学校の教科書では明治時代に琉球王国が廃止され沖縄県が設置された事を「琉球処分」と称しています。それはあたかも日本政府が琉球王国の住民を弾圧して国を滅ぼしたかのような印象を与えています。
琉球独立派や米軍基地反対運動をしている人たちはこのことをもって、「沖縄の歴史は日本から差別され続けた歴史」だと主張しています。しかし、「琉球処分」といっても実際には日本政府や派遣された警察官によって殺害された人は一人も存在しません。それは、戊辰戦争や西南の役で1万人以上の死者を出した明治維新と比べても非常に平和的な国家統一事業だったのです。

 松田道之は、沖縄県を設置する任務で「琉球処分官」として沖縄に派遣されました。彼は密偵を使って琉球の庶民の実情を把握していました。その密偵からの報告によると「士族の4割は内地の新政を望んでいるが口にするのを恐れている」「平民は琉球藩の過酷な政治を恨み日本の直轄を望んでいる」ということでした。
実際、琉球処分前の沖縄では寺小屋もなく農民は読み書きを習うこともできず、農奴のような生活をしていました。それが、沖縄県の設置以降は農民も学校に通えるようになり、沖縄でも身分制度が廃止され誰でも努力次第で出世できる「四民平等」の社会になったのです。

 結局、「琉球処分」の「処分」とは、既得権益を守るために清国への冊封をやめようとせず、日本政府に従わない琉球王府の親清派の士族への処分であり、人口の大多数である庶民にとっては救済であり解放であったのです。

 現在、首里城祭やなどでは華やかな王朝文化を再現していますが、琉球国の庶民全員がこのような華やかな文化を満喫していたわけではありません。首里城の華やかさは琉球王府の貴族だけであり庶民には全く関係のない世界だったのです。逆に庶民はこの朝廷が冊封や朝貢で華やかな儀式を行うために大きな税負担を強いられていたのです。

(仲村覚)




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