あるところに白雪姫というたいそうかわいいお姫様がいました。
ところがその美しさをねたんだ継母が従者に命令して、日が暮れてから姫を深い森におきざりにしてしてしまったのです。
「ここはどこかしら、帰り道もわからないわ。わたしここで死ぬのね」
お姫様は涙に暮れて、一晩深い森をさ迷い歩きました。力尽きたころ夜が明けて、森の向こうに、天国のような花園が現れました。
お姫様は突然の風景に驚いて、あたりを見回しました。
どこを向いても、花、花、花。
「わたしは死んだのかしら。ここはもう天国なのかしら」
でも、花園には人の姿は見えません。一晩迷い歩いたので体はくたくた、おなかは空っぽ。とにかく休むところが欲しくて花畑をさ迷い歩いていると、目のまえに白ばらの絡まる小屋が現れました。
「だれか、いますか?」声をかけながら中をのぞくと、まあ、小さなベッドが七つならんでいるではありませんか。
「眠らせてもらいたいけど、いくらなんでも小さすぎるわ。いったい誰のおうちかしら。あら、寝てるのは、猫さん?ここは猫さんのおうちなのね?」
白雪姫は猫に声を掛けました。
「猫さん、ここの片隅の藁のベッドでいいから、眠らせてくれますか?」
猫は眠ったまま返事をしません。お姫様は疲れ切っていたので、部屋の片隅の藁のベッドで眠り込んでしまいました。
やがて目が覚めると、昼間の狩りから帰ってきた猫たちが驚いた様子で白雪姫を取り囲んでいました。
「あらごめんなさい、勝手に眠ってしまって」そう姫が言うと、立派な長毛の黒猫が不愉快そうに言いました。
「どうやってここを見つけた。いいから外に出ろ」
「あの、何か食べるものはありませんか」おずおずとお腹ペコペコの姫は言いました。
「なんて図々しいお姫さんだ。我々は食べ物は自分で探す。ネズミや鳥を狩って食べる。お姫さんは自分の食べ物を自分で手に入れる事さえできないのか」
「ネズミや鳥ですって?かわいそうに。お城では小鳥には餌をあげて、綺麗な歌をお礼に聞かせてくれたわ。あなたたちって野蛮なのね」
「野蛮?じゃああんたは今まで、何を食べてきたんだ。誰に狩ってもらった、何の肉を食べてきたんだ」
「それは……」お姫様は返事に困りました。自分が食べてきた美味しい肉を、誰がどこで殺してきたかなんて考えたこともなかったのです。
「お前さんが食べてきた命にも、苦しみや悲しみや喜びを感じる心はあったんだぞ」
「わたし、小鹿やリスさんとお友達になったことはあるから、それは知ってるわ」
「それを誰かが殺してきて、お前さんは美味しく食べていたんだよ」
「そんな…… でもそれを言うならあなたたちだって同じじゃない。ネズミにも鳥にも、心はあるでしょ」
「ああその通りだ。だが食わなくては死ぬので、我々は自分たちで屠って食べる。お前さんはどこかの誰かに殺してもらって食べる、手を汚さずに」
「……」
考えてみれば、その通りなのです。
「それじゃこれからわたし、何を食べたらいいの」
「隣に農場があって、我々の下僕が働いているから、そいつと一緒に働いて野菜を分けてもらうんだな」
「わたしは白雪姫よ。農民じゃないわ。あなたたちの下僕になる気もないわ」
あくまで強気な白雪姫に、黒猫はやれやれといった風に言いました。
「お前さんには勉強の時間が必要だな。いいか、そこの道をまっすぐ行くと、地中図書館というものがある。そこにある本には、お前さんが読んで知らねばならないことがたくさん書いてある。まず読んできなさい」
「地中図書館?」
「地面の下にあるが、外から入れるようになっている。使いをやって、水とパンぐらいは用意してやろう」
「用意してくれる人もあなたたちの下僕なの」
「そうだ」
猫ってそんなに偉い動物だったかしら。そう思いながら、水とパンを求めて、白雪姫は教えられた道を行きました。けれども、行けども行けども花々が続くばかりで、地中図書館なんて現れません。お姫様は、薔薇の花陰に眠る白猫に問いかけました。
「お昼寝ちゅう悪いけど、地中図書館はどこ?」
「ここをまっすぐ」白猫は眠そうに答えました。
「ずっとまっすぐきたのよ。そのまままっすぐでいいのね?」
「そう、まっすぐ」
だまされているのかもしれないと思いながら、白雪姫はひたすら道を進みました。
すると、薔薇の花が尽きたころ、まあ、ほんとうに言われた通りの図書館が現れたのです。
「本当に地面の下にあるわ!」お姫様はそっと入り口に近づきました。
入り口と思われるドアをはいると、横のテーブルに、パンとオレンジジュースが置いてありました。
久しぶりに口にする食べ物は、今まで食べたどんなごちそうよりもおいしく感じられました。
「ええと、どの本を読めばいいのかしら」
本棚を見上げながらうろうろしていると、赤い矢印が書いてある紙が張り付けてあるのに気づきました。
「こっちへ行けってこと?」
矢印は数メートルおきに貼ってあります。その通りに進むと、ある書架にたどり着きました。
「これを読めということかしら?」
タイトルはなかなか物騒でした。
「肉食の哲学ー肉食は我々の義務である」
「生き物を殺して食べる」
「肉食の社会史」
……こんなの猫の言い訳じゃない。人間は肉以外を食べて生きることだってできるんだから。例えばパンとかケーキ……
そう思いながら隣を見ると、「シートン動物記」が置いてあります。
試しにめくってみると、それは、動物の立場から、ヒトと戦いながら生きることの厳しさや人間の残酷さが分かりやすく書いてありました。
どう考えろっていうの。わたしは白雪姫よ。こんなお勉強させられても、生きる方法にはつながらないわ。
そう思いながらうろうろしていると、ある一冊の絵本が目に入りました。
「しらゆきひめ」
表紙を見て姫はびっくりしました。
「これ、わたしじゃない!」
夢中でページをめくると、なんと、今までの姫の人生がそのまま書いてあります。
「ということは……」
この先を読めば、わたしがどうなるのかわかるんだわ!
