今年も終戦記念日の暑い夏がやってきた。来 年にはあの苦難の記憶から70年ーー。

ゼロ戦、そしてカミカゼ。現在では神格化さ れたキーワードだけど、その真っ只中にいた 若者たちはちょっとリア充でユーモアもあ り、いまの若者と変わらない男たちだった。

元特攻隊員の生き残りの男たちがリアルな人 生を語る、好評シリーズ第二弾!

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「小さい頃から海軍が好きだった」

る江副隆愛(たかよし)

上智大学の1年生だった昭和18

3)年10月、学徒出陣で土砂降りの東京・ 明治神宮 外苑競技場にいた。祖父はたばこの輸入で財 を成し父親はアメリカへ留学。自宅は現在も 高級住宅地である東京・白金三光町。当時、 超ド級のセレブだった江副さんの少年時代と は?

江副 セレブじゃないよ。僕が生まれたのは動物病 院ですから

―は!?

江副 僕が生まれたのは大正12

月10日なんです。 関東大震災の9日後ですよ。 臨月の母が避暑で鎌倉まで来ていて。そこの 動物病院で生まれたんです。

―関東大震災のほかに歴史的大事件とのニア ミスは?

江副 昭和11

二六事件ですね。あの日は戒厳令なのを知ら なくて、 市電に乗って普通に高橋是清さんの家の前を 通学してた

―それ、クーデターでプチ内戦状態だから、 いつもより兵隊が多いとかなかったんです か?

江副 当時はそこらじゅうに陸軍の兵隊がいて、軍 歌を歌いながら歩いていたから 兵隊慣れしていてまったく知らなかった。 高橋是清さんが亡くなったのを知ったのも少 したってからですよ。

―お父さんは留学やたばこの貿易で海外生活 が長かったと聞いています。 小さい頃から欧米文化に触れる機会は多かっ たのですか?

江副 物心ついたときには、東京の家にはアメリカ のレコードや雑誌がいっぱいありましたね。

―小さい頃に衝撃的だった海外の文化は?

文化というか、おやじが僕に言ってた



江副

ことが衝撃的だった。

16歳からアメリカに行って、ニューヨーク にあった私立の陸軍幼年学校 (軍人を養成する全寮制の学校)へ7年間も 通ってた。そんなおやじが小学生の僕に言っ たの。 「日本とアメリカが戦争になったら、僕はア メリカの兵隊になって戦う」

―映画とかだと憲兵さんにボコボコにされそ うな発言かも!?

江副 僕も小学4、

もんだから、おやじが何を言ってるのか 意味がわからなかった。でも、おやじは ニューヨークの高層ビルを見て、幼年学校で アメリカの兵器にも触れてたから、日本が負 けるのはわかりきっていたんだろうね。

―そんな話を聞かされていた江副さんが、昭 和16

知ったときは?

江副 自宅のラジオで開戦を聞いて

たー!!」

もし、今の若い人たちがあの瞬間にいたとし ても、同じように興奮してたと思う。 それぐらい大事件だった。

■映画以上の大迫力!!

―開戦直後から海軍に入りたいと思ったんで すか?

江副 僕の場合はね。親戚や同級生に海軍将官の子 たちがいたから、海軍好きだった。 よく軍艦の絵も描いてたね。 観艦式も行った。軍艦・由良(ゆら)

ましたよ。だからずっと海軍には憧れてた。

―当時、海軍は女のコにも人気があったんで すか?

江副 カッコいいもん。階級が下の水兵でも、吊り 床なのに寝押ししてズボンにビシッとライン が 入ってたり飛行機乗りは白いマフラーをして る。あのマフラーは私物なの。僕、操縦員に なったときマフラーを持ってなくて、代わり に腹巻きを首に巻いて写真撮ってもらったよ (笑)

―江副さんが学徒動員で召集されたのは、昭 和18年の10月。明治神宮外苑競技場で 行なわれた出陣学徒壮行会にも参加したと か?

江副 土砂降りのなか行進してましたね。

―当時のニュース映像では軍楽隊が盛大に演 奏していますが、実際にあんな感じ だったんですか?

江副 陸軍の分列行進曲が演奏されてた。小さい頃 から慣れ親しんだ軍歌ですよ。 僕、今でも軍歌を聴くよ。なんか暗い気持ち になって寝てても

が出る。 やっぱり軍艦マーチが好きですね。

日本の登録商標みたいなもんだから

―やはり学生さんは海軍に志願する方が多 かったんですか?

