右翼とか左翼とか何も分からんかった小学生時代。
父と母がとりあえず「身近な大人の見本」だった時代。
居間の壁は一面父の選んだ画集や写真集、百科事典、小説で埋め尽くされていて、
私は学校から帰ると暇つぶしに手当たり次第に興味あるものを読んでました。
百科事典は私の知らない世界のことをつぶさに写真入りで書いてあって面白かったし
世界の絶景写真集は見たことのない世界へのあこがれをかきたててくれたし
画集はとくにどれだけ見ても見飽きず、ルドンやモロー、ゴヤやミロ、ラファエロやティツィアーノ、菱田春草や東山魁夷、お気に入りの画家の絵に心奪われてました。
で、思ったのが、バカでかい皇室写真集の類がやけに多いなということ。
父はとにかく皇室ファンで、皇室に関する書籍は高いものほど喜んで買い集めてたのです。
父のコレクションしている小説はほぼ戦記物で、われレイテに死せず、とかガダルカナルとか、あんまり興味の持てないものが多かったのでスルー。
あるとき、いつものように皇室ご一家の写真集に見入っている父に
「天皇ってどうして偉いの?どんな凄いことをしたの?」と聞いてみたら
「日本の象徴なんだ。神代からの血筋なんだ。天皇陛下が偉いことに理由はいらない」と簡単に答えてくれましたが、チビのわたしにはまったく理解できず。
父は夕食時にはいつもビールと日本酒で酔っ払っていて
「今日は山本五十六の話をしてやろう」とか
「インパール作戦、というものを知っているか」とか
とにかく戦争の話ばかりしたがるので、そのたびに母は嫌な顔をして
「また始まった。同じ話を何度聞いたかわかりません。面白くないからよしてちょうだい」と不機嫌まる出しでそのうち喧嘩に。
オードリーヘプバーンのでてくるロマンチックな映画(吹き替え)を皆で見ていると、父は
「毛唐が日本語をしゃべるような気持ち悪い番組を見るな」と言って勝手にテレビを消し、軍歌のレコードを回して歌い出してまた母とケンカに。
私たち三人姉妹は
父の趣味には付き合えないな、と思って首をすくめていたものです。
父は三姉妹の末っ子である私をとくにかわいがってくれて、週末には「チョコレートを買ってやるから山登りに付き合わんか」といって、いつも私の手を取って奥多摩の山々に連れて行ってくれるのです。誘うのはいつも、私だけ。
頭のトロい私が簡単な算数で躓いていると、母はヒステリックに
「私の娘なんだからこんなにバカなはずがないわ、恥ずかしい」と怒鳴りまくってましたが
「そんなに怒っても分からんものが分かるようになるもんか」と父は助け舟を出してくれ、ゆっくりと丁寧に、勉強を教えてくれたものです。
だから、父のことは大好きでした。
好きは好きなんだけど、どうしても受け入れられない部分もあったのでありました。
父の皇室趣味まではいいんだけど、白人をまとめて毛唐と呼ぶこと、中国人をシナ人、朝鮮人をチャンコロと呼んで「劣等民族だ」と決めつけること、
「女に教養は必要ない、だがいい婿に選ばれるためにいい大学は出ておかねばならない」という考え方、
あと障碍者、脳性麻痺や水俣病の人たちをテレビで見ると
「消せ、気分が悪くなる」ということ。これは子供心にも
「少なくともいい大人のいうことじゃない」と感じていました。
「あの人たち好きでああいう風になったわけじゃないんだよ」と言ってみても
「何が原因でああなろうが気持ち悪いものは気持ち悪い」と言い捨てるのです。
大好きな父なのに、こういうところは受け入れられない。それが悲しくもあり残念でもありました。
うちによく訪ねて来ては父とお酒を飲む、母の弟にあたる叔父も
「シナとチャンコロは下品なバカばかりだ」とよく言っていて、(国立大学の教授です)
「うちは厳父慈母主義でしてね。三人の息子はとりあえず殴って育ててます。あとは母親が慰め側に回ればいい」と言うのが口癖でした。
実際身体も180センチ近くありがっしりした体格なので、三人兄弟は幼いころからよく叔父さんに吹っ飛ばされてました。
でも成長して、父親の遺伝子を継いで息子たちの体格が親を超えると、今までの恨みとばかり力づくで親に反抗し始めたので家は大荒れにあれ、息子たちは包丁まで持ちだすようになったのです。
本気で息子たちからどつき倒されたあたりからどんどん叔父は気弱になって、あるとき私の母に
「姉さん、俺が何かで急に死ぬようなことがあったら息子に殺されたと思ってくれ」と本気で言ってました。昭和の鉄拳教育の敗北を見た気がしたものです。
私たちは父に殴られたことなど一度もありませんが父に逆らったことやケンカしたこともありません。鉄拳制裁はやり過ぎるとこういう形で帰ってくるのだなと恐ろしく思ったものです。
そして月日はたち、世の中が「右寄り」と「左寄り」の人間に仕分けされてるのを意識するうち、
私の中で、どういう基準でこれは別れるのだろうという疑問が生まれました。
父曰く、いわゆる「右」と言われる人間は愛国者だと。
左は臍曲がりの売国奴だと。
いつも言うことが極端な父なので、鵜呑みにして参考にはできませんでした。
私の中の印象としては、
「右」の人は(モデル・父)
男と女が平等である、あらねばならないという思想を嫌う。
知恵遅れや障碍者は社会のお荷物だとして嫌う。
皇室を敬っている。
日本にいる、日本人以外のアジア系の人、中国人や朝鮮半島出身者を嫌い蔑視する(日本に原爆を二つ落とし東京大空襲で日本人を何万人も焼き殺したアメリカよりも)
あるいはいなくなってほしいと願う。
右でない日本人は非国民だと決めつけがち。
日本人なら日本を愛して当然だという。
現代だと、LGBTQの人々が自分たちの権利を主張するとあからさまに嫌悪感を示す。
夫婦別姓に反対。
どんな名目であれデモをする人間は左寄りだと言う。
戦争反対、平和を守ろう、的なことを言うと「お花畑脳」とお決まりのように返してくる。こんな印象です。
じゃあそんな父のもとで育った私はというと、
男と女は個性も能力の方向も違うけれど、どちらであるにしろ能力があるなら能力順に社会で評価採用されるべきであって、女だからと賃金の安さに甘んじろというのには納得いかない。
障碍者についてはできれば思いやりの心をもって接したいと思う。そうなっていたのは自分だったかもしれないから。
皇室のかたたちは上品さがあって好き。
日本にいる外国人は、徒党を組んで悪さをするなら罰するべきだし、そうでないなら個人により違うのでまとめて好き嫌いは言えない。息子娘の友人にも自分の友人にもいい人はたくさんいる。
日本を愛しているのが右、だというなら、例えば日本の何を愛しているのだろう。
国土?文化?日本の政治家?日本人?それとも家族?
