憂國烈士 山口 二矢
憂國烈士 山口二矢
義挙より伍拾伍年
昭和三十五年十月十二日
山口二矢 捨漆歳
皇國日本國體護持御爲一命を懸け義挙に及んだ
昭和三十五年十月十二日、日比谷公会堂に於いて解散総選挙が囁かれ自民党、社会党、民社党の各代表演説が行われた
社会党、浅沼稲次郎の演説中、山口二矢 社会党 浅沼稲次郎を刺殺
憂國之志が一命を棄て日本國、日本民族、日本國民日本國臣民、御為義挙に及んだ
山口二矢 檄文
汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている
自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない
ここに於て我、汝に対し天誅を下す。
皇紀二千六百二十年
十月十二日
山口二矢
昭和三十五年十一月二日
少年鑑別所於 七生報國 天皇陛下萬歳 と壁に書き残し自決
黙祷
山口二矢 憂國烈士辞世
大君ニ 仕エマツレル若人ハ今モ昔モ心変ラジ國ノ爲神州男子晴レヤカニホホエミ行カン死出ノ旅路へ
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合掌
日本國、日本民族、國民、臣民は、山口二矢憂國烈士の義挙を志より称え絶讚しけして忘れる事なく志を継承し反日分子と闘い抹殺しなければ為らない
皇國日本御爲、七生報國、盡忠報國の志を強く持ち國體護持に勤め、戰後體制打破を成し遂げなければならない
皇紀弐千陸百漆捨伍年
神無月 拾弐日
憂丗齎 洛衟 拜上