さて、舞台も近づいてきましたね。
舞台稽古に台本持たずに行って、共演者にプレッシャー与えているという玉木くん。
準備万端で臨むのはいつものことですね。うん、さすがさすが
共演の別所哲也さんがJwaveのTOKYO MORNING RADIOで、すごくグッとくることを言ってくれてました。
澤田教一さんは、戦場に行くまでは正直、お金と名誉が目的で写真を撮っていたところがあるという話ですが
現場の悲惨さを見て、写真に向かう気持ちが変わったのだとか。
その演技の変化を語る別所さん。
「もうこの揺れ動いている玉木さんがセクシーで、女子はキュンキュンすると思いますよ。最初おどけた小鹿のように出てくるんですよ。それが戦争にまみれてだんだん目の色が変わっていくんです」
お、おどけた小鹿?
バンビのようにぴょんぴょんと? とってもお上手という津軽弁で?
鹿と通じるキュートさが目と雰囲気に宿っていたりするのはちょっとわからないでもないですが
澤田教一とコラボされるといまいちわかんなくなるとこもあるので
そこは舞台までのお楽しみにします。
一昨日、地元の図書館に行って澤田教一さんの写真集見てきました。
『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』
今まで現像されずに来た写真と、もちろん有名な写真も含めて掲載されている、豪華大型写真集。
こちらでは「沢田教一」表記ですね。ほんとうの「さわ」はどっちなんだろう?
奥様のサタさんも写真家。夫の教一氏よりも六年先輩なんですね。だから最初は彼女が教一氏にカメラを教えたそうです。
彼女が撮った写真もありました。子どもを撮ったものですが、なるほど美しく生き生きしたプロの写真でしたね。
青森県弘前市の自宅にサロン風レストラン・グルメさわだを開いていて、夫の写真展や講演で全国をまわっているとか。死後までも理想的な夫婦関係ですね。
この写真集は、故郷津軽の写真や故郷の人々、日本の原風景のようなのどかなショットから始まります。
そしてベトナム―戦場に行ってからはただ現場の兵士の表情や痛ましい姿が続きます。
米軍の怪我人だけではなく、捕えられた敵(ベトコン)の無残な最期、村を焼き払われゲリラとして捕まった村民(老婆や母子もいます)の苦悩に満ちた表情、こちらを正視する少年兵の表情も。正直、正視に堪えないものありました。
彼は米軍と行動を共にしていたようですが、一応はそちらの立場に立って見たであろうこの風景に、一日本人としての心はどう揺らいだんだろう。村民やゲリラが次々捕まり、あるいは処刑される光景に、手も口も出してはいけない立場としてどういう思いを積み重ねていったのか。
そこを是非、玉木くんを通して知りたいと思いました。
玉木くんは舞台のために、現地ベトナムを訪れ、彼の足跡をたどる旅をしたということですが
ひとつひとつ、玉木くんの胸に落ちていったものも、是非舞台で見せてほしい。
さーて。ここからはちょっと記事の空気が変わります。
今更なニュースですが、あのレスリー・キー氏が捕まりましたよね。
六本木で、見せてはいけないものを見せている男性写真集を売ったという容疑で。
(一応ダメバージョンも見ちゃいましたが、なんというか即使用可能状態になっているそれとかあれとかもあり、まあありゃ駄目でしょう的な? ロバート・メイプルソープとかの全裸写真集の一歩先、さらに趣味の世界に行っちゃってましたね)
彼は世界の有名芸能人、セレブ達の写真でも有名な人気カメラマン。玉木くんのセクシーなお写真も撮ってくれてました。
素足とか脇
とか、パーツではあるけど美しい筋肉やディテールの見せ方のうまさに、おお、なんか壺がすごーくわかってる人だなと思ったら、その筋では有名なかたで、だから特に男性の写真が上手かったのかと。いや、いろいろと無事でよかった、うん。
そういう人に撮ってもらえるのは得じゃないか、と思ってたら、逮捕。
何しろ日本は特に局部に厳しいお国柄だからなあ。海外では普通の書店でも、いろいろともろ出しの写真が、まあエリアはきっちりわけてずらずらおかれてましたから。
しかし、本当にただ芸術ならばとられた方にも不満はない筈。一説には、撮られた男性サイドからの抗議も相当あったとか。つまり、流れで撮られた写真の中に出すとこ出しちゃったのがあったとしても、当人はそれが外に出るのを望んでいたわけではなく、そこを押し切られ商品にされているのが耐えられないと。そういう訴えもそうとうあったという話。ここらへん、どうなんでしょう。あー、いま結構有名になった日本の若手俳優さんの気の毒なお写真とかもありましたね。
わたしの中で、アートが許されて猥褻は許されない、の線引きは、アラーキーによってあってないようなものになっております。あの人は体を芸術として撮っているわけではなく、隠微なもの、隠すべきもの、性欲の対象が陽の元にさらされたという視点で撮っていると感じます。だから裸体は裸体なのだと。そこには偽善的な清々しさなんぞありません。お前らこの体がほしいだろう的な、ねっとりとした視線には、生々しい体温がある。でも、その視点に不快感がないのは不思議。アラーキーは「それはアタシが天才だからだね!」とうそぶきますが、そう、たとえ逮捕されても……というか荒木氏も実際個展で逮捕されましたが……その名が落ちず価値も落ちないのは、被写体に向かう視線に、確かな愛情(エロ込です、当然!)があったからだと思うのです。
レスリー氏のフォトの手触りは、エロではあるけれど、ファッショナブルで洗練されていて都会的でもあります。
で、被写体に対する愛はあったのかな?
下半身のみならず、こころまであっためる方面での。
ひとを撮るのはまだまだ難しい、と玉木くんが言っていましたが、それも含めて色々と考えさせられる事件でした。
でも……
今回問題になった写真集の表紙の男性モデルたちの「脇」と!

