痛みについてあまり書いてこなかったけど、三日間は傷の痛みにうなされると聞いてたわりには、傷は恐れていたほど痛みませんでした。これは硬膜外麻酔の点滴がよく効いててくれたと思います。
でも、それは不動の姿勢で寝ているときだけで、姿勢を変えようとしたり少しでも起き上がろうとするともうダメ。
こうなって分かったことだけど、ありとあらゆる動作に「腹筋」は使われているのが分かりました。それが、使えない。何やっても傷に響くので。
だからこそ、「電動ベッドのある個室」「洗面所とトイレがベッドのすぐそばにある個室」を選んだのに、
電動ベッドの角度を変える操作盤が、寝ている体勢からは手の届かない足元の部分の柵に引っかけられているんですー。
枕元にあって自由になるのは、スマホと、テレビのリモコンだけ。
灯のスイッチも、エアコンのスイッチも、手が届かない。身体も動かせない。
大部屋では自由にならない灯も部屋の温度も自分の好きにできると思ったのに……。
身体が動かせるようになるまでは、ただ、寝てるしかありません。
手術から二日目。
とにかく手術は済んだ、わたしは生きている。なのに、ぞわぞわとした不安感と焦燥感はすくすく育っていました。
病棟での起床時間は6時、就寝は10時。
でも4時過ぎからパッチリ目覚めているわたしは、自分と付き合ってるとなんだか恐怖症の塊(魂の腫瘍と呼びたい)に捕らえられて沈んでいくばかりなので、看護師さんがトントンとドアをノックしてくれるのを待ちわびてました。
朝の体温・血圧・血中糖度を測りに来てくれるだけで嬉しかった。
誰かと話している方が気がまぎれるので。
で、後で知ったのが、ストレスで上がるのは血圧ばかりじゃないのね。
そりゃ糖尿病で通院しているわたしだけれど、空腹時血糖が130を超えるなんて見たことなかったので「ええっ?」と数字に驚いていると、(いつもの空腹時血糖値は100前後、この時は平均135ぐらい))
「まあ問題ないですね」と看護師さん。
みな入院ストレスで血糖値が上がることを知っているのかな?それともブドウ糖の点滴のせい?
でも安静時の脈拍が120というのにはさすがに驚かれました。
「どうしました?動き回ったりしましたか?」
「いえ、わたし元々メンヘラなんで、この環境がダメなんです……」
「メンヘラ、ですかあ?」
なぜかその看護師さんにはケタケタ笑われました。笑い事じゃないのよ。
「今日はベッドから降りて歩く練習しましょうね」
聞いていた通り、その日から歩行練習が始まりました。
まずベッドの頭を立てていくところから始まります。
「大丈夫ですか?気分悪くなったりしませんか?」
「大丈夫、だと思います」
でも自分の足で立てるかどうかは自信ない。
担当医は「とにかく早めに歩く練習をしてくださいね」としつこいぐらい言っていたっけ。
45度ぐらいあげたところで、点滴の管やその先の袋を看護師さんがひとまとめにして点滴台に括り付け、ベッドの柵を下ろして
「ベッドに座れます?足を下に降ろしてみてください」
とたんに頭がくらくら。身体を立てるとお腹の傷も痛い!
少し息を整えて、
「ちょっとふらふらするけど、何とか……」
「じゃあ今度は立ってみましょう。わたしが支えますからね」
脇を支えられながら、点滴台に縋って、よろよろと立ち上がる。室内履きに足を突っ込むのも一苦労。
ええええいっと相当お腹に力を入れないと、立ち上がれない。
いててててて。それに目が回る回る。
「立てましたね。大丈夫?血が下がる感じない?じゃあ、ゆっくりと廊下に出てみましょうか」
ちょっと前には当たり前にできていた動作。それが、さび付いた重機を小学生が運転するみたいな、よたよたの重労働になっております。
点滴台に縋りながら、一歩、また一歩、廊下を20メートルは進んだかな。
廊下では朝の検診に回る看護師さんたちがてきぱきと仕事してます。そしてどのかたの胸ポケットも、患者からのナースコールがブーブーブーとひっきりなしに鳴ってる。
勿論わたしの担当の看護師さんも。
そのたびに胸ポケットのマイクを取り、「はいどうされましたー?はいはい、ちょっと後で伺いますねー」明るい声で答える看護師さん。
皆偉いなあ。寝っ転がってわが身の不幸を嘆いてるだけのわたしとは大違い。尊敬するしかありません。
看護師さんもお忙しいので短距離で切り上げ(わたしもこれで精一杯)
Uターンしてお部屋に戻ります。
履物脱いで、足上げてベッドに横たわり、頭の部分を少し上げ、部屋の明かりをつけてもらう。何一つ自分ではできない。
「おトイレまで自分で歩けるようになったら、お小水の管、抜きましょうね」
それは……なんて遠い道のりなんだろう。
看護師さんはその場で袋に溜まった尿と胆汁袋に溜まった胆汁の量を見、尿の方は袋を外してトイレで流してくれています。
ここまで何もできない木偶人形状態で、かける恥はみんなかいて……
いやまだあった。
自分でトイレに行けないってことは、大を催したらどうしたらいいんだっ!
看護師さんがどうにかこうにかしてくれるとしても、そこまではお世話になりたくない。
わたしは腹に気合を入れて、
「出るなよっ!自分でトイレに行けるようになるまでは、そこにいろ!」
とハラのイチモツに固く命じたのでした。
それでも、術後初めてのお昼ごはんは、容赦なくやってくる。
ベッドの背を90度近く立ててもらい、【ほぼ押しつぶされてる感じ】
高めのテーブルの上のおかゆを、命短い老人のようにぶるぶると両手を震わせながら、こぼしながら口に運ぶ。
施設に入居していた父の食事の様子とそっくりだなあと思いながら。
胃は入院後ずっとストレスで縮み上がってておかずの味なんて全然わかんない。
その間も、「入れることはいれるけど、出るなよっ!」と腹に命令し続けます。
早く自分で動けるようにならねば。
そして昼食も下げられ、静かな時間がやってくると、
「さあ、俺たちと遊ぼうか」
来た、ヤツラだ。
遠い昔にお別れしたはずのパニック発作の卵と閉所恐怖症と不安症が心をわしづかみしに来るのです。
震えるからだ、震える心。上がる血圧、心拍数、崖っぷちに立たされたような恐怖感。
わたしは腫瘍が怖いんでも手術が怖いんでもなかった。
これだ。今のわたしを一番怯えさせてるのは、この「再発した心の腫瘍たち」なんだ。
ちくしょー、誰か切り取ってくださーい。
なんかもう三重苦というか四重苦というか、
憂きことがことごとく体と心に重なって、異様な不快感と痛みと恐怖感の中で、わたしの一人の時間は過ぎてゆくのでした。翌日も、翌々日も。
戦え!何を?人生を!
戦え!何を?人生を!
わたしの脳内では大槻ケンヂのだみ声が常にわんわんと響いておりました。
じんせいを、たたかええええええ。
目の前にあるのに顔も洗いに行けない洗面所