穆順は、情殺だそうで。
情殺してくださいっブーケ1キスマーク

銅雀台、正式な予告きましたね!↓
   動体視力に挑戦! 
ちゃんちゃんちゃららんちゃんちゃんちゃららん、日本ではなかなか聞けない映画的な、あまりに映画的なBGMに乗せてあおる煽る、チャイニーズアサシンストーリー。
玉木君、髷や衣装で役柄に切り替れる時代劇は入り込みやすいけど素顔のドラマは恥ずかしくて調子が狂う。
みたいなこといってたけれど、
こういう作り込んだ中国の時代モノ、いかにもスクリーンの中にしか存在しない役柄とかって
すごくすごく合う気がするドキドキ
もともと浮き世離れした容姿なんだから、つり目だろうが引っ張りすぎだろうが
作り込んだ衣装とメイクで時空を超えたキャラになりきる演技は
ある意味うってつけだと思うの合格
みたところ、キャラというかポジションもすごく期待大。
暗くて美しくて陰惨で幸薄そうじゃないですか。ピッタリだわ。
おそらくは、もっと見たくて萌え死にそう。ってな印象をより多くの人に残していただけるキャラと勝手にお見受けしました。
どうしたらでっかいスクリーンで見られるのよー。
東京には来るよね?特別上映するよね?
イベント不参加と決めてる私も、これが絡むならなんだっていいわもう。
見せてくださいラブラブ
どこでも行きます波
変な蛹の黒焼きだって食べますから!とかげ




さて、ここからはちょっとシビアな話。
唐突ではございますが、
「いじめっ子の親といじめられっ子の親、なるならどっちがマシ?」
というお話です。

まああれこれ、雑談から出てきたテーマなんですけどね。

大津のいじめ問題がクローズアップされてからとにかく、
いじめに関する報道が増えましたよね……

考えなければならない問題ではあるのだけど、男女二人の母としては想像するだに辛く腹が立つことばかりで
正直、胸が心が痛すぎて、考えるのもしんどいのです。
想像だけで腹を立てすぎて体調まで崩せる特異体質なんで、できれば避けて通りたい。
のに、絶対避けられない面倒な気質。

そこでたまたまあるとき、先に言った話題となり、
親としてどっちかの立場しか選べないとなったらどっち?という乱暴な話になって……

「そりゃあ正直、いじめっ子の親のほうがいいわ!」

はっきり言われてちょっと驚いた。
いや、正直なのはいいことだ。正直者だからこそ、会話する価値はある。
だけど、親が学校があさっての方向むいてほっかむりしようとする報道にひたすら腹を立て続けていたわたしには
そりゃあ、という受け方にすっ転びそうになったのでした。

そうか。……いや、そうかな。子どもに対して腹も立つし、相手に対しても申し訳ないとは思わない?とかなんとか当たり前のことを答えた覚えが。

「いや違うでしょ。正直に考えてみて。
どちらが正しいかというより、親の立場として、どちらに身を置きたいかとそう考えてみて。
毎日めちゃくちゃにいじめられて、生きるか死ぬかの瀬戸際で真っ暗になってる子供の親なんて精神的に地獄でしょ。
だったらむしろいじめてる子の親の方が、気持ちとしては楽じゃない?
自分は耐えられない、いじめられっ子の親なんて。情けないのと相手に腹が立つのとで、ストレスで死ねる」
とそんな答えで。

なるほど、善悪や良心という尺度を持って来ず、親としての苦しみだけを考えれば、それはそうかも……
かも?

ことほど左様に子供の苦しみは親の苦しみ。だったら受け取りきれない苦しみは見せて欲しくない。と、うーん。

では本音でじっくりと考えてみよう。と思ったんでした。
自分の子供がよその子をいじめていると分かった場合、それはどれほど苦しいか。
いじめられっ子の親の同じぐらい、ほんとうに苦しいか?

