(自然)というものは、
時として残酷な事も確かに有りますが、
大局的に考えますと、
やはり、
大いなる(神の愛)
と考えるべきなのでしょう。
そう、
真実の愛とは、
いつも、無心であるべきなのです。
つまり、そこに、
作為や計算や打算が隠れていたら、、
やはり、それは、
真実の愛とは言えず、
相手の心に浸透するわけもなく、、
たとえば、それが、
芸術だとしたら、やはり、
誰の心にも、響かないと思うのです。
芸術家の端くれとして、
今日も、ひとときたりとも、
手を抜かず、
無心で、
我が心と、
まさに、
一心同体で、
おもいきり、
純粋で透明に、、
生かされたいものです。