太い足で

いつも前に進んでいた

前に進むつもりで

交互に足踏みしていた

ひとりぼっちで

時には鎖につながれて

足の裏に感じるのは

コンクリートの床ではなく

きっと豊かな故郷の土の記憶

奥深な瞳に映るのは

いつか見た巨大な夕焼けの記憶

あなたが一生に踏んだその数だけ

前に前に進めていたなら

いつか生まれ故郷に到達していただろうか

天に帰った今

その歩数もあなたに帰っていればと思う

仲間には会えた?

鼻で挨拶できた?

あなたに手を振った回数

名前を呼んだ回数

お弁当を食べながら見つめた回数

かわいいねえといった回数だけ

ごめんなさい

あなたが見えなくなった今

その魂がはるかな故郷の

紅に染まる風景の中にあることを願う

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

パソコンのドキュメントの中から、はな子さんの死直後に書いたらしい雑文がでてきたので

ここに載せちゃいます。

 

わたしは吉祥寺で3才から育ったので、井の頭自然文化園の象のはな子さんは記憶の中にずっと生きてました。

幼稚園の遠足、小学校の遠足、家族のおでかけ、子どもが生まれてからの土日、どれだけいったかわからない。

69歳は大往生です。というか、ゾウにこの言葉を使っていいものか。

とにかく、日本で一番長生きのゾウでした。飼育員さんもよく面倒を見られたと思います。

自然界にいたとして、この年齢まで生きられたかどうかもわからない。

でも、常に群れで生きている愛情深い象に、一人ぼっちの年月は辛かったと思う。

そして、

動物園にいるすべての動物に対して、

わたしはいつも高村光太郎の

「ぼろぼろな駝鳥」と同等の感慨しか持てないのです。

 

今目の前にあるすべての命が生まれ故郷の緑の中にいたなら

草食動物ならライオンやハゲタカに襲われ命を落とし、

肉食動物なら不猟の時は飢えにあえぎ、

または病気にかかり、人間にかられ牙を取られて

非業の死を遂げていたかもしれない。

でも

それはひとさまの「安全健康=幸せ」を前提とした理屈で

いわば「犬猫は座敷に置いとけば、鳥は鳥かごに置いとけば安全幸せ」という価値観の延長だと思う。

野生に生まれたものを見せものとして捕まえてきて、土を踏むことなく伴侶を与えることなく孤独に長生きさせる。

それはどこまでも「人間の娯楽の為」。「それが幸せだから与えてあげた環境」では、もちろん、ない。

野に生きるイリオモテヤマネコは、病気で怪我で飢えで死ぬことはあるけれど

都会の家猫より不幸だろうか。

 

わたしは文化園のすぐそばに住んでいるのだけど

「はな子さんありがとう」とは、なにかが喉にひっかかって、どうしてもいえないんです。

ご苦労様でした、でも、お疲れ様でした、でもない。

 

やっと自由になれたね。

それだけなんです。

 

悲しいけれど、すごくあの空っぽのおりの前に行きたいんだけれど、この気持ちが複雑すぎて、行けない。

 

 

 

さて話をがらりと変えます。

昨夜の夢は、玉木くんとハンググライダーでタンデム飛行をして

降り立ってから二人でおいしいおでんを食べる、というもの。

飛ぶ時の空中の浮遊感、風の感触、高さの恐怖、すごくリアルだった。

背後の玉木宏氏は落ち着いていてとても頼もしかったけれど顔が見えない。

いい声でしたけどねおねがい

しかも自分、何のつもりかのだめ喋りしてました。

いい年して恥ずかしい夢見てるんじゃない。なんでおでんなんだろ?

 

今夜はおでんにしようかなおでん左おでん真ん中おでん右

 

(*象の画像はフリー素材からお断りを入れたうえで借りました)