最近、よく考えていることがある。
「そもそも、キャンドルレッスンって何がいいの?」ってこと。
遅い・・・。レッスンを始めて一年以上たってますが。
そう思うきっかけは、前回のブログで書いた、英会話の先生の話。
「高学年のうちになぜ英語が必要か、」ということをバシッと伝えてくださった。
「はい、やりますやらせます」という気持ちになるほどに。(言いくるめられらわけではありませんよ)
・・と同時に自分のやっていることに自然に目が行く。
「子供にとってのキャンドルのレッスン、どこがいいんだろ」ってこと。
はっきり言ってどうしても必要なもの、じゃない(笑)
絵や工作なら家でも出来る。キャンドルの明かりが欲しいならイケアに目玉が飛び出る値段で売ってる。
スイーツキャンドルだって、そこらじゅうに溢れてるし、作ろうと思えば家庭でも作れる。
家ではなかなか出来ない道具を使ってキャンドル作りを楽しむ、ってのはあるとしても・・・・。
まじめに考えてみました。生まれてから「表現をする」ということについてまでさかのぼり。
子供が小さいときは、手の動くままに好きなものを書く。
もともと持っている本能と、限られた手の運動に任せて絵を描くようになるんだけど、大きくなるにつれて「上手に描く」事を意識するようになる。
小学校に入ると特にそれは強くなる。図工の授業も成績がつくから。
その「評価」と、「自分の絵や工作の好き度」によって、絵や図工の「得意・苦手」が決められてしまうような気がする。(それで私は得意と思い込んでデザインの道に進んだけれど)
それは「苦手」と思っている人にとってはすごくもったいないことじゃないか?
もっともっと自由でいいはず。上手い、下手だけの問題じゃない。表現することを楽しむこと、自分を思い切り出してそれを評価してくれるような場がもっとあっていい。
何度か、近所の子を呼んで、部屋中にビニールシートを敷いてお絵かき教室なんかも遊びでやってみました。
「おもいっきり、描いていいよ~」と言っても
大きな白い画用紙を見るだけでもう後ずさりの子がいる。
う~ん。
それから何年から経って、キャンドルの仕事をするようになり、家で作っていると子供やその友達がすごく興味深々にしてる。「ねえ、作ってみたい」って何度も言う子がいる。ロウのかけらを嬉しそうにもって帰る子がいる。
ああ~、これか!と体に電気が走りました。
現在、私の教室には、2人から4人の仲良しさんか姉妹で来てくださる生徒さんが多いです。
初回は誰かの真似で作っている子がほとんどです(それも大事な工程)が、何度か通うことでしだいに「その子らしさ」が出てきます。
形、色、香り、細かいところでは質感、の好み。手のちょっとした癖、それは小さな子供が描く「本能の作品」に似ている気がします。
作品をみるだけで、外見や性格とはまた違う「その子らしさ」が出てくる。
限られた決まりの中で、ここでは自分でいいと思うことを充分に表現して欲しい。
そしてそれを家に飾って、ふとしたときに眺めることで「今度はこうしてみよう、ああやって作ってみよう」と思うこともとても大切。
そして、それがなぜキャンドルでなくてはならないのか?
キャンドル作りは、タイミングが命。(生徒さんの耳にはタコが出来ていると思います)
楽しい仲間とキャッキャと遊んでいたら、固まってしまうのです。
だから、この工程では楽しくお話していいけど、でもココからは集中ね!というメリハリがつきます。
それから、熱いものを扱うので集中しないと危ない。(それも次第に慣れてきますが)
さらに、色を選んだり絵を描く工程で「あなたはどうしたい?」の質問が何度も飛びます。(私から)
「見本になるべく近づけたい、」という気持ち。
「自分の頭にあるアイデアを形にしたい、」という気持ち。
「立派なものを作って、お母さんをびっくりさせよう、」という気持ち。
隣で作っている子とのライバル心も少々芽生えます。
もっといいものを、という気持ちがどんどん出てきます。
だから1時間半は長いようであっという間。出来上がったら「・・・はぁ~」とため息をつく子もいます。
それだけ集中して作った作品の、どの部分を頑張ったか、どの部分が上手に出来たかを、私が説明します。
(時々友達も評価してくれます、それは大きな励みになるでしょう)
とても得意げな顔が、可愛らしい瞬間です。どんな作品でもいいところが必ずある。誰かと比べるじゃなくてその子の作品のいいところ、それを真剣に伝えたい。
1回きりの記念日に、でもよし。毎回続けてどんどん自分探しをするもよし。
気ままに作りに来れる、がここのいいところ。
「今日、行ってもいいですか?」も大歓迎です。(予定が入っていなければ、ね)