ひよっ子オーディオetc.

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思い出話、育児話、趣味の話などなど。

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と言うか、そもそも好きとは何なのか。初恋は完全に単なる憧れだったと思うのだ。母と一緒に見たドラマや、母に聞いたコイバナに憧れ、好きになる相手を探した感じがあるのだ。
二番目の恋も、何となく良いなと思っていただけで、ただの友達に過ぎない。ちゃんとした恋ではないのだ。三度目の恋は、小学校のクラスで一番の人気者。男女問わず、多くの友達がいるムードメーカーだった。これも、ムードメーカーそのものに憧れただけのような気がする。
また、当時、好きの定義が分からず、自分の中でランキング付けがあった。本当に失礼な話なのだが、一番好きなのはあの人、二番目に好きなのはその人、と言う感じだ。悪気があったわけではなく、純粋にみんなが好きだったのだ。
例えば、三番目に好きな男子から、新しい鉛筆がかわいいと褒めてもらったら、その日からその男子は二番目に好きな男子になる、と言うように、簡単に順位が替わるランキングだった。
日記をつけ始めたので、よく日記にランキングの変動とその理由も書いていた。好きな芸能人のランキング付けもあって、そちらも変動があったときには日記に綴った。
所謂、恋に恋していた状態だ。この状態は、中学生になるまで続いた。
ピンク色に対するこだわりは、小学校の低学年で無くなったようだ。写真に映る小3の私は、様々な色の服を着ている。黄色、ベージュ、赤。
代わりに、スカートに対するこだわりが出来た。ズボンが嫌いすぎて、遠足くらいでしか履かなくなったのだ。超女性的な服装を身に纏っていないと、自分の中にある性別の区別が薄いという精神的な不具合のために、自分が男なのか女なのか分からなくなって不安になるというのが一番の理由だった。それと、当時好きだった男子に良く思われたかったという事も少し関係があった。
もちろん、そんな事は誰にも言えなかったし、そもそも誰にも上手に説明出来なかった。おかげで、色々な人から、怒られたり意味が分からないと言われたりした。自分でもよく分からない。
最近、LGBTとか、トランスジェンダーとか、所謂マイノリティーと言われる心の持ち主に名前がついて分類されるようになったが、私もその中の一人と言うことなのか、それともその枠からはみ出ているのか。
一応、幼稚園時代は異性が好きだった。小学校に入って最初に出来た好きな人も、男子だった。
生と死、こだわり、ワーキングメモリの低さ、自他の区別の薄さ、性別の観念不定、質問の意図の読めなさ、他人の相貌の捉えられなさ、と言った不具合も、この頃からあった。
周囲に自分を理解してもらおうとして空回りし、誰かの死を願ったり。偏食で、よく幼稚園の給食を残しては先生に怒られたり。男の子と女の子でグループ分けされることに納得出来ず、先生を困らせたり。
読書が好きな割には説明が下手なのと、ワーキングメモリが低いのとで、気持ちや理由を伝えられずに、さらに拗らせてばかりだった。今も、説明はあまり上手ではない。
友達と降園後に遊ぶ事は殆ど無く、家でセーラームーンやセイントテールを見たり、読書をしたりして過ごした。セイントテールのゲームを買って貰ってからは、テレビに接続して毎日ゲームばかりした。
偏食な私のために、母は好物ばかり食べさせてくれた。鶏肉の甘辛煮、肉野菜炒め、チャーハン、チーズトーストとホットミルク。メニュー名を羅列するとバランス良く見えるが、実際はそうでもない。
意外と箸の持ち方や使い方は問題ないらしい。外で困った事は無い。しかし厳しく躾けられた覚えは無い。母の箸使いを見て、自然と覚えたのかも知れない。パスタをフォークで巻くのだけは、どうしても上手に出来ないのだが。
食器に対するこだわりも無い。食器に対する興味自体が無いからだ。色はピンク色が好きだったので、ピンク色なら何でも良いと思う事が多かったのだ。
思い出せる限り昔の記憶は、三歳頃の物が幾つかあるようだ。どれも一瞬で取り留めない物ばかりだ。
例えば、初恋の人が手を繋いでくれたとき。好きな食べ物を頬張っているとき。好きな手袋を嵌めて寒空の下を歩くとき。
それがだんだん、より長く、より詳しく、より正確に覚えていけるようになる。個人差はあって、私の場合は人より遅かったようだ。
幼稚園時代の記憶は、あまり正確でないように思う。あまり詳しくもないように思える。
好きな男児と遊んでいて顔面にボールを当てられた。わざとではないので謝ってくれたが、結構痛かったのと構って欲しかったのとで必要以上に泣いて、男児を困らせて逆に遠ざけられてしまった。
仲良しの女児が出来て毎日一緒に遊んでいた。あるとき、自由遊びの時間が終わってももっと遊びたかったのと遊具の片付けが面倒になったのとで集合時間ギリギリまで女児を引き留めてしまい、その結果集合時間にかなり遅れてしまい二人とも怒られ、その後女児には一緒に遊んでもらえなくなってしまった。
当時の記憶は各エピソードの最初の文だけだった。その後、時々思い出し続けた結果、後ろの文の所も思い出した。
そう、私は結構、見かけによらず非道い奴なのだ。好きだった男児と、仲良くしてくれた女児にはもう詫びる事が出来ない。やり逃げだ。
私立だったので、むしろよく退園勧告されず卒園出来たなとすら思う。担任だった先生方は、私の事を一体どう感じていたのだろうか。
父方の家系は子沢山らしい。母方の家系は一人っ子ばかりらしい。そして私は一人っ子だ。
私は東京の出身だ。と言っても生家のあたりはそんなに栄えていない所だったので、渋谷や池袋などは都会過ぎて苦手だ。
それは恐らく父も同じだ。そして私が人混みを苦手と感じるのは母譲りのようだ。要するに私は、かなり内気な人間だ。
一人っ子だと言うと、ダントツで良く言われる言葉は「マイペース」だ。確かにそうかも知れない。
私は、母が主治医に言われた出産予定日より一週間遅れて産まれたそうだ。胎児の時からマイペース。
その上、産まれた日が休日。病院の人手は少なく、母の入院費は多くなる。産まれるタイミングもマイペース。
主食は粉ミルクだったが、入院中は殆ど飲まず、おかげで同時期に産まれたどの赤子たちより小柄なままだったという。食事までマイペース。
退院後は、ものすごく早起きで母を困らせたらしい。本当に全てがマイペース。
発育もかなりのマイペースで、自治体の健診ではしょっちゅう遅めだと言われたそうだ。マイペースの達人である。
ただ、発語と二足歩行は早かったらしい。何故かは分からないが、一人っ子の割に喋る子どもだったのかも知れない。