例の玉木くんの「脇」写真と!

(はい、T ですね)
そっくりポーズなんだけど、比べて思うに。
あるべきところにいらんタワシがない!(こら)
なんてきれいな脇。
代りに長い睫!
やはり彼に宿るのは、女性にとって都合のよすぎる美貌です。
本当にありがとうございました
さー今日は「ほんまでっか」と「Tokioカケル」だ!
舞台稽古に台本持たずに行って、共演者にプレッシャー与えているという玉木くん。
準備万端で臨むのはいつものことですね。うん、さすがさすが

共演の別所哲也さんがJwaveのTOKYO MORNING RADIOで、すごくグッとくることを言ってくれてました。
澤田教一さんは、戦場に行くまでは正直、お金と名誉が目的で写真を撮っていたところがあるという話ですが
現場の悲惨さを見て、写真に向かう気持ちが変わったのだとか。
その演技の変化を語る別所さん。
「もうこの揺れ動いている玉木さんがセクシーで、女子はキュンキュンすると思いますよ。最初おどけた小鹿のように出てくるんですよ。それが戦争にまみれてだんだん目の色が変わっていくんです」
お、おどけた小鹿?
バンビのようにぴょんぴょんと? とってもお上手という津軽弁で?
鹿と通じるキュートさが目と雰囲気に宿っていたりするのはちょっとわからないでもないですが
澤田教一とコラボされるといまいちわかんなくなるとこもあるので
そこは舞台までのお楽しみにします。
一昨日、地元の図書館に行って澤田教一さんの写真集見てきました。
『サワダ 遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア』
今まで現像されずに来た写真と、もちろん有名な写真も含めて掲載されている、豪華大型写真集。
こちらでは「沢田教一」表記ですね。ほんとうの「さわ」はどっちなんだろう?
奥様のサタさんも写真家。夫の教一氏よりも六年先輩なんですね。だから最初は彼女が教一氏にカメラを教えたそうです。
彼女が撮った写真もありました。子どもを撮ったものですが、なるほど美しく生き生きしたプロの写真でしたね。
青森県弘前市の自宅にサロン風レストラン・グルメさわだを開いていて、夫の写真展や講演で全国をまわっているとか。死後までも理想的な夫婦関係ですね。
この写真集は、故郷津軽の写真や故郷の人々、日本の原風景のようなのどかなショットから始まります。
そしてベトナム―戦場に行ってからはただ現場の兵士の表情や痛ましい姿が続きます。
米軍の怪我人だけではなく、捕えられた敵(ベトコン)の無残な最期、村を焼き払われゲリラとして捕まった村民(老婆や母子もいます)の苦悩に満ちた表情、こちらを正視する少年兵の表情も。正直、正視に堪えないものありました。
彼は米軍と行動を共にしていたようですが、一応はそちらの立場に立って見たであろうこの風景に、一日本人としての心はどう揺らいだんだろう。村民やゲリラが次々捕まり、あるいは処刑される光景に、手も口も出してはいけない立場としてどういう思いを積み重ねていったのか。
そこを是非、玉木くんを通して知りたいと思いました。
玉木くんは舞台のために、現地ベトナムを訪れ、彼の足跡をたどる旅をしたということですが
ひとつひとつ、玉木くんの胸に落ちていったものも、是非舞台で見せてほしい。
