たまたま見つけたのでいただいてきました。
原発!ではなく原爆なのですが、まぁ同じものなので・・・。

しかし毎度、私はこのような資料はあまり見たことがなかったので、その悲惨さ、こうした行為を人に為せる戦争という残酷さについて、改めて認識させられるのですが・・。
その後ろにいる悪魔的な人間とそれに操られる人間の哀しさと、絶望的なまでの愚かさと愛の欠落ぶりに驚嘆します。

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http://blog.livedoor.jp/worldfusigi/archives/5840912.html

http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/

関連サイト
ビッグ・アップル
【閲覧注意】↓ショッキングな画像です。
http://www.mctv.ne.jp/~bigapple/
  ページトップ:白骨の山   全身ボロボロ少女(大村病院)
   広島ドーム、1945年8月6日
   Victim0  :こっち見んな
   Victim1  :耳から肩ケロイド
   Victim2  :立膝両手上げ
   Victim3  :顔面~大腿部前面火傷の男性
   Victim4  :顔面と腕火傷ひび割れ
   Victim5  :gisei34.gifと同じ(腹巻以外全部熱傷)
   Victim6  :背中焦げてひび割れの女性
   Victim7  :畳少女
   Victim8  :鼻損失
   Victim9  :顔面損傷下顎部損失で舌出し
   Victim10 :治療中の頭部火傷から膿
   Victim11 :背中~後頭部火傷うつぶせ
   Victim12 :西練兵場の兵士死体
   Victim13 :顔面火傷の動員女子学徒・両手上げ
   Victim14 :口元から首筋までケロイド
   Victim15 :背中全面火傷の少年(カラー)



3:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 18:57:37.18 ID:UZVMDw5t0
広島平和祈念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
バーチャル・ミュージアム
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/index.html
平和データベース
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database/

長崎原爆資料館
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/peace/japanese/abm/
所蔵品検索
http://www.city-nagasaki-a-bomb-museum-db.jp/index.php

以下2サイトは閲覧の際、グーグル・アースプラグインのダウンロードが必要
(※ダウンロードページ http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/download/ge/
下記サイトからもダウンロード可。無料)

ヒロシマ・アーカイブ
http://hiroshima.mapping.jp/
ナガサキ・アーカイブ
http://nagasaki.mapping.jp/


中国新聞・長崎新聞HP内の記録および証言など
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kiroku/
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kiroku/nakajima/honmachi/index.html
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/sarugaku/index.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html

平和博物館
http://www.peace-museum.org/
広島原爆写真館
http://www.aeras.jp/abomb/
学校HP内の記録および個人の手記など
http://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm
http://www.catv296.ne.jp/~cactus/top.htm
http://www.coara.or.jp/~ryoji/abomb/abombindex.html
「長崎原爆の記録完全版」(泰山弘道)※ダウンロード用データ
http://nullpoarchives.orz.hm/uploader/upload/File2771.zip

原爆模擬弾パンプキン
原爆投下の練習として日本各地に50発も落とされたらしい

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-mogi.htm



5:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 18:58:58.72 ID:UZVMDw5t0
8・6探検隊バックナンバー
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/backnumber/index.html

Q:爆心地近くで、原子爆弾の熱線を浴びた人が一瞬のうちに蒸発して消えてしまったって本当ですか。
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20090309.html

Q:「水をください」という被爆者に、水をあげてはいけなかったという話を聞きました。どうしてでしょうか。
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20071211.html

Q:原爆が投下されたのは午前8時15分じゃないといううわさを聞きました。本当ですか。
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20070128.html

Q:広島の川には今も被爆者の遺骨が埋まっていると聞きました。本当ですか。
http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/exploration/index_20070625.html



6:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 18:59:34.71 ID:UZVMDw5t0
FAQ

Q:原爆で地面に人影が焼きつけられたというのは本当ですか?
A:「人影が焼き付けられた」と言われている石は旧住友銀行広島支店の
正面玄関石段(花崗岩)に残っていました。
現在、石段部分は保存され 広島の原爆資料館に展示されています。
ちなみに影を残した女性は投下数分前に現場を通った知人(生存)に目撃され、
ほぼ氏名が確認されています。
(この人は遺体を搬送されており、蒸発したわけではない)
また 最近の学術調査で、影の成分が石の成分変化でなく、炭素系物質である
こと が確認され、「影」ではなく人体の溶融物ではないかと考えられています。

