母子関係は自分が何者であったかを知る道標② | お産の中の幸せの法則 今日も私の世界は平和

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助産師、母子看護概論の先生

お家にいながら月収0から10万を目指す、プチ起業のサポートも得意としています。

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前回の記事で
私が
40年間
親子問題を
こじらせていたことを
ちょっと書きました。


私はずっと
母親に愛されてないと思って生きていました。

ですので
どこか
遠慮をしたり
気を使っているところがありました。


いつから
お母さんに気を使うようになったのか?

どうして
本音が言えなくて

自分のことを相談できないのか?

ずっと
分からずいましたが


自分が子どもを産んだ時に

私に何の遠慮もせず
泣くわが子をみて


直感的に
赤ちゃんのときからだな

と確信しました。


私は
親に言いたいことは言いつつも
本当の悩みを相談することはできない人だったので

本音が
遠慮なく話せる親子関係に
とても憧れていました。

なので

自分の娘には
「なんでも話してね」
赤ちゃんのときから
話しかけていました

その甲斐あってか?

娘は
私に
何でも全部話す子になりました


大人になった今でも
基本
相談があれば
一番に電話をしてきます


今は
大人なので
ある程度安心していられますが

子どもの頃は
イジメたイジメられたという話で
学校に行けないとなったときは

このまま不登校になるのでは?と
不安になり
結構いろんな周りの人に相談しました。


なんでも話してくれる子どもを持って
分かったのは

なんでも話して欲しいと思っていたけど
心配しすぎてしまうし
過保護なのかとも思うし
どうしていいのか分からないT^T

いうことでした。


つまり


自分が望んでいたことではありましたが
自分がやった事のない事で
対応してもらった事のない事は
戸惑う
という事でした。


運良く

開運的な話が好きで
いろんな本を読んだり
人に合ったりしていたので

困ったときは
子どもと二人で

「ありがとう」
毎日何回も唱えました。


イジメ問題があったときも
イジメてくる子に向けて

ありがとう
を唱えていました
(お陰様で早く問題が解決しました)


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なんでも話してくれる娘は
私に何かして欲しいわけではなく
聞いて欲しかっただけのようでしたが

私の心は乱れ
本当に戸惑いました

そのときに

まず自分が思い出したのは
自分が保育園のときの事でした


夕方お散歩帰りに
お母さんに

「保育園で
お友達ができない」
行った事がある事を思い出しました

母は
「お母さんが先生にいってあげようか?」
と言ってくれたのですが

私は
「いい、自分でなんとかする」

と言った事だけを覚えていました。

そのときの
母親の顔は
どうしても
思い出せません


でも多分

とってもとっても
心配そうな顔をしたんだと思います


お母さんに心配をかけてはいけない

幼いながら
そう思ったのだろうと思います


そこから
私は
学校で虐められても
嫌な事があっても
話す事は無くなりました


私はお母さんに心配をかける子

なりたくなかったんだな

いつも
笑っていて欲しかったんだな

今では思えますが

そんな事を忘れていた頃は

お母さんが分かってくれない!
愛してくれてない!
思い込んでいたのでした。


つづく