東京新聞Webより転載です。
2012年7月18日 07時14分

$夢のタネ

 「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した

 大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。

 大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
 しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。

 夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。

「原子力破滅未来のエネルギー」。
二十六年目の訂正の瞬間だった。


大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。
日本に原発はいらない」と話した。 
(野呂法夫、写真も)
(東京新聞)

------------------------以上、転載おわり

大沼さんが子供の時に応募した原発に関する標語が選ばれ、原発事故で初めてそれがウソであったことに気づき、胸を傷め続け、訂正に至ったという。まとめるとそういうことですが、しかしこのような思いは多かれ少なかれ今回の原発事故を経験した誰もが思うことだと思います。

しかし、この大沼さんが過去に思い描いていたように、原発が「安心、安全クリーンなエネルギー」であるとさまざまなメディアを通じて、全国民に洗脳してきたのは日本政府です。国民に対して、そうした宣伝にも巨額な税金を投じ、地域の権力者を買収するなど(もちろん買収費用も税金)、強引なやり方で原発の建造を推し進めてきた。というのが真実なわけです。

私の田舎、四国にも伊方原発がありますが、この時にも漁業や農業で生きてきた地元の方々は、農業、漁業が放射能によって出来なくなる!と当事、原発誘致に必死に反対&抵抗し、署名を集め話し合いを持つなどいろんなことをして押しとどめようとしてきたのです。

しかしちょとうろ覚えですが、漁業組合の頭となる人が住民を裏切り(お金で懐柔された)強引に誘致が決定されてしまった。という経緯があります。実際、現地の住民らは必死で戦ったのです。しかしお金、お金、すべてがお金で人の心を操り、お金のために人の命も軽視し、お金のために原発が建てられたのです。この原発産業のあり方は今も変わっていない。


この大沼さんのように、過去の思い違い、また無知や無関心で後悔する方も多いと思いますが、もう、それは終わったことです。これ以上、後悔しないためにも、これ以上日本の国土や自然、人々を失わせないためにも原発には大反対するべき。


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次に・・・これは、密かに話題になっている私の田舎高知の方々の「原発反対デモ」です。

見ていただくとわかりますが、メルトダウン・ブルースを歌いながら大きなタケ筒を持ってリズムをとって、少ない人数で町を練り歩く!^^ 
一部ではこのデモのスタイルかっこいいと評判のようです。w

7.14脱原発デモ『脱原発四万十行動in中村 月例デモ』