まずそれほどのいじめじゃないと思いたいだろう。
やったのはうちの子だけじゃないの思うのだろう。
他にも加担した子を探し出し、罪を人数分で割ろうとするかもしれない。
大したいじめじゃない、遊びの要素もあったという証言ばかりをかき集めてくるかもしれない。
周りの話とわが子の証言が違ったら、子どもを信じようとするのかもしれない。
そこに事なかれ主義の学校が「よくあることなんですよ、気にしないでいいです。当人同士で話し合わせて、それで終わりにしましょう」と軽く対応してくれたら、ありがたいと思ってそれに乗っかるかもしれない。
我が子に不利な証言をすべて信じて、違うと言い張る子をしかり倒し、お前が最悪だ、謝れ反省しろ、それができなきゃ人間じゃない。というところまでつきつめられるだろうか。
自分を信じてくれと子どもが必死の形相で言ったら、果たしてそれを蹴散らしてそこまで行けるだろうか?

そう考えると、あれほど腹が立っていた加害者の親が、そう自分から遠い存在ではないのかもしれないと思ってしまったんでした。
そして、でも親ならば、いや親ならばこそ、ひよりそうになる気持ちを蹴散らしてそこまで行かねば大事なことは教えられないのだなとも。

考えてみると、いじめにしろ痴漢にしろ、親は妻は、被害者あるいは冤罪被害者の立場に自分を置いて心配することは容易でも、加害者の保護者、あるいは痴漢の妻。になる心配はほとんどしてない気がします。
我が子がどうかいじめられませんように。もしいじめられていたらきっと分かってあげよう、何をおいても子を守ろう。学校だけが全世界じゃないと言ってあげよう。
そう考える親は多くても、
我が子がいじめっ子だったらどうしよう、学校がどんなに隠蔽しようと自分だけは吊るし上げ、馬鹿息子あるいはバカ娘を許すまじ。なんて決意を新たにしている親がどれだけいるでしょうか?

また、夫が痴漢の冤罪にあったらどうしよう。自分一人でも夫を信じ、最後まで夫の味方になって戦い抜こう。
と決意する妻はいても、
夫が痴漢だったらどうしよう。そんなことは絶対に許さない。
周囲がかばおうともこの私の鉄槌でボコボコに。
なんて考えてる妻はごく少数派と思われます。
(でも遠い遠い昔、井の頭線にふんづまってたサラリーマン痴漢のみなさんは、みんな一見普通のお父さんだったのよね……)

つまり、いじめ問題に対して憤慨している人々も、
自分が、あるいは自分の縁者が犯罪被害者になる想像はしても、
加害者になる想像はあまり誰もしない気がする。そこが現実的に痛いところだと思うのです。犯罪は被害者加害者双方で成り立つのに。
被害者になる可能性と同時に「加害者」になる可能性を思い、
その時も良心の痛みと申し訳なさだけで、正義感だけで、被害者として落ちる地獄と同じぐらいの痛み憤リを自分に、身内に持てるだろうか。そして厳しくあたれるだろうか。
考えるのが辛くとも、両面から現実を考えなくちゃいけない。
被害者になる可能性も加害者になる可能性も、人間には同等にあるのだから。

というその戒めが大事なんではと、なんかそう思ったのでした。

なんでこんなめんどくさいことを、この暑いのにグダグダ考えてるんだろう……汗
一時はヘラクレスと呼ばれた頑丈な体格の美少年高校生、ヒロシ君は、こういう問題とは無関係なところで生きてこれたのかしら。
いやいや、小学校五年の時の辛い集団シカトいじめとかあったんですよね。
なんでも話せる仲良し母子、という簡単な環境じゃなかったようだから、気持ち的にかなりシビアだったと思う。多分幼い頃から、「面倒なことや悩みは自分の中で解決するタイプ」だったんじゃないかな。
でもそれを乗り越えた分、その前よりは優しい人間になれた気がする、と言ってましたよね。
一つひとつを糧にして生きてゆく。人生はそれの積み重ね。すごくすごく大事なことだと思います。

……やるやるといった渋温泉ご紹介、次回。

$水☆迷☆宮


酔 迷 宮 49話、更新しました。

猫と神に関する考察