Q:原爆で人は蒸発するのですか?
A:広島・長崎型の初期型核爆弾ではしません。
ただし爆心直下で外に出ていた人は致死量の放射線を浴び
即死する可能性が極めて高いです。

Q:爆心直下にいたのに命拾いした人がいるというのは本当ですか?
A:爆心地(島病院)の元安川をはさんだ対岸にある燃料会館
(現・平和公園レストハウス)に勤務していた野村英三さん(当時47)は
被爆当日の朝出勤し、原爆投下時にはたまたま書類を取りに
地下室に下りていて熱線や爆風を直接浴びることなく命拾いしました。
地下室は非公開ですが現在も保存されています。



7:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 19:00:26.29 ID:UZVMDw5t0

エノラゲイの広島への原爆投下工程

8月5日12:37 天候観測機3機離陸
8月6日01:45 エノラ・ゲイ離陸
02:00 爆弾最終装填始まる
02:15 同作業終了
04:55 硫黄島上空到着
05:05 グレートアーチスト、ネセサリーイーブル合流、日本へ
07:00 機内にて乗員朝食
07:09 警戒警報発令
07:15 ストレートフラッシュより広島市上空の天候報告受信、勧告、主目標を爆撃せよ
07:31 同警戒警報解除
08:06 松永監視所 敵大型機2機、西北進中
08:09 同報告、3機に訂正
08:13 エノラ・ゲイ、西条上空通過、中国軍管区司令部「0813ケハ」命令
08:14 エノラ・ゲイ、目標、相生橋を捉える
08:15 原爆投下、離脱 グレートアーチスト計測器3個投下離脱、中国管区司令部警戒警報発令
08:16 リトルボーイ、地上570mで爆弾炸裂。投下高度9473m
12:00 乗員機内にて昼食
13:58 エノラ・ゲイ、ノースフィールドに帰投
18:00 乗員ノースフィールドにて夕食



8:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 19:01:04.08 ID:UZVMDw5t0
ソース:『原爆災害 ヒロシマ・ナガサキ』(岩波現代文庫)
 (距離は爆心地からのもの)
 (死亡率;高度=100~50%、中度=50~10%、軽度=10~0%)

屋外(開放)の場合;
       ~1km 1~2km 2km~
▼外傷    高度  軽度  
▼熱傷    高度  中度  軽度
▼放射線傷害 高度  中度  軽度

屋外(陰)の場合;
       ~2km
▼外傷    軽度
▼熱傷    軽度
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)

木造家屋内の場合;
       ~2km 2~4km 4~6km
▼外傷    高度  中度  軽度
▼熱傷    軽度  
▼放射線傷害 中度(~1.5km) 軽度(1.5~3km)

コンクリート建築物内の場合;
       ~2km       
▼外傷    軽度
▼熱傷    軽度
▼放射線傷害 中度(~0.5km) 軽度(0.5~1.0km)



11:本当にあった怖い名無し:2012/05/21(月) 19:02:23.63 ID:UZVMDw5t0

核爆発での生存法
1.
地表から1m以下にあるシェルターが核爆発と爆発後の放射性落下物からの最良の防御となる。
もしシェルターがない場合には、以下の構造物がそれに次ぐ防御となる。
・地表から1m以上隔離された洞窟やトンネル
・嵐からの避難場所、または地下貯蔵庫
・地下室
・石または土で作られた人気のない建物

2.
もし放射能にさらされた場合は、直ちに石鹸や水で(もしその水も汚染されている可能性があるとしても)体の隅々まで洗うこと。
これにより、完全にではないが、ほとんどの放射能粒子を取り除く事ができる。もしも水がない場合には、清潔な布や汚染されていない土
(地表から少なくとも1m以下の位置にあるもの)で体を拭く。

3.
自然にろ過されている地下水(泉、井戸など)や、人気のない家や店の水道管から水を安全に摂取する事ができる。
地表から15cm以下の位置にある雪も安全な水資源となる。