それにしては「トンキン野郎」とか「大阪民国」とか「修羅の国北九州」とか地域ごとに罵り合ってるし
日本男性が他の国の女性よりも日本女性を評価しているかというとそうでもないし(逆もしかり)
日本の総理や政治家なんて大概の場合叩かれてるし
みんなが日本神道の信者かというとそうでもないし
親が子を、子が親を殺す事件も後を絶たない。
私は日本には好きなところも嫌いなところもあると思っているから、一概に
「日本のすべてにマル!」とは言えない。
世界のあちこち旅して思うことは、日本は列車の運行等が正確で時間通り、道は清潔だし治安もよいし、大地震が起きても暴動などでスーパーの打ちこわしが続くような無政府状態にならなかったし
デモが暴徒化してクルマひっくり返したり商店に火をつけるという欧米でおなじみ風景も見ないし、みな比較的勤勉でルールを守る行儀のいい民族だと思う。
でも、どういう訳か子どもや妊婦を嫌う傾向にあり、外国でよく見る「赤ちゃん連れに優しい」「電車や階段でベビーカーを見ると人がワラワラ寄って来て手を貸す」「すぐにお年寄りや赤ちゃん連れに電車で席を譲る」という傾向がないのは、残念だと思う。
ということはわたしは非国民なのでしょうか。
日本のすべてにイエスと言えないのだから。
いいところもあるし悪いところもある、と発言したら、それはもう左なんでしょうか。
父も、同じ日本人なのに障碍者は嫌っていたし、はっきり言って「容姿の不自由な女性」がテレビに出てくると
「画面にこんなの映すな、日本の恥だ」と信じられないことを言っていました。
父親としては大好き。
でも、一人の人としては「オールオッケー」ではない。
私は、「親不幸の非家庭人」なのかもしれません。
よく思うんだけど、母国愛の雛型として、まずは家庭愛を浸透させようという教育があったらみな従っただろうかと思うのです。
一家の長である父親を愛し尊敬しその言いつけは守ろう。
愛家庭歌をつくり、毎朝みんなで歌おう。
家庭旗を作り、家族の記念日には掲揚しよう。
引き籠りなどもってのほか、父と母が通学しなさいと言ったなら、なにがなんでも命令に従わなければならない。従わないなら子ども部屋のドアは取っ払って家から引きずり出す。
正しい家庭から正しい日本人は作られる、親や年上の人を敬いそのいうことをきくのは真っ当な日本人として当然。
蔓延る外来種は駆除すべきだ。雑種ではなく純日本人を増やすべく、日本人同士で戸籍を確かめ合い、学業に励み女は花嫁修業に精を出し、ちゃんと適齢期が来たら純日本人同士で結婚して子どもは二人か三人は産むこと。
とか言い出したら、強い愛国心を持つ右側の人は、どこまでついてこれるでしょう。決して日本にとって損になるようなことは書いていないつもりだけど。まず、結婚して子供は二人以上、あたりで「個人の勝手だ!」と言い出すでしょうね。
マザー・テレサの言葉にこんな一文があります。
『世界平和のために何ができるかですって?
家に帰ってあなたの家族を愛しなさい。』
ジミ・ヘンドリクスはこう言います。
マイケル・サンデルはこう言います。
『愛国心は大いに議論のある道徳的心情だ。国家への愛は批判の入り込む隙のない美徳だと見る人もいれば、盲目的従順、ショーヴィニズム、戦争の根源と見る人もいる。』
国を愛する、人を愛する、地球を愛する、地上に住むものたちの命を慈しむ。
自分の良心に従い、またどんな状況であれ、善と思うもの、美しいと思うものを手放さず
醜いと感じる物事・思想には心を寄せない。
わたしのささやかなモットーです。
わたしたちはいずれ命を手放し、天に帰る時が来る。
そこにはもう、右も左もないでしょう。
はるかな高みから俯瞰して地上を見る時、
ひととはうつくしいものだと、そう感じられる世界であってほしい。
まあ、こうなると完全に「お花畑ファンタジー」ですけどね。
いいんです。わたしはいずれ自分の埋もれるお花畑を大切にしていたいと思っています。