最近なんだかんだで病院通いが絶えないお年頃であります。

ま、じぶんのことはいいんだけど、いつまでも心の中にしこっているのが、市川海老蔵さんが、妻・小林麻央さんからささやかれたという最後の言葉。

「あ、い、し、て、る……」

 

これね。私はそのまま素直に取って涙を流しましたけどね。

心無いネット民は、「うそだ」「ペテンだ」「作り話だ」「でっち上げの美談だ」「死ぬ間際にそんなこと言えるわけがない」とくそみそ。

 

なんでっ????なんでそんな心無いこと言うの?聞いた人の言葉を全否定するの?

 

世のなかには、偉人が今わの際に残した言葉なんていっぱいあるじゃない。あれみんな嘘なの?

まあ息を引きとる何時間前に言ったか知らないけど。

 

現に私の夫は、祖母がなくなる時に、最後の言葉をはっきり聞いたと言ってました。

家族にお茶を入れてもらって、「ああ、美味しいお茶だねえ…」

其れから間もなくしてこと切れたそうです。

 

私が特に好きなのはこの二つ。

 

◆大宅壮一(1900~1970)

政治・社会時評家。昭和45年10月26日、山中湖の山荘で息苦しさを訴え、急遽帰京して入院。11月18日、昏睡状態から覚めた彼は「ああ、腹が減った。何か食うものをよこせ」とどなった。11月22日午前3時4分、一度心臓が停止したが、3時43分に永遠に止まった。死ぬ直前に妻に「おい、だっこ」といったという。70歳。

◆徳川夢声(1894~1971)

話術家。昭和46年7月22日、腎孟炎で入院。7月末、彼は妻に爪を切ってもらうと、その手を目の先にもっていってじっと眺めた。妻は病人が自分の手を見詰めるようになると、まもなく死ぬという話を思い出して「疲れますよ」といってその手を下ろした。3日後の8月1日午後零時20分、妻に「おい、いい夫婦だったなあ」といって死亡。77歳。

それと、どの作家だったか忘れたけど、某作家の御父上がなくなる直前、かッと目を開けて、「これで、終わり。全部終わり!」と言ったとか。息子さんが思わず「うん、そうだね」というと、息を引き取ったそうです。

それと、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という著書を残して逝去された青年医師、井村和清さん。
 
この方の今わの際は、奥様が事細かに書いてらっしゃいます。膝にできた骨腫瘍で片足切断、そして転移、末期になって寝た切りで胸水や腹水がたまる中で、クリスチャンの彼は、泣きつづける妻に対し、
「泣くな……手を合わせてごらん…お前はいつも嫌がったけれど、祈る心に神様は宿りなさる…祈ってごらん…これで言いたいことは全部言った…ああ。疲れた、眠りたい…」と呟き、「お父さん、もう一回、注射して……」と頼み、それが最後の言葉となったそうです。
 
なんだかんだ皆さんいろんなこと言って息を引き取ってるんですよ。緩和ケア病棟でモルヒネでも打たれてたらそりゃ意識ないだろうから無理でしょうけど。美談だからとばっさり否定するのはどんなもんでしょう。
 
とにかく、せっかくの最後の言葉を「うそだ。嘘つき」と断じられた市川さんに、私は同情します。
 
願わくば夫の祖母のように、「ああ、美味しいお茶だねえ……」と言ってこと切れたいものです。