水☆迷☆宮


駅前の桜は寂しくないかな、
並木でもない、公園でもない、お仲間のいない一人ぼっちの満開。
でも私がカメラ向けてたら
「そうだ、この前で写真撮ろう!」と、結構女の子たちがあなたを背景にし始めたよ。

そういや、大島弓子さんの漫画の中に
こんなことばがありました。(かなり適当)

百本の桜の木の
何百の枝の中の
何千のつぼみの中の
さいしょの一輪が咲いた
みんなの注目の的
でもその花は
自分だけでは
桜でないことを知っている

BS歴史館、おもしろかったですねえ。何かと話題の時代考証の本郷先生のお顔も見られたし。
平清盛が、海を切り開き物流に軸足を置いた経済戦略の先駆者であったということ、
貨幣経済というものを実質的にもたらした人であったということ、
宋の大型船が作れるように瀬戸内海に海路を開き、石造りの人工の埠頭まで作ったという話、
どれも興味深いものでした。
しかし、最後の最後に無残な最期を遂げて一族が滅亡する。ということから順番にむしろ有名な人が
(生き方というより滅び方が有名って印象があるような)大河の主役って、珍し……くはないか。
どこらあたりでこの話は終わるんでしょうか。語り部の頼朝をしばらく追うのかな?


さて、桜のまだ咲かぬ三月八日のニュース。

日本文学者のドナルド・キーン氏、御年89歳、が
日本国籍を取得なさいました。
約40年間、研究・著作活動で米国と日本を行き来し、すでに日本の永住権も取得していたそうです。
戸籍名は「キーン ドナルド」、通称で「鬼怒鳴門(キーンドナルド)」という漢字名も使うとのこと。
栃木県の鬼怒川と、徳島県の鳴門からとったということです。
なんかすごい勢いで怒ってる激しい人みたいなところがイイグッド!怒鳴るど!

さて去年の春、震災から間もないころ、わたしはこのかたに関するブログを書いたんですが
玉木くんのお身内の記事も一緒にしてたんで
アメンバーさん限定公開になってました。
今あらためて、キーン氏の部分を再録しますね。

*******

日本文学研究者として高名な、ドナルド・キーン氏が
このほどアメリカでの最後の講義を終え、日本に永住する決意を固めたと聞きました。
現在88歳の御年でです。(注・この時はまだ88でした)

最初からそういう計画があったわけではなく、
震災後、日本を恐れて脱出する外国人たちの姿に心を痛め、あえて永住を決められたそうです。
「わたしは日本という女性と結婚します」
この言葉に胸を打たれました。
「日本という文化が、すがたが、人々が大好きです。わたしは日本のすべてを愛しています」
放射能に汚染され、地震に揺られ、政府閣僚が責任のなすりあいをし、国民はこんな政府やいやだと不平不満ばかり。その日本という傷ついた女性と結婚しようと手を差し伸べるキーン氏。
日本人として涙が出るほど、男ではないですか!!

キーン氏は、源氏物語を「安くて分厚い」という理由だけで読んだのがきっかけで日本文化に心惹かれ、日本について研究するようになったそうです。
三島由紀夫氏の文学作品を英語に翻訳する仕事がきっかけで親交を深め、三島氏との間にかわされた書簡は有名な本になってますよね。日本に関する著書はもう、数えきれないほど。
菊池寛賞、毎日出版文化賞をはじめ日本でも数々の賞を受賞、文化勲章まで受賞し、東北大で講義したこともあるとか。

中にいても気づかないいろいろな日本の良さを、外から評価して、共に生きともに死ぬと決めて永住に来るアメリカ人。
日本に住むわたしたちが、知らん顔をして逃げることばかり考えるわけにはいかないと、改めて思います。

学生の時、東北の漁村を巡る旅に出たことがあります。
リュックしょって、宿も決めずにふらりと鈍行に乗りました。
駅前の電話ボックスで一番安い宿を選ぶと、そこは日雇い労働者用の木賃宿だったり山小屋だったり。
擦り切れた畳三畳の部屋にはエロ本とヤクザ本がおいてあったり。
でも、食堂で味噌汁分けてくれたり御飯よそってくれたり、おっちゃんたちはみんなやさしかった。
船の上で網をつくろってる漁師さんたちに道を尋ねると
「そんなことよりねーちゃん嫁に来ねえか!」
あの時見たひなびた風景のほとんどは今はあの瓦礫の山……
そんなことを考えて呆然としていました。

キーン氏は88歳、今から日本で暮らすというのは
しょっちゅう来日して日本で生活もしていたとはいえ、大きな決断だと思います。
いわばアメリカの故郷のその風景を捨てて、日本の風景の中で「死ぬまで生きる」ことを決めるんですから。
この地震に絶え間のない国で。

わたしの原風景は岡山の祖父母の家ですが、(生まれは広島だけど)その大きな庭を抱え持つ家の土間の暗闇のきなこくさい匂いまでしっかり思い出すことができます。

玉木くんの、わたしの、多くの人々の、そしてキーン氏の心に残る、愛する日本の原風景と、日本人のよき部分。
これからいっそう大事にして、いつくしんで、寄り添っていきたいと、あらためて思います☆

*****


そしていま。
震災から一年たって日本の印象を尋ねられたキーン氏。

「あのころは日本中が力を合わせ、東京も節電で薄暗く、みんなが我慢して力を合わせていたけれど
今はネオンもすっかり元通り。あのころを忘れてしまったのか」と残念そうだったという話です。

そうですよね。
原発が東電が政府が悪い、とぶーぶー周りを責めるのもいいけど
自分たちの生活を見回して、余計な光、余計な娯楽、過剰な便利さはなかったのか
そこから一人一人が生活を見直していくことこそが
大事だったんじゃないかと思うのです。
でも私たちはしょせん、コンビニや深夜も営業している風俗店娯楽施設、自動販売機すら捨てられない。

明るく愉しく便利なん生活を捨てられないならば
わたしたちはまたどこかから何かを得なければならない。
つまり、「自然界からの搾取」です。燃料だって無限じゃない。
キーン氏の娶ろうとした「つつましやかで健気で乙女な日本」は、果たして現実のものだったんでしょうか……

などと考えてしまう桜の夜なのでした。

$水☆迷☆宮-さくら
(2011年4月の桜)



小説更新しました……

29話