昨日のHRPニュースファイルで述べましたように、河野洋平氏が発表した「河野談話」は、従軍慰安婦の存在と軍による強制性を認めた談話です。
河野洋平氏は1993年、宮澤内閣の官房長官として「河野談話」を発表した後、自民党総裁として、村山内閣の副総理兼外務大臣に就任。「村山談話」にも深く関わりました。
本日は、こうした国賊的行為を行った「河野洋平」という政治家にスポットを当てて参りたいと思います。
河野洋平氏は、実は河野談話以外にも、数々の反日的な政治判断を行って来ました。
河野氏の父親は、日ソ国交回復の立役者の一人で、有力な政治家として知られている河野一郎氏です。
河野洋平氏は父親の選挙区を受け継ぎ、まず行ったことは「新自由クラブ」の創設でした。
当時は、田中角栄氏の金権政治が国民から大きな批判を受けており、その先頭に立って、自民党から離脱した若手グループが「新自由クラブ」でした。
しかし、この政党は、田中金権政治批判以上の独自色はなく、結局、自民党に吸収されるに至りました。
その後、宮澤内閣の官房長官として、河野談話を発表して以来、徹底して「親中派」の立場から政治を行って来ました。
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河野洋平氏は1993年、宮澤内閣の官房長官として「河野談話」を発表した後、自民党総裁として、村山内閣の副総理兼外務大臣に就任。「村山談話」にも深く関わりました。
本日は、こうした国賊的行為を行った「河野洋平」という政治家にスポットを当てて参りたいと思います。
河野洋平氏は、実は河野談話以外にも、数々の反日的な政治判断を行って来ました。
河野氏の父親は、日ソ国交回復の立役者の一人で、有力な政治家として知られている河野一郎氏です。
河野洋平氏は父親の選挙区を受け継ぎ、まず行ったことは「新自由クラブ」の創設でした。
当時は、田中角栄氏の金権政治が国民から大きな批判を受けており、その先頭に立って、自民党から離脱した若手グループが「新自由クラブ」でした。
しかし、この政党は、田中金権政治批判以上の独自色はなく、結局、自民党に吸収されるに至りました。
その後、宮澤内閣の官房長官として、河野談話を発表して以来、徹底して「親中派」の立場から政治を行って来ました。
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