4.
野生の動物は完全に汚染されていないとは言い切れないが、他に食料品がない場合には、それらが食料となり得る。
ただし、見るからに衰弱している動物は絶対に摂取しない事。食べる場合は、動物の皮を丁寧に全てはぎ、骨や関節に近い部分の肉は食べないようにする(動物の骨は90%以上の放射能を含んでいる)。放射能にさらされていたものであったとしても、全ての卵は食して問題ない。

トークイベント:戦争と原爆の問題、声を大に語り継いで 「はだしのゲン」作者・中沢さん訴え /広島
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20120528ddlk34040282000c.html


こめかみは銃、手首に針金らしい
http://a-bombdb.pcf.city.hiroshima.jp/pdbj/search_result_list.do?stype=1&start_no=1&class_name=pict&item_list_num=20&freeword=%E6%8D%95%E8%99%9C


毎年原爆死者が数千人ずつ増えていく

原爆死没者:冥福祈り 長崎市役所で「筆耕」始まる /長崎
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20120605ddlk42040509000c.html

>昨年8月から今年7月末までに亡くなったり、死亡を確認したりした約3000人分を追加するという。

原爆死没者名簿に名前を載せてもらうだけなら、審査とか証言とかいらないんだよ。
原爆手帳を持ってる必要もないし、自己(遺族)申告のみでいい。

広島市原爆死没者名簿登載申請書
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1283234802275/files/meibo-shinsei.pdf
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1283234802275/index.html


呉の元教師加納さん、原爆資料館に寄贈 遺品の黒こげ弁当箱 広島
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120610/hrs12061002030001-n1.htm
$夢のタネ


被爆した弟の弁当箱寄贈
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201206130010.html

まるでキノコ雲! 燃えているような不気味な雲が撮影される
http://rocketnews24.com/2012/06/20/222325/

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故トルーマン大統領の孫、被爆地を初訪問へ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1340283822/

トルーマンの孫、被爆地初訪問へ=8月の広島、長崎式典出席

太平洋戦争で原爆投下を決めたトルーマン元米大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(55)が 8月に広島、長崎両市で開かれる原爆忌の式典に初めて出席することが21日、分かった。訪問を呼び掛けたNPO法人が明らかにした。
原爆を投下した米爆撃機B29の搭乗通信士の孫、アリ・メイヤー・ビーザーさん(24)も出席するという。

ダニエル氏は8月3日に広島市を訪問。平和記念公園や平和記念資料館を見学するほか、松井一実市長や被爆者と面談し、6日の式典に出席する。
9日に行われる長崎市の平和祈念式典にも出席するという。(2012/06/21-19:13)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012062100850

故トルーマン大統領の孫、被爆地を初訪問へ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1340283822/


原爆資料館で爆死証明書展示
$夢のタネ

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120705/01.shtml



1945年9月の長崎の映像
浦上駅から見た長崎医科大付属医院(前方右)方向の光景(長崎原爆資料館提供)
$夢のタネ


被爆1カ月後の長崎市を撮影した映像をフリージャーナリスト繁沢敦子さん=兵庫県西宮市=が米国立公文書館から入手し、長崎原爆資料館(長崎市平野町)に寄贈した。原爆の熱線で全身を焼かれた外国人捕虜が収容されていた施設と、被爆までいた福岡捕虜収容所第14分所があった同市幸町付近を中心とする市街地の惨状を映している。映像は同館で10日から公開する。

当時の長崎市を記録した映像は日本映画社が1945年10月に撮ったり、広島・長崎で原爆の効果を調べた米国戦略爆撃調査団が同10月から翌年2月に撮影したフィルムがあるが、今回の映像はこれらより早い時期に映している。

しかも原爆で負傷した捕虜の姿を捉えた映像は珍しく貴重。繁沢さんは「映っている人やその家族の特定につながればうれしい」。
同館は「映っている捕虜の顔と、館が所有する捕虜の証言ビデオの人物と同じか突き合わせる」としている。

寄贈映像は白黒、無声で約6分。ロケーションボードには、プロジェクト「STINKO」で長崎を45年9月8~9日に撮影した、とある。 STINKOは、米陸軍航空軍が戦果を報じる広報活動として企画したとされる。ボードにはダニエル・A・マクガバン氏の名前も見られる。
同館によると、マクガバン氏は後に米国戦略爆撃調査団のディレクターを務めた。