江副 よく特攻で生き残った連中が「俺は陸軍の訓 練が嫌いだから海軍へ行った」

いるけど、あれは大ぼら

軍は人員がいっぱいだから、おまえは陸軍 だ!」

言われれば、それで陸軍入りなんだから。

―実際に憧れだった海軍へ入隊してみてどう でしたか?

江副 横須賀の武山海兵団で訓練が始まったんです よ。分隊で対決するカッター

とか 棒倒しが大変だったなぁ。負けると晩ご飯が 食べられないからね。

―現在、全国的に有名な横須賀の海軍カレー はどうでした?

江副 横須賀のは肉が入ってなかった気がする!お 肉はみんな調理係が食べちゃったみたい (笑)

肉はないけど、なぜか小さい梅干しはいっぱ いあって、ひとりに20とか30粒出てきた り。 おもしろいところだよ、海軍って。

―外出とかはできたんですか?

江副 外出で油壺(あぶらつぼ)

久々の娑婆(しゃば)

入って 注文しまくったの。でも、それを訓練教官に 見つかって全員呼び戻されたんです。

外食するのは規則でダメだったから。急いで 呼び出されたもんだから、 みんなお店に帽子や靴を片方忘れちゃったり で大騒ぎ。 飯を食えないどころか帰隊後、怒られて腕立 て伏せ50回ですよ

―横須賀の後はどちらへ?

江副 茨城県の土浦海軍航空隊へ行ったの。基地に 到着してみんな格納庫へ集合した。 初めて入った格納庫は薄暗くて、

イルのにおいがね、なんとも緊張感を高める んですよ。 そこで点呼があったんだけど、

声が小さいと上官にブン殴られるの。

―は!?

江副 上官が「足を開け!!

いかーッ!

ン! って殴られてた。平手だと鼓膜が破れるから グーで殴るの。 いやー、おっかないとこ来たなと

れが初日ですよ。

―訓練も厳しかったんですか?

江副 訓練がきついから、薬が支給されてた。

―ヒロポンとか?

江副 まさか!

も、まったく効かなかったなー

みんな薬を飲んだくせに寝ちゃってるんだ よ。これはおもしろかったよ。

■映画化確定!

―では、基地での日常生活についてお聞きし ます。手紙は基地外の郵便局から出せば 検閲がスルーだったそうですが、軍事郵便を 使うとどうなるんですか?

江副 ある日、上官がね、

な手紙を出したヤツがいる! 今から、それを読み上げるぞ!!」

―これは鉄拳制裁確定!!

江副 その内容が「鳥も通わぬ百里原で恋しい貴女 (あなた)の手紙を待ってます」

ラブレターを読み上げられた。実はこれ、僕 が書いたやつなんだよ

―ちょっと、恥ずかしいですよね。

江副 いやいや。

(笑)

―彼女さんいたのですか?

江副 いた。訓練で鳥取県の米子(よなご)

たときに、駅のホームで 女子挺身隊のかわいい女のコを見つけた。

ばらくたって九州の航空隊へ移動する日、 たまたま米子の書店に彼女がいたんですよ。 そこで僕は彼女に、 こんなこともあろうかと、いつも持っていた 白い手袋を渡したの。

―え!?

か?

江副 また米子を通ったときにね、駅にいた女学生 に手紙を渡したの。 「こういう出会いがあって、白い手袋を渡し た人がいて探しています」

そうしたら、その白い手袋を渡した女のコか ら基地に手紙が届いたんだ。 それから文通が始まったの

―これは映画化確定!

江副 でも、その後は会ってないんだよ

局、手紙だけ。 基地ではそんなことを戦友たちとお酒を飲み ながら話してたね。

―では、飛行機についてのお話も聞かせてく ださい。

江副 初めて乗った飛行機は赤とんぼという練習 機。初めは怖いですよ。 ちょっと機体が浮いただけで怖かった。で も、慣れると、

「俺はタダで飛行機の操縦させてもらって る!」

―その後はどんな飛行機に?

江副 ゼロ戦とかの戦闘機も選べたけど、僕は九九 式艦上爆撃機の操縦員を選択した。

―どうして艦上爆撃機に?

江副

度3000mから800mまで急降下して、 爆弾を落とす。そして一気に機体を引き上げ る。

―ちょ、それはキケンすぎ!

江副

の。これを操縦したときはうれしかった。 「これで戦える!俺も一人前の兵隊になっ た」って。

―飛行機の操縦がうまい人とかいましたか?

江副 アメリカのパイロットのほうがうまかった (笑)

小学生のとき、おやじが「アメリカの兵士に なって戦う」

よ。

―空戦を経験されたことは?

江副 ないですよ。爆撃機だから。でも基地にいて アメリカの戦闘機に機銃掃射されたことは あった。

―怖かったですか?

