http://maglog.jp/nabesho/Article1408812.html

-「ガレキ受け入れ」の実態は震災復興利権の奪い合い!-
「石原都知事とガレキ処理を請け負うゼネコンとの利権疑惑は本当か」
「天下り団体や東電役員が東京都の災害廃棄物の処理に加わっている」。


 東京都と東京二十三区清掃一部事務組合などが主催する災害廃棄物広域処理の説明会で、住民側からガレキ利権を追及する声が相次いだ。説明会に参加した住民は、
「利権疑惑の質問にまったく答えていない」、「行政側は、はぐらかしてばかり」と怒りが収まらない様子。

「東北の被災地を助けるために協力してほしい」と、野田首相らが全国の自治体にガレキ処理の協力を呼び掛けているが(実は、首相発言の一週間前に筆者ブログの「ガレキ受け入れは野田首相自ら国民に訴えろ」を野田氏の事務所、官邸等にFAXとメールで送りつけた)、いまだに難色を示す自治体が多い。
 その背景には、放射性物質への懸念のほかに、こうした災害廃棄物をめぐる利権疑惑への不信感があるのは間違いないだろう。

 東京都の災害廃棄物の処理スキームや、これまでの報道を分析すると、「石原都知事―鹿島建設」「鹿島建設―女川町」「女川町―東北電力」「東北電力―鹿島建設」の四つの「利権の絆」が浮かび上がってくる。


 石原知事はガレキ受け入れで相次ぐ苦情に「黙れ!」と一喝したが、自身の利権疑惑がネットや週刊誌で報じられてからは、釈明もせずに「被災地の懸命な努力をよそに、政府は致命的にスピード感を欠いている」と、国に責任を転嫁する始末。

東京都の焼却事業に「復興利権」の重大疑惑!
 かつて石原知事の第1秘書を務めた栗原俊記氏は、現在は鹿島建設の執行役員。「石原知事と鹿島で何らかの裏取引があったのでは?」との噂が広がり、石原知事のリコールを求める声も出てきている。

 また、東京電力と東北電力は事実上の兄弟会社。鹿島建設は女川原発1~3号機の建屋などを建設。女川町の総合運動場や野球場など庶民向けのハコモノ建築物を受注しているのが鹿島だ。

 仙台市にある東北電力本店ビルは鹿島が請け負った。鹿島は、女川原発東北電力関連で莫大な利益を得ていたことになる。同社のホームページでも「特別寄稿」と銘打って女川町を大々的にPRし、「絆」の維持に懸命だ。

 利権の疑いを招く元凶は、東京都が作った災害廃棄物処理スキームにある。ガレキ処理費として最初の1年で約70億円、3年間で約280億円の運転資金を東京都が貸し付ける「東京都環境整備公社」の理事長は元東京都環境整備局長で、評議員には東京電力の執行役員や東京都産業廃棄物協会会長らが名を連ねる。

 さらに、東京電力グループの「東京臨海リサイクルパワー」が可燃性ガレキの焼却事業を請け負っている。

「天下り団体理事長」「東電役員」「産廃業の重鎮」――
これだけ役者がそろえば、「利権はまったくない」と釈明するのには無理がある。

こうした事実に、住民の疑いが目が向くのは当然だ。

 利権の意図がなかったにしても、災害廃棄物のスムーズな処理を考えた場合、疑惑を招きかねない工程を作ることは、絶対に避けなければならなかったはずだ。

 利権の疑いを招く工程を作った東京都庁役人は、第一級の「戦犯」といえるだろう。ガレキ受け入れに自治体が熱心なのは、「被災地支援」よりも「復興利権」が目的といえるのではないだろうか。

 石原慎太郎都知事とスーパーゼネコンの濃い癒着を、筆者は度々指摘してきたが、ここにもそれがあったとは・・・

石原の長男、伸晃を落選させ、三男の高宏を当選させるな!!そして慎太郎に天誅を!!

$夢のタネ

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私が高知のガレキ受入れを止めさせてほしい、等言うと、「自分たちのところだけ助かればいいのか?」というありがちな口撃を何人からもらって、すごくワガママに思えると、自分たちだけ助かれば他のところはどうでもいい!という風に聞こえると、、言われた。

まぁそれはそう聞こえるのかもしれないけれど、自分が自分のふるさとを汚染したくない、悲劇に繋がると確実に判ることを止めて欲しいと願うことがおかしいのだろうか?

「痛み分け」という気持ちは昔からの日本人の和を尊しという風潮にある。といえるかもしれないが、これがやっかいなことに、前提として人に従順であり信頼し、従うことが良いことと思っているからゆえに、支配者からするととても扱いやすい。自分からその罠に嵌ってきてくれる人が多い。ということであるし、この支配者が騙そうとすれば簡単に、しかもそれと知らずに騙されて、しかも気づけないまま。
何度でも言うけれど、国民同士が分断されてはいけない。
本当に何が起こっているのか?ということを知り、国や政府が何とかしてくれるという依存心を、とっぱらって、もう国民同士が自分の意思と力で考えて行動するようにならなければならないということ。

これがないと、ずっと同じように支配層らだけがうまい汁をすすって、自分たちはやつらを快適に裕福に生かすために働くただの奴隷としての生活が今後もずっと続く。ということ。
今の政治家らはもう内面的には堕落して勘違いしている人が多いと思えるので期待してもムダだと思う。