私には姉が二人おりますが、
一番上の姉とはかなり年が離れていて、住まいも離れていて
これと言ってそろって会う機会もなく、たまには会おうと決めて
久しぶりに三人でランチしたら、今78歳だと聞いて改めて驚きました。
ヒェーッ。
わ、私の一番上の姉が、78歳??
おばあさんじゃん!!(今さらか!自分もだバカ者)
それにしても二人とも(私もだけど)久しぶりにあったらよくしゃべるしゃべる。
私の記憶では、78歳の姉と69歳の姉二人とも、
少女時代から「口がないのか」と思うほど無口で大人しくて
69歳の方の姉なんか、何か精神的障害があるのではないかと学校で指摘されたほど。
とにかく「ウサギみたい」(小学校の頃の姉たちに対する印象)に無害な二人で
反抗もせず親子げんかもせず、当然私とも喧嘩にならず
しんと静かで、お勉強がよくできて、手がかからないというよりかからな過ぎて怖いぐらい、お雛様みたいな二人だったのです。
(それぞれに美人でした。今もだけど)
でもまあ。
同じ敷地内の別棟に住む真ん中の姉も、昔病気扱いされたのは何だったのかと思うぐらい、今は会うたびよくしゃべるんです。
相手がしゃべり終わらないうちに畳みかけるように、私も姉も言葉があふれ出て
昔辻々で買い物籠下げたおばさんたちが呆れるぐらいおしゃべりしていた、あのレベルになりつつあるんですわ。
その昔私は思ってました。
毎日大した経験してないだろうにおばさんたちは(たいていが専業主婦)なんであんなにしゃべることがあるんだろうと。
でも今、お婆さん寄りのおばさんになって、わかってきたんです。
私たちはもう、人生の晩年を迎えている。
終着駅だって、かすんではいるが遠くに見える年齢だ。
そのせいか、顔を見ると喋らずにはいられない。ほんと、どうでもいいことを。
限られた時間の中で、伝え合わずにはいられないのです。
近くの公園に鷹が巣をかけているの知ってる?
知ってる知ってる、散歩してるとバードウォッチャーさんがカメラを向けて群がってるのよね。
私雛が飛び交うのも見たわよ。
猛禽類がいるとカラスとか追い払ってくれるのよね。
でもね、カメラマンさんから教えてもらったんだけど、カラスの親は雛のために鳩を捕まえてくるんですって。そして雛のために羽根をむしるから、それがパラパラ落ちてくるのよ。
そりゃ、生きていくためには仕方ないものね。
うちの柿の木の実に、メジロやオナガ、ヒヨドリも来てるわね。だから高いところの実は取らないであげるの。
そういや今年は庭の柿が不作よね。
でしょ?だからね、足りないだろうと思ってわたしおみかんを割いてお皿において木の股に置いておくと、あっという間に小鳥たちが食べるのよ。
おみかんと言えば、日本のミカンもアメリカのオレンジもえらく不作みたいね。
何でも値上がりして怖いぐらいよね。今年の冬は、北海道の鮭が壊滅的に不漁なんですって。
それって、温度の高い海流が北上してるからじゃなかった?
漁場も変わっていくのよね、サンゴってどこまで北上してるんだっけ。
サンゴかあ。加計呂麻島のサンゴの海は綺麗だったわよお。
こんなことしゃべっていると、いつまでたっても終わりが来ません。
でも、私たちは伝え合いたいのです。
今日見たもの、印象に残った風景、おいしかったもの、先々の不安、あれやこれや。
だって、
伝え合う日々にも、そのうち終わりが来るから。
そう思うと、おばさんやお婆さんがおしゃべりなことに、何か悲しい印象が混じってくるんです。
うちは断捨離の最中なんですが、いずれ相続が発生したとき、この家を相続する子(多分娘)が始末に困らないように、なんです。
ところが71歳の夫は(まだ現役で働いてます)いらん本や画集、工具類を買い込み、古い服を捨てようとしやがりません。
「いつまでも親がそうだと家がすっからかんにならないでしょ!時間かけて捨てるしかないのよ、いずれ私たちこの家からいなくなるんだから!」
すると夫は
「あまりそういうこと言わないでよ、なんかさみしくなるから」としおたれるんです。
「何がさみしいのよ。いなくなるってことを言ってほしくないの? 死ぬのが怖いの?」
「そりゃ怖いよ、はっきり言って」
「へーえ?」
私はマジで、死ぬのは怖くありません。全身麻酔を三回やってわかったんですが、呼吸さえとまる全身麻酔のあの「完全な無の時間」「自分がこの世にいない状態」
あれは小さな死と同じ、いわば死の断片を体験したと同じだと感じるのです。
なにせ、眠るのと違って時間経過がゼロ、夢も何も見やしない。
点滴を受けて数を数えていたら、いきなり自分が消えて次の瞬間
「聞こえますか、終わりましたよー」
ほんとに時間経過ゼロなんです。でも後で聞けば手術は七時間かかったと。
(肝臓腫瘍摘出の時の時間)
そのあとはたくさんの管に繋がれ熱と戦い、苦悶の時間が続きましたが、まあ全身麻酔受けてるときのラクチンさと言ったら。
何しろこのめんどくさい自我含めて自分が消えるんですから。
あれが「死」であるなら、何を怖がることがあるんでしょう。
私たちはこの世に生まれる前、何かが怖かったでしょうか?
いや、ただ「無」であっただけです。
そしてまたそうなるだけ、その時に戻るだけ。
でも夫は「怖い」という。よほど生きてる今が楽しいんでしょうかね。
うらやましいこった。
さて明日からは、姉から譲られた農家直送のサツマイモでも焼いておやつにしようかなー。