さーて。ここからはちょっと記事の空気が変わります。
今更なニュースですが、あのレスリー・キー氏が捕まりましたよね。
六本木で、見せてはいけないものを見せている男性写真集を売ったという容疑で。
(一応ダメバージョンも見ちゃいましたが、なんというか即使用可能状態になっているそれとかあれとかもあり、まあありゃ駄目でしょう的な? ロバート・メイプルソープとかの全裸写真集の一歩先、さらに趣味の世界に行っちゃってましたね)
彼は世界の有名芸能人、セレブ達の写真でも有名な人気カメラマン。玉木くんのセクシーなお写真も撮ってくれてました。
素足とか脇
とか、パーツではあるけど美しい筋肉やディテールの見せ方のうまさに、おお、なんか壺がすごーくわかってる人だなと思ったら、その筋では有名なかたで、だから特に男性の写真が上手かったのかと。いや、いろいろと無事でよかった、うん。そういう人に撮ってもらえるのは得じゃないか、と思ってたら、逮捕。
何しろ日本は特に局部に厳しいお国柄だからなあ。海外では普通の書店でも、いろいろともろ出しの写真が、まあエリアはきっちりわけてずらずらおかれてましたから。
しかし、本当にただ芸術ならばとられた方にも不満はない筈。一説には、撮られた男性サイドからの抗議も相当あったとか。つまり、流れで撮られた写真の中に出すとこ出しちゃったのがあったとしても、当人はそれが外に出るのを望んでいたわけではなく、そこを押し切られ商品にされているのが耐えられないと。そういう訴えもそうとうあったという話。ここらへん、どうなんでしょう。あー、いま結構有名になった日本の若手俳優さんの気の毒なお写真とかもありましたね。
わたしの中で、アートが許されて猥褻は許されない、の線引きは、アラーキーによってあってないようなものになっております。あの人は体を芸術として撮っているわけではなく、隠微なもの、隠すべきもの、性欲の対象が陽の元にさらされたという視点で撮っていると感じます。だから裸体は裸体なのだと。そこには偽善的な清々しさなんぞありません。お前らこの体がほしいだろう的な、ねっとりとした視線には、生々しい体温がある。でも、その視点に不快感がないのは不思議。アラーキーは「それはアタシが天才だからだね!」とうそぶきますが、そう、たとえ逮捕されても……というか荒木氏も実際個展で逮捕されましたが……その名が落ちず価値も落ちないのは、被写体に向かう視線に、確かな愛情(エロ込です、当然!)があったからだと思うのです。
レスリー氏のフォトの手触りは、エロではあるけれど、ファッショナブルで洗練されていて都会的でもあります。
で、被写体に対する愛はあったのかな?
下半身のみならず、こころまであっためる方面での。
ひとを撮るのはまだまだ難しい、と玉木くんが言っていましたが、それも含めて色々と考えさせられる事件でした。
でも……
今回問題になった写真集の表紙の男性モデルたちの「脇」と!

例の玉木くんの「脇」写真と!

(はい、T ですね)
そっくりポーズなんだけど、比べて思うに。
あるべきところにいらんタワシがない!(こら)
なんてきれいな脇。代りに長い睫!
やはり彼に宿るのは、女性にとって都合のよすぎる美貌です。
本当にありがとうございました

さー今日は「ほんまでっか」と「Tokioカケル」だ!