さー、私興奮しているので過去一長い日記になるかもしれませんよー。

ついにゴジラ-1.0を見てきました!

大当たりでした。そのあたりをたらたら語らせていただきます。

(微妙にネタバレ有りなので注意)

 

ゴジラの大ファンのワタクシがこの最新作を見ようか見るまいか一月まで迷ってしまったのは、ひとえに「シン・ゴジラ」が自分にとってはガチ外れだったからなのです。

(ファンの方ごめんなさい)

前評判があんまりいいので、これは絶対面白いよ!と夫を誘ってシンゴジを鑑賞したんですが、ごめんなさい、私にとっては何一つ面白くなかった。ハリウッド版ゴジラぐらいがっかりしました。夫も「なんか、いまいちだったね……」とさえない表情。

 

私が好きな日本の特撮映画は、初代ゴジラ、大魔神、妖星ゴラスとかとか、古いものばっかり。特撮の出来なんてチャチでもいいんです。人間を脅かす相手が強大で容赦がなくて魅力的であればそれでいい。

大魔神の「でかすぎずちょうどいい大きさ」が醸し出す恐怖、ギョロリとした目、ズンズンとゆっくり進む足取りとその響き。これがたまりません。武者たちを殺しにかかるときの憎しみに満ちた目。ああ、背筋が震えるほど好き。

あと、人間がどう策を弄しようが、毎日容赦なく地球に接近し続ける不気味に赤いゴラスの問答無用さもいい。こいつの脅威に対しては地球に住む人間が全員平等に不幸になるしかないのです。みんなが恐怖で一つになる。なんという絶望的な連帯感!

最近の(いや最近でもないか)「ハリウッド製小惑星衝突映画」はまず基本的に勇者が結集して小惑星を破壊にかかりますが、「ゴラス」において宇宙物理学者さんが言うには

「ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、その2つしかないじゃないか」

で、「地球が逃げる」を選択しちゃう。地球が逃げるんですよ。どうやって?

南極に超巨大なジェット噴射基地みたいの作って、それを一斉に噴射することで地球の軌道を変えちゃうの。はれー。

ハリウッドではだれも賛成してくれないであろうへっぽこ理論。

で、南極のジェット噴射基地建設が刺激になって南極の海底からトドの化け物みたいな怪獣が生まれてきちゃうし、ゴラスの引力やらなにやらで地上はどちゃくそに破壊されてゆくし。

でも結局怪獣はやっつけられ、地球はよっこいしょとゴラスから逃げ切り、茶の間で爺さんがお茶すすりながら「地球も動いたしいい正月だな」とか言ってめでたしめでたし。

もちろん、どんなにお金かけても昭和の特撮ですから、大魔神もゴラスも今の映画から見たらおもちゃレベルですよ。でもそこが味わいなの。そこがいいの。こんなもの、トンデモでこそいいの。

 

第一作目のゴジラは、もう語る必要もないぐらいの名作だと思います。それ以来、日本ばかりか世界中でゴジラはスターとなりゴジラ関連映画がどんどん生まれてきたけれど、私にとってはこれが原点であり聖典なんです。

 

まずゴジラは「生き物」であり、起こしてはならない「荒ぶる神」でもあり、アメリカの核実験で目を覚まされた時から「激おこ」状態で、理由があろうがなかろうがとにかく日本目指して進んで来る。これはお約束です。

 

元祖ゴジラには、神として、そして生き物としてのゴジラの存在に対する畏敬の念が最後まで見え隠れしていました。それがないとダメなのよ、うん。

 

船をひっくり返し、咆哮し、電車を咥え、都心の象徴となる建造物を踏みつぶし、火を吐いて進む。それも、どすんどすんと、ゆっくりゆっくりと。これがゴジラなんです。

その点、ビルの谷間を走り回ったり、うんこらうんこらと卵産んだりするハリウッド版ゴジラは、あれはトカゲの化け物です。ゴジラじゃありません。

 

シンゴジラが描いていたのは、現代の日本にいきなりゴジラ的化け物が現れ上陸してきたら、日本政府と自衛隊はどう応戦するか、科学者はどういう案を出すか、同盟国アメリカはどう出るか。そこを割とリアルに描いてみました、って感じで、ゴジラはたまに現れて少し動いては止まる、を繰り返してました。

そりゃ中身が野村萬斎なんだから動きが緩慢なのは仕方ありませんが、あんたが主役じゃないのかよ。人間が侃々諤々やってんのなんか見たくないのよ。私ミリオタでもないし自衛隊協力の場面もどうでもいい。私の愛するゴジラちゃんが大暴れして人を容赦なく踏みつぶして吠えに吠えるシーンが、足らん足らん。

 

その点、ゴジマイのゴジラは、まさしく私が求めていたゴジラでした!

