もう、妄想のキャストとわかったからいってもいいよね?
なにかの仮面の、紫のあのかた。(ほぼ言ってる)
一部ではドラマ化に際して玉木くんがこれを?と言われていたんで正直、ドキドキしてました。
……あんまりよくないほうに。
今さらないだろうと思ったけれど、最近古い名作(これは現役ですが)のリバイバルドラマ化…映画化も……が相次いでるから何でもありかと。
有名原作という点では無敵ですが、じゃあなんで微妙だったかというと
あれは基本シリアスなはずなのに、実写だとたぶん、真剣にやればやるほど
屋台骨ごとコメディのほうに引きずられる要素があったから☆
漫画そのものもそういうテイストは無きにしも非ずですが。(書店のポスターとか月影先生がマツコだったし、マヤは劇団ひとりだったし)
コメディならコメディでいいし、シリアスならシリアスやってほしいんだけど
まじめにやってんのに笑いのほうに反応がにじり寄る役柄は、なんか、抵抗がありましたんですが
玉木くんに紫のバラ持たせて真面目にポーズ取らせる。
という罰ゲームは、
それはそれで、見て見たかったかも
あっ、万万が一実現したら応援しますとも、ハイ。
で。

時々「これはいいグーグル!」と思うロゴがあったら収集しているわたくしですが
これはよい茸なので迷わずいただきました。
柔らかなフォルム、淡い色彩、いいです!
たおやかでいちずなきのこ愛が感じられますねー。
ロゴ絵のモデルは南方熊楠先生のイラスト。
今日18日がお誕生日なのでこの絵なのね。
みなかたくまぐす先生は、明治の民俗学者、細菌学者、天文学者、人類学者にして生物学者。つまり博物学者ですね。
幼少のみぎりより天才的な記憶力を持ち、好奇心旺盛で、植物採集やキノコ採集に夢中になるあまりちっちゃいころからしょっちゅう山の中で行方不明になってたとか。
プリミティブで自然児、天才にして奇人
そして人間コピー機。
人間離れした記憶力の持ち主で、105巻におよぶ百科事典を、読んで帰っては記憶に従って書写して三年で完成させるという偉業をやってのけてます。
本屋に行くと中身を丸ごと頭に納めて、それを手元で再生してどんどん本を作っていくと言うすご技の持ち主。由緒正しい「中身ドロボー」ですよね。
大学予備門(現東大)に入学してからも隠花植物(菌・苔・藻・シダ類等)愛はやまず、野山で採集に夢中になってるうちに落第。そのついでに海外に渡り、アメリカ、南米、イギリスと十四年の間遊学し、十九か国語を独学で習得。行く先々で武勇伝を残します。
ロンドン滞在中は大英博物館で学者識者を論争でこてんぱんにし、博識を買われて大英博物館東洋調査部員として採用。
その一方当時の東洋人に対する人種差別にブチ切れて、乱闘騒ぎの結果相手の鼻に噛みついたり暴力沙汰も一度二度ではなかったとか。
ついに大英博物館を追放されてしまうんですね。
肝心の学者としての功績は、なんというか肝心の論文に猥談などをませこんでカオスにしてしまうので評価イマイチだったようですが……
「文章に猥談を突入させることによって、彼の文章はつねに、なまなましい生命が侵入しているような印象があたえられる、(中略)言葉の秩序の中に、いきなり生命のマテリアルな基底が、突入してくるのだ」(ウィキペディアより)
……でもね、論文だよ。猥談って。ちょっと読んでみたい鴨。
「優れた観察者およびコレクターという評価」に落ち着く、なんて評価もあるようで
でも、なんだかんだいってもネイチャー誌に掲載された論文の数は約50報、日本一。
で、この異能の天才とわたしは何のつながりもないのだけど
なんかどうにも引っかかる点が……
彼は癲癇もちだったらしいのだけど
その癲癇患者に時々見られる
「ゲシュヴィント症候群」であったと言われてる、そのことです。
どんな症候群?
てことで、特長を写してみると
・細部にわたり脅迫的に書くという過剰書字、書漏(しょろう)
・神秘的なものに関心が強く、宗教的・哲学的思考に傾倒しやすい
・怒り、恐怖などの情動の過大
・些細なことにこだわり、1つのことから離れられない粘着性
・性的活動の低下・性的倒錯
・もってまわった話し方、会話・文章の迂遠性
・ユーモアのない生真面目さ
最後はどうかと思うけど
……何か全部自分に当てはまる気がしないでもない!
特に一行目。しょろうって、なんか(笑)だらだら書き出すと止まらない感が言いえて妙。
ん~~、これか、これなのか?
だから毎回どうでもいいことしか書いてないのにやたらブログが長いのか!
そして不必要に論文みたいだったり……
「手紙にせよ、論文にせよ、なにかを書くことは、熊楠の中では、自分の大脳にたえまなく発生する分裂する力に、フォルムをあたえ満足させる、という以外の意味をもっていなかった」(中沢新一氏)
ということで、えーと、勝手にちょっとだけ親近感を覚えさせていただきました。
以後わかりやすく、かつ短い文章を心がけようと……って、できもしない事は考えない方がいい。うん。
最後に、このかたが息を引き取る間際のエピソード。
亡くなる前日、死の床の熊楠に娘の文枝さんが「お医者さんをお呼びしましょうか」と尋ねると、
「もういい。この部屋の天井に美しい紫の花が咲いている。医者が来れば、この花が消えるから呼ばないでくれ」
と答えて、息を引き取ったそうです。
著名人のいまわの際の言葉としては、わたしが知る限りこのかたのものが一番、うつくしい。
えー、長いことお休みにしていた小説、再開しました。
ゲシュヴィント小説かどうかはわかりませんが、よろしければ……
↓
35話 「大丈夫」
なにかの仮面の、紫のあのかた。(ほぼ言ってる)
一部ではドラマ化に際して玉木くんがこれを?と言われていたんで正直、ドキドキしてました。
……あんまりよくないほうに。
今さらないだろうと思ったけれど、最近古い名作(これは現役ですが)のリバイバルドラマ化…映画化も……が相次いでるから何でもありかと。
有名原作という点では無敵ですが、じゃあなんで微妙だったかというと
あれは基本シリアスなはずなのに、実写だとたぶん、真剣にやればやるほど
屋台骨ごとコメディのほうに引きずられる要素があったから☆
漫画そのものもそういうテイストは無きにしも非ずですが。(書店のポスターとか月影先生がマツコだったし、マヤは劇団ひとりだったし)
コメディならコメディでいいし、シリアスならシリアスやってほしいんだけど
まじめにやってんのに笑いのほうに反応がにじり寄る役柄は、なんか、抵抗がありましたんですが
玉木くんに紫のバラ持たせて真面目にポーズ取らせる。
という罰ゲームは、
それはそれで、見て見たかったかも

