新時代の夜明け前に、アセンションに向けてさんより転載
http://ada323newage.blog.so-net.ne.jp/2013-11-30



「遠い記憶・前世からの約束」から「まもなく変化が訪れるが悠長に待つがごとし


昨日の記事「アイソン彗星は消滅したか?」で書いたように今日になってNASAが
まだ消滅していなかった可能性あり、痕跡が残っている?とネット上ではニュース
として取り上げられていますが、7時からのNHKで取り上げるかどうか微妙ですね。


さて、アイソン彗星痛快に伴い変化の波がやってくるようです。そのことについて
「遠い記憶・前世からの約束」では、あせってはいけないと書かれていました。
あせりは違った結果をもたらすかもしれないからです。


(ここから)

◆準備の追加事項・彼等との会話◆

幾度と無く彼等(宇宙の同胞達や自らのハイヤーセルフ)は、スペースファミリー到来や目に見える変化が起こるよ、準備してねと常に伝えて来ています。

その変化は既に起こっていはいますが、それ自体まだ小さいので認識し辛いのですが、小さかろうとその変化は日々積み重なっています。
それこそ10年前の自分が今を見たら、きっと驚く様な変化を見た筈ですが、毎日の微弱な変化の継続の中に有る私達は、徐々に変化にならされて来ていますので、驚きを伴った大変化は「まだ」起こってはいない事も確かです。

しかし天はある時期を境に、誰にでも分かる変化を表そうとしている事は間違いありません。


さて、未来に生きるという事は、時に緩くだらしなく、いい加減で、真面目ではない生き方が重要とお話しして来ました。

これが新しい世界のスタンダードになるという事は、全てのスケジュールが時刻表の様には起こらないという事にも繋がって来ます。
新しい未来は生真面目では有りません、厳しくも有りません、人を叱りもしなければジャッジもしません。

未来に生きる為にも早くその時間の流れに慣れて下さい。

何時変化が起こるかカリカリイライラするのではなく、必ず起こるんだからと言う悠長さ
結果さえきっちりと決まりさえすれば、時間表にこだわらないおおらかさ。
今私達が知るべきは正にここの所なのでしょう。

変化が待ち遠しいが、今の自分の有り様にはとても穏やかさも有り、幸福さえ感じる。
そうであれば、変化の遅延にもある程度の寛容さも持てるでしょう。

しかし、今の自分の有り様に不満が有り、そこから逃れたい一心で変化を待つ時、それはとても待ち遠しく遅れに対しても厳しく怒りさえ感じてしまうかもしれません。
これでは、変化により自分の現状を打破してもらいたいと言う「他力本願」となってしまいかねません。

   ・

もう一つお伝えしたいのは準備の追加事項です。

一旦変化が起こり始めたら、その変化の大きさに私達は翻弄され、時には狼狽えてしまう事も十分予想されます。
始まった変化が、今度は何時終了するかも分からない程続いてしまうかもしれませんし、その大きさは想像を絶する程の変化なのかもしれないからです。

※ただしこの変化は地質学的気象学的、また身体的なダメージは可能な限り最小限でしょうが、人々が信じて来た既存の概念や価値観を直撃して来る筈です。
もう一つは少しの間生活に物理的な不自由が生じるかもしれないという事(インフラや通信、生活エネルギー等に不具合が起こる可能性があります)
この点に関して、自らのハイヤーセルフへの問合せで「大丈夫!」という答えが有れば、特に物理的な準備(備蓄や避難シミュレーション等)を特にしなければならない訳では有りません。
しかし無駄になる訳ではないので、そうする事で安心出来るのであれば少しは準備しておいても良いと思います。


その時には、今までと真逆で、何時終わるか分からない大きな変化を忍耐を強いられながら、やり過ごさなければならない日が来るかもしれません。

今の時点で、どのくらい大きく、どのくらい続くかという事は
「何時変化が始まるか?」への答えと同様、伝えきれるものでは有りません。

このお話は可能性の一つですが、仮にそれが本当だったとしても
「今後どのようなことが起ころうとも、恐れる事無く全ての事象が未来への架け橋と信じ、受け止められる自分がここに居るか?」
そう自分に問いただせるかも「準備」が整う事でもあります。

今までは、変化が来ますよとお伝えして来ました。
これからは、大きな変化(まるで洗濯機の中で撹拌される程)を受け入れる準備も必要と付け加えて行かねばならないと思っています。

その変化を受け入れることも、変化を始めさせる為の「準備」となります。

   ・

過日、私は故郷の同胞であるシリウス人(誰と特定はしません、シリウス人の集合意識とのやり取りです)と意識体でこの様な会話をした事が有ります。

シリウス人○「未来は緩やかでノンビリしているよ」
私●「知っている、私はそれを受け入れています」

○「じゃあノンビリ緩やかを受け入れるなら、時間通りに行かない事も受け入れられるよね?」
○「自分が早くして欲しいからと言って、そこだけ厳しくせっかちになったりは無しだよね?」

●「あ、そういうことか」
○「うん、そう言うこと」

●「まるでラテン時間の様だね」
○「分かった?」

●「巨大な変化は来る?」
○「・・・・・・」(返答無し)

●「変化は皆通り抜ける?」
○「大丈夫」


未来は緩やかで、少しだらしない。
だから約束もなかなか守れないけど、緩やかさと慈悲だけは絶対的に存在する。
そして「必ず」変化する。

私は疑う事無く未来の到来を信じています。


(ここまで)