$水☆迷☆宮

なんと。
大島弓子ファンを標榜するこのわたしが、この本が平成23年に出ていたことすら知りませんでした。
自分のもの書くことばかり集中して、ほんとにマンガとかノーチェックだったもんなあ。

最終巻ということである意味覚悟して読みましたが、その覚悟通り……
グーグーがこの世にいられたのは、15年と8か月。

わたしは昔大島先生(ご近所です)の臨時アシをしたこともあり、グーグーちゃんのお写真も持っているのです。
それはそれはきりりと愛らしい、漫画とそっくりの、そしてうちのなきミントとそっくりの美猫でした。

(ちなみにこれがミント。わたしの名前の元になっている子です。なんというか、輝くような美猫でした)
水☆迷☆宮

人間が食べ終わった後のケーキ箱に突入し、舐められなかった生クリームの香りに怒り、リボンに八つ当たりの図。

6巻の最初では飼い猫は6匹? (庭にお出入り自由猫がいたりするのでよくわからない)
終わるころには12匹。
一時的に犬も預かっていたのね。

猫の多頭飼いだのなんだの、批判のご意見はそりゃあいろいろあるでしょうが
サバのころから大島さんの猫漫画を見ていて思うことはひとつ。

大島さんは「与える人」「愛の人」なんだと思います。

がんで入院してるとき、実験に使われた動物たちの慰霊塔を敷地内で見つけた時の衝撃。
湾岸戦争で失われてゆく人間への、子どもたちへの、そして海鳥たち(石油採掘施設を爆破したので周辺の海が油で真っ黒になり、多くの海鳥たちが死滅した)への嘆きと痛み。
そして、人間に捨てられてゆく命を拾い集め、ひとつひとつを慈しむ毎日。
ひとつひとつの命に名前を付け、目を見て愛すれば、それは関係ない肉の塊ではなく、ひとつひとつの魂との出会いになる。
それを繰り返し、繰り返し、繰り返して、出会い、守り続けているのが彼女だと思うのです。

「人間は肉と魚食べて生きてるんだから、一部の命を可愛がったりするのはエゴ」という意見がありますが、
じゃあその一番残酷な目にあわせている(ゴキブリあたり?)相手に対する処遇をすべての生き物にして「残虐度に公平性を持たせる」ことに、どういう意味と価値があるんでしょうか。

わたしは、人間はもう十分殺していると思う。食べるため、狩猟ゲームのため、環境破壊のあおりで。
そして、可愛がり用の動物も、さらに十分殺していると思う。
「飽きた「めんどくさい」「新しいのがいい」という理由で。
これ以上命に対して無情に残酷に接する必要がどこにあるんでしょう。
猫や犬は、人間のパートナー動物として繁殖させられました。大自然のものじゃない。
だから、自然に返すということは完ぺきにはできない。ひとに頼るしか生きる道はないのです。捨てられたいのちの責任も、どこまでも捨てたものにあるのです。
それ等に手を差し伸べているのが彼女だと思うのです。
捨てられて彷徨う猫たちの中には、繁殖用とみられるペルシャ猫までいました。彼女に拾われていなければ、悲惨なままの生涯を路上で終えていたでしょう。
美醜さまざま、性格も様々な猫たちに対するどこまでも「猫の境遇」に視線を合わせた接し方は、猫を飼うものとして(一匹ですが)しみじみと頭が下がります。

ふと思い出したんですが、ヴェロニカという女性が、聖書に出て来るんですよね。
(ルオーの描くヴェロニカの肖像は、わたしがこの世で最も美しいと思うもののひとつです)
彼女は聖書の中にほんの一瞬だけでて来るんですが、ある大事なものの象徴とされています。

キリストが十字架を背負って処刑場まで歩んでいくその沿道では、やじ馬が罵声を浴びせ石を投げ、唾を吐いて嘲っていました。自分を磔にする十字架を背負って進むキリストの顔は汗と血でどろどろでした。
するとある女性が駆け寄ってきて、手にした布でキリストの顔を拭いたのです。
彼女のしたことはたったそれだけ。
それがヴェロニカ。
布にはキリストの顔が写し取られるという奇跡が起こりました。

沿道の人々は、極悪人とされていた彼を罵倒するために集まり、どんな目にあっても相応だと罵っていました。でもヴェロニカは、彼がどんな極悪人で何をしたか、当然の報いか否かはさして知らず、
「目の前に苦しんでいる人がいれば手を添えずにはいられない」という、人間が本来持っている善き本能から、行動しただけ。
ひとに本来備わっている天のものなるホスピタリティ。その象徴が彼女だと、そんなことを遠藤周作氏は言っておられました。

大島さんの最終巻を呼んで、わたしはどうしても彼女の名がちらついて仕方ありませんでした。

経済が傾いて不況の嵐のなかにあるギリシャでは、捨て犬捨て猫が街に異常に増えているといいます。ペットを飼う余裕もない家庭が増えたんですね。
けれどアテネ市は、決して一匹も殺処分しないといっています。

人間に愛され、その都合で捨てられたいのちを、手前勝手に殺したりはしない。この筋の通った姿勢は素晴らしいと思う。
財政は苦しいながら、現在保護係が街を回り、弱った犬猫には餌を与え、あちらから近づいてくるのを待ってソフトに保護し続けているということです。

ただ心配なのは、大島さんになにかあったら猫たちは…… ということなんですが
彼女の周りには、常に手を差し伸べてくれる仲間たちのネットワークが整っているようなので、貰い手はいくらもあるでしょう。もちろん、庭付き一戸建てに住む者として、何かあれば私も名乗りを上げるひとりです。

大島さんと猫たちの日常は、小学館のPR氏「きらら」に引き続き連載されているようです。
タイトルは「キャットニップ」
何年後かわからないけど、単行本化されるのをひたすらお待ちしております☆

ところで、長いついでにエピソード。
むかしむかし、まだ学生の頃、四つ違いの姉と
「世界の名画の中で一番好きなのは何?」という話題になり、
いちにのさんで言った答えが、二人とも

「ルオーの、ヴェロニカ!」

決してメジャーな絵じゃないのに、あれは実に不思議でした。

$水☆迷☆宮