あっ、万万が一実現したら応援しますとも、ハイ。
で。

時々「これはいいグーグル!」と思うロゴがあったら収集しているわたくしですが
これはよい茸なので迷わずいただきました。
柔らかなフォルム、淡い色彩、いいです!
たおやかでいちずなきのこ愛が感じられますねー。
ロゴ絵のモデルは南方熊楠先生のイラスト。
今日18日がお誕生日なのでこの絵なのね。
みなかたくまぐす先生は、明治の民俗学者、細菌学者、天文学者、人類学者にして生物学者。つまり博物学者ですね。
幼少のみぎりより天才的な記憶力を持ち、好奇心旺盛で、植物採集やキノコ採集に夢中になるあまりちっちゃいころからしょっちゅう山の中で行方不明になってたとか。
プリミティブで自然児、天才にして奇人
そして人間コピー機。人間離れした記憶力の持ち主で、105巻におよぶ百科事典を、読んで帰っては記憶に従って書写して三年で完成させるという偉業をやってのけてます。
本屋に行くと中身を丸ごと頭に納めて、それを手元で再生してどんどん本を作っていくと言うすご技の持ち主。由緒正しい「中身ドロボー」ですよね。
大学予備門(現東大)に入学してからも隠花植物(菌・苔・藻・シダ類等)愛はやまず、野山で採集に夢中になってるうちに落第。そのついでに海外に渡り、アメリカ、南米、イギリスと十四年の間遊学し、十九か国語を独学で習得。行く先々で武勇伝を残します。
ロンドン滞在中は大英博物館で学者識者を論争でこてんぱんにし、博識を買われて大英博物館東洋調査部員として採用。
その一方当時の東洋人に対する人種差別にブチ切れて、乱闘騒ぎの結果相手の鼻に噛みついたり暴力沙汰も一度二度ではなかったとか。
ついに大英博物館を追放されてしまうんですね。
肝心の学者としての功績は、なんというか肝心の論文に猥談などをませこんでカオスにしてしまうので評価イマイチだったようですが……
「文章に猥談を突入させることによって、彼の文章はつねに、なまなましい生命が侵入しているような印象があたえられる、(中略)言葉の秩序の中に、いきなり生命のマテリアルな基底が、突入してくるのだ」(ウィキペディアより)
……でもね、論文だよ。猥談って。ちょっと読んでみたい鴨。
「優れた観察者およびコレクターという評価」に落ち着く、なんて評価もあるようで
でも、なんだかんだいってもネイチャー誌に掲載された論文の数は約50報、日本一。
で、この異能の天才とわたしは何のつながりもないのだけど
なんかどうにも引っかかる点が……
彼は癲癇もちだったらしいのだけど
その癲癇患者に時々見られる
「ゲシュヴィント症候群」であったと言われてる、そのことです。
どんな症候群?
てことで、特長を写してみると
・細部にわたり脅迫的に書くという過剰書字、書漏(しょろう)
・神秘的なものに関心が強く、宗教的・哲学的思考に傾倒しやすい
・怒り、恐怖などの情動の過大
・些細なことにこだわり、1つのことから離れられない粘着性
・性的活動の低下・性的倒錯
・もってまわった話し方、会話・文章の迂遠性
・ユーモアのない生真面目さ
最後はどうかと思うけど
……何か全部自分に当てはまる気がしないでもない!
特に一行目。しょろうって、なんか(笑)だらだら書き出すと止まらない感が言いえて妙。
ん~~、これか、これなのか?
だから毎回どうでもいいことしか書いてないのにやたらブログが長いのか!
そして不必要に論文みたいだったり……
「手紙にせよ、論文にせよ、なにかを書くことは、熊楠の中では、自分の大脳にたえまなく発生する分裂する力に、フォルムをあたえ満足させる、という以外の意味をもっていなかった」(中沢新一氏)
ということで、えーと、勝手にちょっとだけ親近感を覚えさせていただきました。
以後わかりやすく、かつ短い文章を心がけようと……って、できもしない事は考えない方がいい。うん。
最後に、このかたが息を引き取る間際のエピソード。
亡くなる前日、死の床の熊楠に娘の文枝さんが「お医者さんをお呼びしましょうか」と尋ねると、
「もういい。この部屋の天井に美しい紫の花が咲いている。医者が来れば、この花が消えるから呼ばないでくれ」
と答えて、息を引き取ったそうです。
著名人のいまわの際の言葉としては、わたしが知る限りこのかたのものが一番、うつくしい。
えー、長いことお休みにしていた小説、再開しました。
ゲシュヴィント小説かどうかはわかりませんが、よろしければ……
↓
35話 「大丈夫」