 

まず、日本から離れた島に伝説が残る。怒れる神としてのゴジラという存在の。

そしてアメリカの核実験によって生まれる。ここもきちんと踏襲してる。

この作品において、彼が現れる時代は、戦後復興しつつある日本。まだまだ兵器と言える自前の兵器は持てず、アメリカは敗戦国日本を占領はしたもののこんな化け物に予算を割いてはくれない。そっちで勝手に戦えという態度。

結果、ゴジラちゃんに立ち向かうのは、特攻隊くずれで戦争の傷を負い続ける主人公を始めほぼ民間人の集団です。

そんなんじゃゴジラに勝てっこない、と思うでしょう。でも、毎度登場する「見てくれの怪しい科学者」の提案した見事な案で、(無茶苦茶ともいえる)彼らはゴジラに立ち向かい、わりと互角に戦うのです。

 

まあそんなこたどうでもいい。

 

ゴジラ登場時点から、私はそのフォルムに惚れ惚れしましたね!

なんといっても口のでかさ、ギョロ目、激おこ状態で吠える吠える、

尻がでかく足が太い!埴輪型元祖ゴジラ体形。歩き方に伴う地響き、ゆっくりした歩み、これぞ日本の原点のゴジラちゃんです。

しかもスーパー激おこ状態になると、青く光る背びれがシャキンシャキンと出てきて口の中も青く染まり、放射能破壊光線?の威力ときたら前代未聞! 人も建物もゴミみたいに吹っ飛びます。不謹慎だけどこのシーンが出てくるたびゾクゾクしました。

そして、進撃のゴジラを鼓舞するようにあの、元祖ゴジラのテーマミュージックが流されます。これがまあ、似合うこと似合うこと。

お約束通り、電車も咥えてくれます。主人公の恋人が乗ってるやつをね。

彼が銀座の街並みを容赦なくぶち壊しながらずん、ずんと人を踏みつぶしていく間、そして感情移入すべき主人公と恋人が必至で逃げる間、私は身を乗り出し、こぶしを固めて心の中で叫んでました。

行け!潰せ!どんどん行け、壊せ破壊しろなにもかも!そうだ人なんかゴミなんだああああ!!!

 

私の心が咆哮したということは、ゴジラちゃんが間違いなく主人公のこの映画は私にとって「優勝でしかない」ということ。

 

人間ドラマがちんけで底が浅いとか言われてるけど、あれでいいんですよあれで。人間ドラマなんて添えもんなんだから。わかりやすい学芸会やってていいんですよ、どういう形で決着をつけるかにちゃんと主人公のココロに負った傷が結びついてたしね。

へっぽこ特攻崩れの主人公を演じた神木くん、なかなか見せ場もあってかっこよかったよ。

あと、怪獣映画に出てくる男女が、吊り橋理論というか、危機的状況の中でイチャイチャ始めるのかなと思ってたらあっさりプラトニックで、そこもよかったわ。理由があってのプラトニックだけどね。

 

でも、この映画で感激に打ち震えた私は、打ち震えながら思ったんです。

 

私病んでるな。

 

だって生きて頑張ってる人たちに全然感情移入できなかったもん。

見てる間中、ゴジラしか応援できなかったもん。

 

哀れゴジラが海中に崩れ落ちてゆくシーンで、私は悲しみと、あんたよくやったよく戦ったよ、という思いでいっぱいになり、涙を浮かべて合掌してました。こんなん映画館で私だけだろうな。

 

と思ったらスクリーンの中で、ゴジラと戦った人々が皆船の上で、沈みゆくゴジラに向かって敬礼しているではないですか!

そうだよ、そういうところに超リスペクトなんだよ!

わかってるよこの映画!!

ゴジラはさ、「人間が生んで育てた祟り神」なのよ。彼らは神殺しをしたんだよ。たくさん敵を殺し、殺して死ぬことが名誉だ、と刷り込まれた時代を「恥ずかしながら」生き抜いてしまった若者が神を殺して日本を守り、殺した神に敬礼する。

だからこの映画は私にとって優勝なんだってば。

見なきゃ間違いなんだってば!

(ラストはちょっと蛇足だったけどね)

 

ゴジラじゃなく人間を応援したいまともな人にも十分楽しめます。まだ間に合います、是非ぜひ見てください。

あ、特撮部分はちゃちなのも味、と思うワタクシですが、この映画のVFXはすごかったよ。制作費15億でこれが作れるんだハリウッドよ見習え♡

 

ちなみに、奥深くて高尚な映画が好きな人にはお勧めしません。

 

用心深く付け足し。

私の人でなしな感想について、ああじゃあ能登の大地震で人々が死んでいくのも、さぞ面白おかしく見ていたろうね。東日本大震災の津波から必死に逃げる人々に対しても、死ね死ねだったんでしょ?と言われたら。

いや、リアルタイムで上空のカメラから映される映像を見ていた私は、逃げて逃げて、車もわんこも(映ってたのよ)とにかく一人でも多く逃げおおせて、と祈ってました。阪神大震災の翌々日には単独で救援物資持って神戸に向かいました。(今なら総叩きの対象ですね)

映画館に入ると、架空の化け物に対して親近感を抱かずにはいられない自分が現れるんです。たぶん私の心の中にある幻の化け物がラブコールを送ってるんでしょう。そして「幻の化け物」が目を覚まして咆哮する映画こそ、私にとっての名作なのです。

 

なんて長い文章なんだ。読んでくれた方ありがとう。ゴジラ見てね。