繁沢さんは、終戦直後に来日した連合国側の記者らが被爆地で何を取材し、どう伝えようとしたのか検証した「原爆と検閲」(中公新書、2010年)を執筆するため、関連資料を国内外で収集。その一つが今回寄贈した映像だった。

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120710/01.shtml


■水爆爆発させて作ったチャガン湖「核の湖」



現在では通常の1000倍だかの放射線で近寄るのも危険だが
当時はなぜか安全だったらしく後半の部分では泳いでます。
(※当時はなぜか安全・・・なはずないだろう~!苦笑)

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東京新聞:弟奪った「模擬原爆」に原発事故重ね 大事なこと知らされねぇ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012071802000090.html

鹿児島市役所で「原爆と人間展」
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=41858


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頭上5600mで核爆発おきたらどうなるのかやってみた!(55年前の動画)

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=BlE1BdOAfVc#t=49s

http://www.gizmodo.jp/2012/07/655.html


「グランド・ゼロ 人口5人」という木の立て看板の隣に所在なげに立つ米兵5人。

これは55年前の今日(米時間19日)、米国防省がラスベガス北西約65マイル(105km)で行った核ミサイル爆破実験の映像です。
核実験は何百回となくやったのですが、この日は空軍の5人とカメラマンを地上に置き、その頭上で爆破したんですね。

なぜこんなことを?
国防省(DoD)と国営公共ラジオ(NPR)の説明によれば、核兵器が安全なことを実証するためにやったんだそうですよ。 原子爆発なんて人体に害ないんだから夕日や子犬眺めるのと変わんないよ、ほらね、と。

まったく給与格付に釣り合わないリスキーな仕事なわけですが、このプロパガンダのギニアピッグに駆り出された憐れな男が、この5人なのです。
と言っても5人は自分から志願したボランティアで、カメラマンのジョージ・ヨシタケ(George Yoshitake)さんだけが不承不承みたいですけどね。ヨシタケさん...。

で、その後はどうなったんでしょう? やっぱり全員がんで亡くなったのか? それについてはNPRが追跡取材していますよ。
以下が5人のその後です。

シドニー・C・ブルース大佐(Col. Sidney C. Bruce)- 2005年没(享年86)
フランク・P・ボール中佐(Lt. Col. Frank P. Ball)- 2003年没(享年83)
ジョン・ヒューズ少佐(Maj. John Hughes)少佐、同姓同名が多いが1919年生まれのMaj. John W. Hughes II少佐と思われる - 1990年没(享年71)
ノーマン・ボディンガー少佐(Maj. Norman Bodinger) - 不詳(データベースにない。存命中?)
ドン・ルトレル(Don Lutrel)氏 - 正しくは「Luttrell」? DVA(退役軍人データベース)には「Donald D. Luttrell陸軍伍長、1924年生まれ、1987年没(享年63)」という登録があるが、この人かもしれない。

因みにヨシタケさんは80代になってもご覧のようにお元気そうですよ(2010年現在)。

小さな弾頭だったし、上空18,500フィート(5.6km)とかなり高い高度だったので、ガンマ線も中性子線も人体にはあんまり降りかからなかったようですね。
(※上級5600mという上空と規模の小さな弾頭まさにプロパガンダの結論ありきな実験&結果ですね・・・この原爆の首謀者が自ら「これは酷い結果となりました」なんていうわけないし、みえみえのやりそうなことですね~。)

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原爆投下直後の残留放射能を確認
$夢のタネ

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/314801


------------------転載おわり

(管理人)
防備録として・・・日本人ならこれはしっかりと記憶しておきたく・・。
今更、今の時期になぜ?というのがありますが、別に終戦記念日に限らず、いつでも覚えておくべきことだと思います。
ドラマを見ても、何を見てもほとんど涙も感動も殆どない自分ですが、この記録やその画像を見るとどうしようもなくやりきれない、同じ人間としての悲しみと憤りに涙が湧き出てきます。

基本的に同じである原発を推進するだなんていう人や組織は、根本に「金」という悪魔に魅入られたこの世界を、地球単位で深い闇におとし人々を惑わし堕落させてきたその張本人であり、象徴的なものであると言えると・・・思います!