娘は結婚式の時、両親である私たちにあてた手紙の最初に、言いました。
「お母さん、私を猫と一緒に育ててくれてありがとう」
そう、我が家には何時でも猫がいました。現在も、三匹。
もはやペットではありません、耳としっぽのある家族です。
夫と結婚した時から、代替わりしつつ、譲られたり拾ったり、子猫のほうからしがみつかれたりして、猫の訪れは絶えることがありませんでした。
そして猫たちはそれぞれに、私の娘と息子に対してとても、とても優しかった。
時には親のワタクシ以上に、無償の愛を注いでくれました。
その中でも一番情深く優しかった、猫のお話をしたいと思います。
名前は、ミルキー。
昔、まだそこら辺を野良や飼い猫が普通に闊歩していた頃、
ガリガリに痩せた病気の雌の子猫を真夏の路上で拾いました。
その子は舞い落ちる百日紅の花を一心に追っては食べていて、飼い始めてからも花以外は食べませんでした。
生後二か月未満ぐらいだったかな。
あばらが浮いていて目やにべとべと、しかもたんぱく質をとらない・これでは死んでしまうと、野菜をお湯で煮たものを刻み、そこに百日紅と水煮したお魚を少しずつ混ぜて、何とかキャットフード主体でも食べられるように持っていくまで相当かかりました。
生涯やせっぽちは変わりませんでしたが、なんというか人に頼らない独立独歩の精神を持った子で、甘えてくることはあまりないのですが、幼いわが子が病気の時、しかりつけて泣き寝入りさせてしまったとき、気づくとそばにいて子供を「抱きしめて」いるのです。そして「何してるの」と私を睨む。
ときには、娘がただ昼寝しているのだと思っていたらミルキーが額に額を当ててくっついているのでこれは、と思って娘に触れて高熱に気付いたこともありました。
庭で泣き叫んでいた茶トラの子猫を飼い始めのは、そのころです。
リーヤと名付けました。雄猫でした。
ミルキーは毎日毎日ぺろぺろ舐めてお世話して、「抱きしめ」て、自分の餌まで分けてやり、私以上の可愛がり方でした。美形の茶トラ、リーヤはミルキーが大好きになり、どこに行くにも一緒で、二匹はいつも抱き合って眠っていました。
ミルキーは避妊手術していたし、♂猫のリーヤを去勢してからも、追いかけ合い抱きしめ合って眠る仲の良さはその後も変わりませんでした。
そんなリーヤが、交通事故で死んでしまいました。
ミルキーはその喪失を受け入れられず、庭を彷徨っては聞いたこともない大声で泣きながらリーヤを探し続け、家の中も探しに探して、何日もそれをやめず、食べるのをやめ、毛はぼさぼさになり、声も枯れ、動けなくなってしまいました。
あれほどの、猫の悲しみを始めてみました。
娘の懸命の看病もあって何とか食は戻りましたが、体は弱ったままで、半年後にやせ細ったままこの世を去りました。
正直、親が死んだときにも私はあれほど嘆きはしませんでした。
色々猫を飼ってきましたが、あれほどに「愛し合う猫たち」あるいは「ミルキーのように愛情深い猫」にあったのは、初めてです。
「あんたのためを思って言うのよ」とか「あなたにこうなってほしいから」が一切ない、ただいつくしむばかりの猫の無私の愛に、
わたしは、一生勝てないかもしれないかもしれない。
ミルキーという猫を思いだすたびに、そう思うのです。