あたまの中に、ふるいがほしい。
お料理に使うときの、小麦粉を細かくさらさらさせて使うための、あのふるい。
憎しみや怒り、
悲しみと嫌悪と取り返しのつかない後悔、
いつまでも魂に爪を立てて傷の痛みを忘れさせてくれない、
そんな刃物のような記憶を
ふるい落としてくれるふるい。
そしたら、ふるいを通して降ってくるのは
優しさや喜び、感謝、
平和で幸せな記憶と
どこも傷ついていない世界中の人たち子供たち、
世界中の動物たち。
魂を傷つけることのない、さらさらの、やさしい世界だけ。
だけど。
ふるいにかけたら、ほんとうの世界が消える。
見たいものしか、見えなくなる。
それがいいことなのかわるいことなのか
ただしいのか、まちがっているのか。
わたしにはわからない。
ただ、
いらだちやすい自分の魂をまもるためにだけ、必要なふるい。
あったほうがいいのかな。
ないほうがいいのかな。
でも、そんな魔法のふるいはないので
わたしは毎日、
入ってくる世界中のニュースに目を通しては
(通さなければいいのだけれど、わたしはみてしまう)
削除。
削除。
削除。
ゴミ箱行き。
知った。わかった。忘れる。
を、繰り返して
じぶんにたいして、呪文をとなえる。
怒っても、あなたには何もできない。
憤っても、あなたには何もできない。
悲しんでも、あなたには救えない。
ほんとうにそうだろうか。
駅前で募金を訴える人たちの箱におかねを入れ
コンビニの募金箱におかねを入れながら
わたしにできるのはこれだけ、
未来を変える力は自分にはない。
と自分で自分にいう。
ほんとうにそうだろうか。
ほんとうにこれでいいのだろうか。
いいんだよね。
もしわたしが猫だったら、ゆるされることだよね。
といいながら、おひるねしている三毛猫のふわふわのおなかに顔をうずめる。
さらさらの世界に住みたいよ。
さらさらの世界に。