愛猫の雌の三毛猫すず(十二歳)は

私に言わせれば三鷹市でたぶん一番きれいな三毛猫

 

 

その子が

一月末から食欲がガタっと落ち、反応が鈍くなりました
 

呼んでもこちらを向かない
いつもうつむいて暗いところに隠れる 水ばかり飲む

表情が閉じている
鼻の頭が真っ白
背骨が手に触る

ただごとじゃない

ネットサーフィンしてまず疑ったのが「猫伝染性腹膜炎」FIPと呼ばれるもの

あわてて、まずは近所の、FIPに詳しいお医者に

医者嫌いのねこをベッドの下から引きずり出して連れて行きました
 

評判通りその病院は検査の手際がテキパキしており
猫伝染性腹膜炎は悪くすると症状発覚から二週間で命持っていかれるので、前倒しでそれを阻止する薬を入れてくれました
炎症症数値(SAA)は上限215で振り切れてる (通常は5以下)
血液検査したらど貧血なのが分かった

腎臓肝臓に問題はない、とにかく赤血球や血小板が少なすぎる
40度以上の発熱 表情もどんより
 

FIP(猫伝染性腹膜炎)、溶血性貧血、巨大細胞腫
貧血に至る大病の可能性の検査が行われどれも否定された
猫白血病ウイルスもエイズウイルスも陰性、腎臓に問題なし
でも、でも、治療法が見つからない

検査のたびに貧血が酷くなっていく

ここでT高度医療センターに移ることにしました

で、高度医療センターで延々検査してもらった結果が「骨髄性白血病」の疑いが濃厚という診断
しかし、すずちゃんがあまり弱ってるので骨髄検査も細胞診も全身麻酔を伴う治療もできないだからあくまで「可能性があるのはこの病気」としかいえないとのこと
結局何の薬も出されず、古くからのかかりつけの近所の動物病院に今までのデータを見せて通うことに

ステロイドと食欲増進剤の投与 できることはこれしかないというお話
でもどっちもはかばかしくは効かない
お医者様からは、診察台でしょっちゅう失禁し痩せた体で暴れまわるすずちゃんのストレスを案じて
「訪問診療もありますよ」とすすめてくれました
なるほど、往診という手がある
できるのがステロイド注射と食欲増進剤だけなら、確かに往診の方が猫には楽だ

そうして我が家に訪問診療の先生が定期的に来るようになりました
思っていたより知識豊富でプロフェッショナルで(生意気ですいません)言いにくいであろうこともザクザク言ってくれる女医さん

この子は総合的に見て骨髄異形成症候群だと思います、白血病はこの後現れてくる病気です
どちらにしろ、血漿中に「ありえない若い白血球や未熟な壊れた細胞や血球が漏れ出している」ので、脊髄の造血作用がまともに機能してないのは明らかでしょう この子が死ぬとしたらこの病気でしょう
根本的な治療法はありません

それでもう覚悟がついた

すずちゃんはもうだめなんだ

 

いつも姉妹猫のすみれと一緒で

すみれは何でも食べて元気いっぱいなのに

 


 

治療は通院時と同じ、ステロイドと食欲増進剤(ミラダス。耳に塗る軟膏)

痩せてゆく 食べない 反応がない 呼んでもこちらを見ない
あんなに遊び好きで甘えっこだったすずちゃんが
甘えた声で鳴き、膝にいつも頭をすりすりし、夕食前にわたしの席を
「とった!」と邪魔して得意げだったあなたが
この子に治療法はもうない、あとは延命しかない

 

 

「この血液検査の結果ではいつどうなってもおかしくない状況です」
「わかりました 覚悟を決めます」

絶望でくらくらするけどどうしたって医者の前で涙は見せまい
ステロイドは家で自分で注射することにした ミラダスも耳に塗ってる
愛しのすずちゃん

いつ見てもでっかい目を見開いて虚空を見つめるだけ 視線が合わない

「羽が生えてきた?」
 静かな夜半 痩せさらばえた体を抱いて私はすずちゃんの耳にささやきます
「すずちゃんの透明な心に羽が生えてきた?
 そうしたらどこに飛んで行ってもいいんだよ、もう苦しむことはないよ
 あとの体は花だらけにしてちゃんとわたしがおくってあげるから」
 ねこは小さくにゃあと鳴いて、私の顔を見た
 ああ、かちりとこちらをみる満月のようなひとみのきらめき
 死を映す夜のまなざし
 きれいだね
 荒い呼吸をしながら

 すずちゃんは小さな声でにゃあと言った

 嬉しかったよ

 その夜、私はお酒をしこたま飲んで、丑三つ時の道路に出た
 
 先に虹の橋を渡った猫たち、お父さんお母さん、神様
 私のこの命を持って行ってください
 あげられるものならすずちゃんにあげて あるいは明日の命も危ない、生きたいと心から願う人のもとへでもいいから

 



 二か月心を削って削って暮らしました

 愛した分だけ、失う時に心はえぐられる

 何度猫を飼ってもこの事実を忘れてしまう
 私もう何も食べる気がしません
 花盛りの季節なので、抱いて外のお花を見せてあげるぐらいしかできません
 この子が何も口にせず餓死する運命なら、その前にこの命を持って行ってください
 もう明日はいりません
 いらないんです
 どうか私が明日の朝日を見ずに済みますように
 こころ弱い私を叱って下さい、その罰にこの命を差し上げます
 この子の死を見たくないんです卑怯者臆病者と呼ばれてもかまいません

 朝が来ませんように
 朝が来ませんように
 朝が来ませんように
 それまでに私の心臓が止まりますように

 ふらふらと酔っぱらいながら同じ言葉をつぶやいて家の周りをぐるぐるして
 家に帰ってもしゃべってる、止まらない
 頭と心のタガが外れた
 薄目を開けて眠るやせこけた三毛猫を見ながら
 アサガキマセンヨウニアサガキマセンヨウニアサガキマセンヨウニアサガ
 どくどくとどくどくと止まらない焼酎をコップに次ぐ

 
 アメユジユトテチテケンジヤ

 青い蓴菜のもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀に
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした
 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまつすぐにすすんでいくから
  
 アメユジユトテチテケンジジャ

 いきなり頭に浮かんだのは宮沢賢治の詩 「永訣の朝」
 死にゆく妹に請われたお椀いっぱいの雪を取りに行く兄

 猫はぺちゃんこになってぐっすり寝ている、皮一枚の骨格標本になって
 雪のように
 盛りを過ぎた桜がはらはらと散ってゆく夜の道はうつくしかったよ

 ねえすずちゃん

 朝は容赦なくやってくるのだろう
 この地上で何人の人が子供が動物が無辜の命が故なく殺されても
 あすもあさってもその先、ずううっと太陽はのぼるのだから
 私にできることは寄り添い続ける事だけ
 やせ衰えた体から魂が飛び去るときのお前の顔を思いながら
 まだかろうじて生きているお前に言う

 わたしもいつか行く場所なんだからね
 
 ずううっと

 散り続ける桜を見よう

 この地球は散りゆく桜のみを乗せた丸い蒼い球

 ずううっと

 一緒だよ