宇宙瞑想の具体的やり方について書く前に、

 

世の中に祈りや瞑想と言われるものはいくらでもあるわけですが、

その効果について考えますと、その方法自体というよりもそれをやる人の意識次第で変わってくるように思われます。

 

単刀直入に言いますと、

その人の意識が、相対世界にどっぷりハマり込んだ状態か、あるいは相対世界から高次の意識へとどれくらい向かっているかその指向力と言いますか、どちらが真実なのか?という基本命題に対する自分の中の考えというか信念、信じる心がどれほどのものなのか?というところに関わってくるのかと思います。

 

例えますと、

相対世界にどっぷりハマり込んでいる人が藁をもすがる気持ちで祈りや瞑想をするとします。

必死ですから、(これをやれば良くなると言われたからきっと良くなるに違いない!もうここにしか救いはない!)ってなことで、必死に祈れば確かに状況が好転するということはあるでしょう。

 

が、しかし、その人が相対世界が現実であるという厳然たる観念を持っている限り、またもや違う形で何らかの困難な状況に出くわすことになるでしょう。なぜなら、相対世界が本当だと思っているということは、良くなったり悪くなったりいいことや悪いことというのが当たり前にあるものだと思い込んでいるわけですから、いくら一時的に何かで良くなったとしてもその反対の悪いこともあるという観念を持っている限り何回でも悪いこといいことの繰り返しが発生しますよね。

 

お金持ちになりたい、有名になりたい、美しくありたい、人に好かれたい、健康でありたい…

 

人間なら誰でも当たり前に願うことです。

 

でも、相対世界でのそういった願いというものは、裏を返せば、今自分がそうではない状態であるからもっと良い状態を願うということなのです。それは言い換えれば、自分が今自分の望まない状態であることを完全に認めている信じているということでもあるのです。

あるいは、自分が望まない状態になるのが嫌だから前もって祈ったり瞑想しておく、みたいな状態も似たような感じかと思います。

 

 

相対世界が現実としてあることが前提での祈りや瞑想ですと、どうしてもいいことの反対の悪いことの存在も認めているので、良かったり悪かったりの繰り返し、いわゆる輪廻の輪からいつまでも抜け出せないということですね。

祈りや瞑想をやる意味が、相対観念での今より良くなりたい、という観念によって目的がすり替わってしまうわけですね。

 

では、相対世界は幻と観じているし、意識的にも実在は高次元の神意識であると確信し、その方へしか向いていない、という状態であれば、

悪いことにも出会わないのか?

まず、こういう疑問自体が相対世界に生きている人の発する疑問ということになりますね。

 

なぜなら、上記のような、本当に相対世界は幻で、人間の本体は光そのもの神意識そのものである、ということをはっきり分かっている人は、この現世でいかなることがあろうと身に降り掛かろうと、心は一切影響を受けない。

心、それも深い神意識こそが真我であると分かっていれば、何の問題もないわけです。

悪いことが起きたから祈ったり瞑想するとか、不幸や災難から逃れるために祈るとか瞑想するとかという観念ではない、ということですね。そういった真理に目覚めた人ならば、この世に起きる出来事は全て意味のあること必要なことと分かっているので、いいとか悪いという観念で物事を見ない。すべて意味がある=すべてありがたい、ということになるわけです。

そうしているうちに、真実のものしか現実に現れてこなくなる、要するに無限の愛と調和と光、感謝、のようなものしか現実にも現れてこなくなる。それは宇宙の法則である、信じるものが現実となる、という法則が作用した結果ですから自然なことということになります。

 

結局のところ、これが次元上昇ということになりますね。

 

 

こういう考え方は、本当の意味での祈りや瞑想をしていく上で基本的に重要なことであると思いますので、敢えて書かせていただきました。

 

ただ、そこまで高い意識でないと祈ったり瞑想したりしても意味はないのか?ということではなく、やはりどういう形にしろ祈りや瞑想はいずれはその人の神性を開く道への導きになるでしょう。

 

ここに書かせていただくことは、あくまで次元上昇のサポートとして書かせていただいているので、その観点から必要なこと重要なことを書かせていただくことになるのは致し方ありませんので、ご了承のほどよろしくお願いいたします。

 

続く。