係者は、アメリカのとの共存が沖縄の歴史なのだ から何とも思わないと言っていた。しかし、誰し もが表立って本音を語ることは嫌がった。彼らも 普段は「沈黙」を選択している。

普天間基地の地権者は1500人近くいることはどれ ほど知られているだろうか。すでに亡くなった人 も多い。あるいは後期高齢者となり、地権者の多 くは自分の子供たちに返還後の土地利用について は任せている。地権者二世たちの有志は宜野湾市 役所の担当部署と連携して、何年も前から、普天 間返還後の青地図を何度も描いてきており、私は そのプランを彼らの口から直接聞く機会を持った ことがある。

しかし、実現は辺野古移設か県外かどこに行くに せよ、それは普天間返還ありきの話である。もし 返還がなければ普天間基地は固定化される可能性 が高い。彼らは返還後の「新宜野湾市」を構想し ながらも、政治に翻弄されるしかなく、賛成も反 対も絶対に公では口にしない。移設賛成と言えば 反対派から叩かれ、移設反対といえば先祖の土地 をアメリカにとられたままで、世界一危険な基地 を認めるのかと批判されるからだ。

いわゆる軍用地主のごく一部には軍用地代で高額 番付にのるほど潤っている人も沖縄にはいるが、 多くの地権者はそうではない。普天間で会った地 権者二世たちは「地代で喰いやがって」と陰口を 言われると肩身が狭い思いをするので、比較的、 基地問題への関心が高くない南部のほうへ転居し ている人も少なくなかった。ここにも可視化され にくい「分断」と「沈黙」がある。とくに沖縄は 血縁社会が色濃く残っているため、親戚縁者の中 でもさまざまな政治的立場や職業があり、政治的 な話題はこじれる火種になるので出さないように していると二世たちは口々に言った。それも一つ の「分断」を深めない処世術なのだろうが、私に は苦しそうに見えた。

私は市民運動や警察の集中的な摘発で消え去って しまった、沖縄で戦後から続いてきた売買春街に ついての取材をこの数年続けてきたが、売買春街 の歴史的背景には米兵から受け続けた夥しい数の 性犯罪がある。なおかつそれらの多くは日米地位 協定などにより、加害者の特定すらされず、とう ぜん裁きも受けてこなかったケースで、そういっ た異常事態が戦後しばらく続いたのだった。そう いった歴史や背景を取材してきたせいもあり、事 程左様に沖縄と「日本」(国家)との関係におい ては、常に歪な「性犯罪」のにおいがつきまとっ ているように私には感じられてならないのだ。

2011年11月末、沖縄防衛施設局長が普天間基地 の移設問題についての記者懇談会で、防衛相が辺 野古移設への環境影響評価書の提出時期を明言し ていないことについて女性をレイプすることに例 え、「犯す前に(これから)『やらせろ』とは言 わない」などと発言して問題となったことを覚え ているだろうか。記者懇談会はオフレコが前提と されるが、発言のあまりの下劣さを考えれば、 すっぱ抜いた地元紙記者の判断は正しかった。

局長はただちに更迭されたが、一川保夫防衛相 (当時)は参院東日本大震災復興特別委員会の、 この一件に関する答弁の中で1995年の米海兵隊員 らによる少女暴行事件について、「正確な中身を 詳細には知ってはいない」と答えたのである。防 衛相は、日本を二分するほどの米軍普天間飛行場 返還運動の端緒となった事件に対してまともな知 識を持たないまま、問題発言をした局長を更迭し たことになる。

政府高官にしてこの品性のなさと知識レベルが、 そのまま「内地」と沖縄の「距離」なのだと私は 思う。私たちが沖縄の「一大事」をどこか遠く感 じてしまう感覚とそれはおそらくつながってい る。沖縄が半世紀以上にわたって煮え湯を飲まさ れるような現実を経験してきたのに、どこか遠い 国の出来事を眺めるような感覚が私たちにはあ る。

歪な「性」のにおいと私は書いたが、普天間基地 返還交渉のきっかけとなった1995年の米兵による 小学生レイプ事件しかり、防衛庁幹部の発言しか り、言い換えるならば、沖縄はアメリカと「日 本」にレイプをされ続けてきた、という言い方も できるということだ。辺野古基地の事実上の新設 も、オスプレイ配備も、発生件数こそ減少したが 今だに止むことがない米兵の犯罪も、沖縄には常 に犯される側だった。

そういった沖縄の戦後に対する日本=ヤマトの態 度が無数の「分断」と「沈黙」を生んだという状 況認識は、ごく一部のネトウヨ的発想をする人々 をのぞいて、沖縄の「保守」も「革新」も関係な く持っていると私は思う。「沖縄差別」という言 い方を沖縄で聞くようになって久しいが、そう いった憤怒が今回の「保守」も「革新」の壁も 取っ払った県知事選に発展しているのだと思う。 ほんらいであるならば国レベルで解決しなければ ならない「米軍基地」が争点になってしまってい ることはナンセンスなのだが、その根底にはヤマ ト=日本へと向けられている怒りが横たわってい るということを私たちは気付かねばならないと思 う。

私たちは従来的な「保守」対「革新」という二極 対立的な構図で、今回の知事選を見るべきではな い。「経済」や「基地」をめぐっては、沖縄では 戦後、さまざまな大小の内部対立が続いてきた。 私が取材してきた沖縄の「売買春」街と沖縄の 「戦後」との関係を見るだけでも、米軍基地の返 還は誰しもが望んでいても、目の前の生きる糧を 得るために、ときにはアメリカの機嫌を取る人々 もいたし、徹底的に猛反発した人達もいた。それ がときに「保守」対「革新」というふうに呼ばれ て対立をし合ったが、その内実は政党名だけで分 けられるほど単純ではない。

今回の知事選で大切なのは「選挙後」だと思う。 辺野古問題は重大なイシューだが、「分断」の中 で押し黙ってきた人達から、白黒をはっきりつけ られないような複雑な意見が自由に吹き出してく る状況をつくりだしてほしい。とりわけ押し黙っ ている人達は若い世代も多い。大学や予備校でこ の数年で多くの20代の意見を聞いてきたが、何を やっても沖縄の声は届かないという諦めが先にた つのと同時に、社会運動の敷居が高いと感じてし まっている傾向が顕著だった。これは沖縄の社会 運動の継承がうまくなされなかったということで もあるし、言論空間が狭まってしまっていること でもある。これにはマスコミの果たす役割と責任 も大きいが、まずは自由闊達な議論の空間を作り 出していくことに、「保革」の壁を取り払った知 事選がつながってほしいと切に私は思っている。

むろん知事選後は基地問題だけが待ち構えている わけではない。例えば県内の経済格差が日本一で あるという問題は、若者を政治への関心を向ける ためには早急に取り組む必要があるだろう。地元 紙では大きく報道されていたが、県民の雇用が条 件の補助金目当てに「内地」からブラック企業が 参入して、全国の最低ランクの賃金しか支払われ ないことケースも後を絶たない。補助金や交付金 が沖縄を潤すことなく、「内地」へと吸い取られ ていく構造は完全に倒錯している。

知事選前に私が企画をした『これが沖縄の生きる 道』(亜紀書房)という社会学者の宮台真司さん と、那覇在住のウチナンチュ二世の作家・仲村清 司さんとの対談本を世に送り出すことができた。 敬愛するふたりの先輩の議論は、沖縄の現状を昨 年末に「転んだ」仲井真知事を裏切り者扱いする 論調だけでは打開できない、という共通認識から 出発しているスリリングな展開になった。そちら もぜひ読んでいただきたい。