5年前の今日 ぴーちゃんの旅立ち | りんの日記

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18トリソミーの娘、ぴーちゃんを授かったことから始めたブログです。
ぴーちゃんの育児日記でしたが、お空へと送り出し、なんとなくダイエット日記になっていましたが、息子ふーちゃんを授かり、育児日記に戻りました。

なんとなく眠れないのは、明日がぴーちゃんの命日だからでしょうか。

5年前の今頃。
かなり厳しいけど、奇跡が起こるはずって思ってたな。

でも、そもそも生まれてきたことが奇跡だったし、一緒に生活してたことも奇跡だったし、奇跡の使いすぎだったわね。

ぴーちゃんの命日には、ぴーちゃんに見せたかった景色を見に行く!と毎年旅行していたのですが、今年は残念だけど行けないや。

ぴーちゃんとよくいったチューリップの綺麗な大きな公園も休園してますしね。


明日はどう過ごしたらいいのかしら?


ぴーちゃんの最期、アメブロに書いていないんですよね、私。


書こうと思ったけど、どうだろ書けるかな。



ひとつ引っ掛かってることがあるんですよね。
5年前のこの深夜0時頃に訪問の先生が診察して、厳しいね、って話をして帰っていかれたんだけど、2時にまた来てくれて、BIPAPの設定をSTモードからCPAPモードに変えていったの。

これでよくなった子がいたからって。

そのとき、少し引っ掛かったんだけど、奇跡にすがりたいから受け入れたの。

このとき、ぴーちゃんはもうおしっこが半日出てなくて、腸の音も肺の音も聴こえてなかったの。
冷静に考えたら今ならわかるよ。
多臓器不全だよね、もはや。


STモードとCPAPモード。
呼吸をより補助してるのはSTモード。無呼吸にも対応する。
だからこの状態でなんでCPAPモードにしたのかなって、思って聞こうと思ったけど、怖くて聞けなかった。

本当にこれでよくなった子がいて、それでぴーちゃんもって奇跡を信じて変えたの?

それともぴーちゃんが最期になったときに自然に旅立てるように自発呼吸メインのCPAPモードにしたの?
この考えがよぎったけど、あのときは言霊になりそうだから言えなかった。


多分、多分だけど後者なのかな?
優しい優しいあの先生の優しいウソだったんじゃないかな?って。
どっちでもいいんだ、今となっては。
優しい先生に嘘をつかせてしまったのなら、申し訳ないなって。


奇跡を信じてたから、パパには寝てもらった。だけど朝方、ぴーちゃんの心拍が落ちてきた。
もうこれはさすがに厳しいなって思った。
夫婦ふたりで泣いて、ありがとうっていっぱい言って。

もう逝くの?逝っちゃうの?って。


虚ろなこんな状態のときに、ぴーちゃんはちっちって舌を鳴らした。

ぴーちゃんのミルクちょうだい、の合図。
生後どれくらいだったかな?ぴーちゃんが唯一私たちに分かるように習得した合図なの。


それをこの状態で。
驚いた。

ねぇ、生きたいの?頑張れるの?


そう思いながらも急いでパパにミルクを作ってもらう。

NPPVのマスクを外し、哺乳瓶で飲ませる。
でも腸が全く動いていないのは分かっていたから、飲ませながら、胃管からミルクを引いた。
ぴーちゃんが苦しくないように。気持ち悪くないように。もしかしたらまだ治療できるかもしれないから、負担をかけないように。


私は混乱してた。
生きる気力があるのだろうか。


家で看取るつもりだった。
でも本人に生きる意志があるなら、今からでも救急車呼ぶ?
でももう全身状態が悪すぎる。


ミルクを飲んでね、それから少ししてぴーちゃんは呼吸を止めた。
目がね、一気にガラス玉のように、手が白くなって。
あっ、今、魂が抜けたなって分かったの。
心臓とまるまえに魂って抜けちゃうのね。

ぴーちゃんはそのまま眠るように目を閉じた。
パパが抱っこしてた。
もうモニターはSpO2も脈も拾えていなかった。


ここで私は間違いを起こしたの。私は悲鳴をあげてしまったの。
そしたらその声にぴーちゃんはびっくりした顔で目を限界まで開けたの。

あぁ、ごめん。ごめんね。
穏やかに逝こうとしたのにね。
抱っこして子守唄でも歌ってあげてお空に旅立たせるつもりだったのに。
ママ取り乱しちゃったよ。
ごめんね。びっくりしたよね。


このびっくりした顔で目を開けたことに私もびっくりして、パパと抱っこを代わり、ごめんねごめんねって謝った。
結局ね、ぴーちゃんはおもいっきり目を開けたままお空に旅立ち、目を閉じてあげることができなかったんだ。

後悔してるの。なんであそこで大きく悲鳴あげちゃったのかな。

私のお腹から産まれて、私の胸から旅立ってしまった。2歳になったばかりだった。
55cmくらい、体重は最期は2200gくらいかな?
3000gは一度も到達しなかったな。


訪問看護師さんが来てくれてね、先生くるまで一緒にいてくれたの。
先生に死亡確認してもらって診断書には、死因に窒息って書いてあった。

窒息?無気肺だから?
市役所の人は、誤飲とか布団での事故とかって思うのかな。
どうでもいいけどね、そんなことは。

それでね、先生が帰ってからゆっくり3人でお風呂に入ったの。きれいに洗ってあげてね、クーラーMAXでつけて、3人で一眠りしたの。



火葬までは穏やかな時間だった気もするし、壁に頭をがんがん打ち付けて自分を痛め付けたりもした。病死なんだから仕方ないんだけど、私が選択を間違えたから死んじゃったんだって思って。

無数にある人生の道を、慎重に歩いたつもりだったけど、間違えたから死なせたんだって。

私が間違えたから死なせたんだ。誰か裁いてください。逮捕してください。
そう思った。でもみんな優しいの。
誰も私を責めないの。
だから、自分で責めた。


ちなみに頭打ち付けても全く痛くなかった。

ぴーちゃんはね、とびっきり可愛い服を着てね、私とパパの脱ぎたてのパジャマにくるんでね、みんなからいただいたお花に包まれて旅だったんだ。

本当はお返ししなきゃいけないのに、ごめんなさい。住所控えるとか、そういうの頭回んなくて後に親に言われて気付くっていう。
だから、貰いっぱなしになっている。。。
今さらだけど、みなさん本当にありがとうございました。そして非常識でごめんなさい。


もう日付が変わったね。


こんな思い出がたくさんの今のおうちなんだけどね、引っ越しを検討してるんだ。

ふーちゃんを育てるために。
今の家でもできることだけど、よりよい環境で、と思うと引っ越ししたほうがベター。


ぴーちゃんはどう思うだろうか。
そしていざすっからかんになったこのおうちを見たとき、私たち夫婦のメンタルはどうなるかな。