宇宙瞑想についての補足です。
宇宙瞑想のやり方のメインの部分としては、宇宙瞑想④に書いた事ですが、
宇宙瞑想①から書いてある動機的な根本的な考え方というところも含めて、
宇宙瞑想になりますので、ご留意いただきたいと思います。
今回の捕捉事項は、
宇宙瞑想をさらに深めるための考え方といいますか、
宇宙瞑想をやることで出てくる感覚なのかもしれませんが、
あらかじめその考え方を念頭においておくことで逆に深まるということもあるかと思いますので、
付記しておきます。
宇宙瞑想④でも書きましたが、
この現象世界、宇宙のあり得ない奇跡の連続ということですが、
あらゆる自然でも物質でも肉体でも肉体の人間で創り出して管理して機能させているものなど
何もないと言っていいわけです。
ということは、どういうことか?
今まで肉体人間の全員が「この私が私である。」と思って生きてきた、
言わば、西洋のとある哲学者が昔主張した「我思う故に我あり」という観念。
これは今までの地球人、肉体人間にとって至極最もなことと受け入れられて納得されてきた観念ですが、
それが、まったくもって甚だしく誤った観念であることが理解されてくるわけです。
「我思う」というその脳みそや考える力はあなたが創ったんですか?
いのちそのもの細胞の一つさえも創り出せないのに、「我思う故に我あり」などという尊大なことは言えないわけです。
言い換えさせていただくならば、「神思う故に我あり」といったところでしょうか。
敢えて批判的になったかもしれませんが、
本当はいいも悪いも正しいも誤りもないわけです。
ただ、地球の宇宙の進化のプロセスにおいての必要だった現象に過ぎません。
ですからすべて必要で意味のあったことです。
ではありますが、ことここに至っては、
もう古い観念から脱却しないといけなくなるわけです。
それも進化のプロセスで自然に必要不可欠無ことですから。
ということで、上記のようなことを敢えて書かせていただきました。
で、ここで一番申し上げたいことは、
今まで地球人類が「この肉体の私が私である。」と思ってきたその自分というものが、
実は、よくよく心を開いて心を落ち着けて周りを見渡しますと、
太陽があり、大地があり、海があり、水があり、空気があり、植物が多様に存在し、はたまた動物が多様な動物が多様な能力を持って活き活き活動し、土や岩石があり人の役に立っていたり、さらにこの肉体の細胞、臓器が生まれながらに完璧な状態で創造されそれがまた日々瞬々適切な働きを続けていたり…
そういう当たり前に思って見過ごしてきたことを虚心坦懐に純粋な心と目で見渡しますと、
「この肉体が自分である。」と認識していた観念が全く幻想であったかのように感じられてきます。
太陽や星々があるから、それにそれらが毎日規則正しく存在してくれているから我々は生きていられる。
地球が大地があるから、そしてもちろん太陽があるから植物も育ち我々も食べて生きていかれる。そこに家を建てて生活できる。
水がある、天候の活動があるからそして山があり植物や鉱物があるから水が浄化され湧き出て流れ我々の生活で使わせてもらえる。
海があるから魚や海藻などが生きていられる、その恩恵を蒙って我々も御いのちを頂戴できる。………
キリがないのでこの辺にしておきますが、
こうやって書いている間にも心がジーンとして感謝が溢れてまいります。
こういうことは幼児でもわかること、あまりにも当たり前すぎてそこに想いが及ばない、
というのは、それだけ頭の中や顕在意識がその他の日常や過去や未来のことに囚われてしまっている、ということです。
本当に考えるべきことは、(敢えて「べき」を使わせていただきます。なぜなら次元上昇に必要なことを書かせていただいておりますわけですから)
上記のようないのちの根本的なあり方のことなはずです。
そして、そこに思いが至った時にハタと自覚的にわかることが、
「ああ、今まで自分だと思っていた自分は肉体だけの自分で、それは単なる物質でしかなくしかも完全に有機的に繋がっているこの自然や宇宙の運行から切り離して認識していた本当に限定的な狭い狭い自分、いわゆるエゴだけに過ぎなかった!本当の自分とは、
まさにこの肉体を肉体たらしめている生命そのものエネルギーであり、この肉体を生かしてくれている大自然そのもの宇宙そのもの、
まさにそれらすべてを含めての自分こそが本当の自分であるんだ!」
ということです。
それが大我、真我と言われていることです。
おそらく10年以上前とかですと、こんなことを考えたり言ったりしようものなら、
「現実離れしている!現実逃避に過ぎん!」
とか言われて罵られんほどの勢いだったかもしれませんね。
今でさえそうおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。
上記のような考え方に収まりますと、
現状肉体人間が営んでいる生活というものがほぼ全否定的に疑問に感じられることが多々出てきます。
スーパーにただ商品として並んでいる肉や魚、野菜たち………
立ち並ぶ外食店がほとんど欲から生まれ出た欲の巣窟のようにさえ見えてきます。
批判的になってしまったかのようですが、
実際そういう感覚になるのは否めません。
ただ、何度も言うようにすべていいも悪いもない正しいも間違いもない宇宙の進化のプロセスに過ぎません。
やはりそういった文明の恩恵も蒙っているのは事実ですから、そこにも感謝です。
しかし、そのような批判的な感覚になるプロセスも或いは必要なことかもしれません。
それによって「変化しよう!」「変わろう!」という意志が生じるわけですから。
こういった根本的なところについて考えることこそこれからの人類にとって必要不可欠のことだと思います。
縄文時代以前の日本人は神代の感性で生きていたから、現在、「アニミズム、古代信仰、原始宗教」とかと言われるような自然のすべてに神を感じ感謝そのもので生きていたわけでしょうから、
現在アカデミックに一般的に受け取られている感覚は、アニミズム、古代、原始と言う言葉にどこか遅れたもの過去の遺産のような感じに受け取られているんではないか、と感じます。
しかし、はっきり申し上げて現在の人類の方が遅れているようなものですね。
この度は少し批判的な内容のように思いますが、
敢えてそういう内容になったのも、もう次元上昇に入って本当に現実的に目に見えて変革が現れてくる段階に及んで、
待ったなし!の状況になってきています。
人類一人ひとりの意識に変革が求められている時代であるのは明らかなわけです。
変革のためにはやはり今までの考え方、生き方、観念が間違っていたとい自己反省が必要なわけです。
反省は一回で済ませて次に行動を移せば良いわけです。次へのステップのための反省は重要ですね。
そういった際に批判めいた感じがあるのは否めません。
ただ、何度も申し上げるように真実の世界にはいいも悪いも正しいも間違いもないということです。
そういった相対的な観念からの脱却もこの次元上昇時には重要なことであります。
今回お伝えしたかった内容を要約しますと、
今までの「この肉体が自分だ」と思っていた観念から、
あらゆる自然の運行、宇宙の運行、そして肉体を肉体として活動維持している生命エネルギー、これらがすべて有機的に繋がっていることこそが、人間ひとりひとり存在して生きていけている由縁である。
故に、本当の自分とはこの生命そのものエネルギーそのもの自然や宇宙の運行、それを存在させ動かしている叡智そのものエネルギーそのものである。宗教的な言葉で言えば、「神意識」そのもの、である。
という真実に向き直していくことが、
宇宙瞑想時のまたひとつの重要な要素になります。
ということです。
まだまだ書き足りないですが、今回はこの辺で。