江副 怖いね。でも、

怖くないんだよ。 そのピストルで反撃なんかできないけど。不 思議だね。

―機銃掃射にはどのように対応したんです か?

江副 小屋でむしろをかぶって震えてた。それを見 た戦友が 「おい、江副。それじゃ敵の弾丸は防げない ぞ!」

る。 でも、その戦友も念仏を唱えてるの

笑い話だけど、そのときはお互い必死だっ た。

―江副さんの特攻はどのように決定したんで すか?

江副 上官から

へ!」

―映画で見たことあります。

江副 映画だと躊躇(ちゅうちょ)

するけど、そうじゃない。 「一歩前へ!」

前へ出た。 まだ、戦争も景気が良かったんだろうね (笑)

■特攻を見送る者の心境とは?

―江副さんが特攻出撃をしたのはいつです か?

江副 僕ね、出撃してないの。順番が回ってこな かった。

―では、出撃前の隊員たちはどのようなこと をしてたんですか?

江副 酒飲んで歌ってた。沖縄民謡の替え歌があっ てね。例えば遠藤ってヤツだったら、 「遠藤も死んだら、かむしゃま(神様) よー」って歌ってた。

―出撃前日でもお酒って飲めたんですか?

江副 飲んでも構わない。だいたい3日前に特攻出 撃の通達がある。 行く連中だけ黒板に張り出されるの。

前 飲んで泣くやつ 笑うやつ」

そういう川柳もあった。前の晩に飲みすぎて フラフラで飛行してくのもいたよ。

―先に出撃する戦友の言葉で印象的だったの は?

江副 「ちょっくら行ってきやす!」って、冗談交 じりに出撃したのがいた。 そんなの普通は言えないよね。そんな彼ら

『海行かば』を歌って見送る。

を、

『君が代』じゃなくて、ほとんど『海行か ば』だよ。

―出撃する戦友たちを見送るときの気持ち は?

江副 寂しいし、恥ずかしかった。今でもそれは 思ってる。

―出撃後にやることは?

江副 遺書や遺髪とか、出撃した戦友たちの私物の 整理をするけど、事務的にやってた。 泣くこともないですよ。「次は自分だ」

悟してたから、特に自分の家族のことも 思い出さなかったな。考えるのは戦友のこと だけ。

前日までバカ話してたヤツが次の日にいなく なる。それが日常だったんだよ。 すごい時代だったな。

―江副さんにとって戦友とは?

江副 あのとき一緒に死ねばよかった。今でも、そ う思える仲間が戦友。

―ちなみに、江副さんは遺書とか書いたんで すか?

江副 書いたけど、うまく書けなくて、やめちゃっ たよ(笑)。

―その後、江副さんは茨城県の百里原へ移動 することとなった。

江副 東京大空襲の直後の上野を通った ら“ひぃー、ひぃー”って音が聞こえる。 風の音なのか人の声なのかわからない音。 ただ焼け野原の暗闇から、その音が聞こえて くる。 “ひぃー、ひぃー”って音だけは今でも鮮明に 覚えてる。

―百里原から爆撃されている東京って見える んですか?

江副 東京方面の地平線が真っ赤になってる。

9の爆音も聞こえる。 でも迎撃する戦闘機もない。誰も何もできな い。「戦争は負けちゃいけない!!」

よ。

―玉音放送はどこで?

江副 百里原だったけど、何言ってるかよく 聞き取れなくて、わからなかった

とりあえず戦争終わったみたいだな

でも、

と。

―それを聞いた感想は?

江副 神妙な顔してたと思うけど、内心は

たー!!」だった。 ホッとしましたよ、緊張感がなくなって飯が

1週間で5kgも太った

うまかったから、

(笑)。

―戦前と戦後で最も変わったことは?

江副 僕の場合は、戦後は戦前に戻っただけ。そん な感じ。

―最後に、もし再び戦争になったら?

江副 敗戦を経験してるとね、“戦争は勝たなきゃ いけない!!”となるんですよ。 今後、日本から攻めることはないでしょう。 でも、相手が攻めてきたらね、老体にムチ 打って、また出かけますよ(笑)

たかよし)

江副隆愛(えぞえ

1923 (大正12 )年9月10 日生ま れ、東京都出身。復員後は上智大学へ復学。 その後、外国人向けの日本語学校「学校法人 江副学園新宿日本語学校」を開校する。 「復員するときにもらったのは、

(笑)」

ジャケットだけでしたよ

(取材・文/直井裕太 構成/篠塚雅也

影/村上庄吾)

6:オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!: ID:2014/08/10(日) 江副さん、ありがとうございました どうぞ、長生きなさってください