安倍晋三氏が2012年に首相の座に返り咲いて以来、掲 げられてきたスローガンは、レスパイラルから脱却させる、が、人口がどの国より速く高齢化し、減少している時 は、それは口で言うほどたやすいことではない。今年5月、あるシンクタンクは向こう30年余りの間 におよそ1000の地方の市町村で出産適齢期の女性がほ とんどいなくなると予想した。政府は、今後50年間で 現在1億2700万人の日本の人口が3分の2に減少すると 予想している(図参照)実際、政府は2110年には、4300万人になると予測している。最後の予想は、非科学的な外挿だ。がどうなっているかなど誰にも分からないからだ。れでも、この予側は政府が懸念を募らせていることを 示す尺度であり、相の思いと両立させるのはなかなか難しい。要する に、人口動態がいま再び、熱い政治的課題として浮上 しているのだ。使い古されてきた案も出ているが・最大の問題は、急速に収縮する労働人口が、増え続 ける高齢者人口を支えられなくなることだ。部分的に は、政府は使い古された案を持ち出してきている。例 えば、日本は出生率を引き上げなければならないそれは容易なことではない)が、を補うために、工場や高齢者向け介護施設で運用でき るロボットを開発しなければならない、だ。この問題を専門に扱うの三村明夫氏は、人口が1億を切るのを食い止めるの であれば、政府は今すぐ対策を講じなければならない と述べた。同委員会の報告書は、な日本人女性が生涯で生む子供の数を、現在の1.41人 から2.07人に増やさなければならないと指摘してい る*1。白髪頭のメンバーが多数名を連ねる同委員会は寝室 に立ち入ってまで、女性をその気にさせようとしてい るようだ。しかし、人口問題の専門家は、面的な再設計が必要だと話している。安倍氏は女性が 職場に復帰しやすくなるよう、公立保育所を増設する 計画を打ち出した。だが、働く母親にとって大きな障 害は、長時間労働や同僚と付き合う深夜の飲みといっ た日本の企業文化だ。文化を変えるには、長い時間が かかることがある。婚外子に対する偏見もそうだ。一方、出生率を上げるために講じられた最近の対策 ――若い女性に出産のタイムリミットについて思い出 させる婦人科医を割り当てる策など――は、絶望感さ え帯びている。*1=この記事が出た後に発表された2013年の人口動態統計で は、合計特殊出生率が1.43となったが、人口減少は加速してい ることが分かったしかし、安倍政権が、これまで日本が避けてきたも う1つの明確な解決策を検討していることを示唆する 兆候が見られる。大規模な移民の受け入れである。現在、日本の人口に占める外国系住民の割合は2% にも満たず、ほかの先進国を大幅に下回っている。の低い数字さえ、日本の植民地だった朝鮮半島にルー ツを持つ大勢の永住者や、何世代にもわたって日本で 暮らしている中国系住民が含まれたものだ。近年の入国者の中には、中国人留学生も大勢いる。 彼らが長期滞在することは滅多にないが、彼らの労働 力がなければ、日本の都市部にある無数のコンビニエ ンスストアはすぐに立ち行かなくなるだろう。1990年代には、何千人ものブラジル人が自動車工場や その関連工場――主に静岡県浜松市や愛知県の名古屋 近辺――の働き手として採用された。浜松学院大学の津村公博教授によると、安い労働力 がどうしても必要だった時に、た労働者に門戸を開いたが、2008年以降、景気が減速 すると、今度は勢いよくそのドアを閉ざし、払ってまで多くの人を帰国させたという。およそ2万人いた浜松のブラジル人は、9000人前後日本に残留した者は、地元に溶け込む まで減少した。 のに苦労した。移住者の子供たちの教育その他のニー ズに対する政府の支援がゼロに等しかったことも、何 の助けにもならなかった。永住移民への門戸開放の始まりかそれでも政府は2月に、2015年以降、新たに年間20 万人の永住移民を受け入れるよう奨励する報告書を発 表した。予想通りと言えるかもしれないが、政府関係者は、 これだけの規模の移民受け入れが政府方針であること を否定する声明を発表した。安倍氏自身、建設業界な どで働く外国人に期間の長い一時ビザを発給するため の最近の対策は「移民政策ではない」した労働者は仕事が終われば帰国しなければならない と述べている。だが、安倍氏のアドバイザー曰く、実際には、たと え安倍氏がそう公言できないにせよ、もっと大勢の永住移民への門戸開放に向けた動きの始 まりを告げるものだという。元東京入国管理局長で現在は移民政策研究所 (JIPI)の所長を務める坂中英徳氏は、人嫌いの右派メディアが、移民受け入れに同調するよ うになっていると指摘。近々、派メディアの報道が世論を移民受け入れ容認の方向に 動かすだろうと予測している。しかし、浜松市の状況は課題も浮き彫りにする。ラジル人はビザ取得資格として少しでも日本人の血を ひいていなければならなかったがくの日本人が南米に渡った)、日本語の読み書きに苦 労した。地元社会に溶け込む難しささらに、1999年から2007年にかけて浜松市長を務 め、来日した外国人を溶け込ませる市の取り組みを監 督した北脇保之氏は、地元の住民は多文化主義の波を 受け入れる準備ができていなかったと言う。(短期滞在する外国人出稼ぎ労働ストアルバイター 者)の大多数は法律を順守しているが、を犯罪や反社会的行動と結びつけてしまうのだ。浜松のあるマンション群の自治会長を務めるハシモ ト・ヒロユキさんは、ブラジル人は当初、ベランダで バーベキューをしたり室内でサンバを踊りたがり、静 かにさせなければならなかったと話す。良い方向に向かう1つの兆候は、今では日本人とブ ラジル人の子供たちが外で一緒に騒々しくスケート ボードに興じていることだという。まだ楽な選択肢では決してないのだ。© 2014 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved. 英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契 約 に基づき翻訳したものです。 英語の原文記事はwww.economist.comで読むことが できます。