姫は本棚の隣のいすに腰掛けると、夢中で絵本を読みました。
花畑の中を、息せき切って白雪姫が戻るのを、黒猫は道に寝転がって見ていました。
「おいこっちだ」
気づいた白雪姫は、興奮した様子で黒猫のそばに駆け寄りました。
「本は読んだか」
「ええ、たいへんなのよ! あそこには、わたしのことを書いた本があったの。でね、わたしの怖い継母が、お婆さんに化けて、わたしに毒リンゴを売りに来るのよ。わたしそれを食べて死んじゃうの! それでガラスの棺に入れられて、そこに王子様が通りかかってね……」
「救いようがないな」黒猫は呆れた風に言いました。
「矢印の先の本は読まなかったのか」
「ちょっとは読んだけど、つまらないんだもの」
「まあそうだろうな。じゃあ教えといてやろう。お前さんが読んだ絵本は、作り話。ただのグリム童話だ」
「つくりばなし?」
「子どもが読む本だよ。第一あそこに出てくるのは七人の小人だろう。猫はハイホーハイホー言いながら木を切ったり農作業したりしない」」
「じゃあ、じゃあ」お姫様は、おろおろしながら言いました。
「ここに今いる、絵本と同じ姿をしたこのわたしは、いったいなんなの?」
「それはな」
黒猫は髭をくいっとひねると言いました。
「何かの間違いだ」
「なにかのまちがい?」
「ああそうだ。大体この世界自体が、本来何かの間違いなんだよ」
白雪姫は、何が何だか分からなくなりました。
「今目の前にある、このお花畑も?」
「ああ、たかだか夢の世界だよ。誰かが死ぬ前に見ている夢か何かだろう。ここの場所の名前を教えてやろう。ドリプレ・ローズガーデン。ドリームプレイスの略だ」
「ここに今いるこのわたしは、じゃあ、いったい、なんのために……」
「そうだな。その格好にぴったりの仕事がある。それをするために、お前さんはここに来たんだよ」
「仕事って何。わたしにできること?」
「ああ。ここには下僕のほかに、下僕と同じぐらい猫が好きで好きでたまらない人間が、秘密の場所を教えられてそっと集まってくるんだ。そういう連中のための、カフェレストランがある。そこで、あまいスコーンやお菓子の焼き方を習って、お客さんにサービスするんだ。食事の作り方も下僕に教えてもらえるし、好きなだけ食べられるぞ」
白雪姫は首をひねりながら答えました。
「なんだか話がうますぎるわ。それ、ほんとの話?」
「ああ、何ならお前さんを新しい下僕としてカフェのお仲間たちに紹介しよう。その前に、おいしいスコーンと紅茶を食べてから考えるといい」
「いただくわ!」
そして白雪姫は、ドリプレカフェへ案内され、にこにこと優しい女性の下僕たちにサービスされて、スコーンとお紅茶をいただきました。
そのおいしかったこと!
「決めた!わたし、ここで働くわ。あんな継母の元に戻るなんて、まっぴら。バラの咲き乱れる花園で美味しいものを食べながら働けるなんて、うれしいわ」
「決まったな。その前に、ひとつ約束がある。ここでの主人は、我々七匹の猫。おまえたちは、下僕だ。それでいいな?」
「呼び名なんて何でもいいわ。わたし、あなたたちを好きになれるように、頑張る」
「わたしたちとも、仲良くしましょうね」カフェで働く下僕のお姉さんたちはみな女性で、にこにことやさしげでした。
そういうわけで、ドリプレローズガーデンでは、今も白雪姫が働いているのです。
でも、お姉さんたちと同じ格好がしたいと言って、姫は自分のドレスは捨ててしまいました。
猫たちは今日も平和に薔薇の中で過ごしています。
どうぞ、猫たちが自由に歩き回るローズガーデンへ、ドリプレカフェへ、おいでください。
ただし、猫を心から愛する人しか、はいれませんよ。
さて、カフェで働くどの女性が白雪姫か、あなたにわかるでしょうか?
バラと猫たちとお菓子の写真はドリプレローズガーデンで、
地中図書館と本の写真はクルックフィールズで撮影しました。
どちらも千葉に実在する素敵な場所です。
あなたが猫好きならば、ぜひ一度お出かけください。
なお、今現在の猫の数は十匹(おそらく)です。